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「私ね、あの雪の日の翌日から夫に監禁されたの……」
結葉が一息に告げたら、想が息を呑んだのが分かった。
「想ちゃんも気づいたよね? これは、そのとき足枷を付けられてた痕」
足首をさすりながら言ったら、想が思わず、と言った調子で腰を浮かせて苦しそうに眉根を寄せた。
「結葉、それって俺がっ……!」
旦那を牽制したせいだよな!?という声が聞こえてきそうで、結葉は慌てて想の言葉を遮る。
あの雪の日、想は結葉を心配して夫の偉央に意見してくれた。
それが、偉央を焚き付ける火種になったのではないかと思ったんだろう。
だけど、あの直後、偉央はちゃんと結葉の訴えを信じて怒りを収めてくれたことを、結葉は覚えている。
だから、偉央を壊す決定打になったのはそれじゃない。
きっと、一度は信じようと思った結葉が、偉央を裏切ったと思わせてしまったあのカップたちこそが真の原因なのだ。
だから――。
「想ちゃんのせいじゃないよ? 全部私が蒔いた種だから。――きっと言いたいことは沢山あると思うけど……お願い。最後まで……黙って私の話を聞いて?」
言って、じっと想を見つめたら、こちらに半身乗り出していた腰を落ち着けて、想が一言「……分かった」と答えてくれた。
偉央には言えなかった、「私の言葉を聞いて欲しい」と言う意思表示が、想にはすんなり出来てしまえたことに内心驚いた結葉だ。
きっと想がまとうオーラが、結葉を威圧してこないからだろう。
結婚して程なく始まった、夫からの精神的な締め付けと、肉体的な拷問の数々。
それらをずっと甘んじて受け入れてきたことが、今回の監禁に繋がったんだと結葉は思っている。
「私、嫌なことは嫌だってちゃんと偉央さんに言わなきゃいけなかったのに」
まるで諦めたみたいに、長い年月それをしないで来てしまった……。
偉央の反応をビクビクと怖がって、夫と向き合おうとしてこなかった代償が最終的に監禁に繋がった気がする。
偉央の行動がどんどんエスカレートして、日に日に締め付けが強くなっていくのを、心を殺して甘んじて受け入れていたのは、他ならない。自分自身なのだと今なら分かる。
足枷を付けられる前に、こんな風に外部へSOSを出すことだってきっと出来たはずなのに。
それを出来ないと思い込んで殻に閉じこもっていたのは結葉自身だ。
「偉央さんが変わってしまったきっかけはね、私が門限を破って同級生たちと盛り上がっちゃったことなの」
それまでは、普通に外出も許可してくれていた偉央なのに。
女子会という名目で飲みに出してもらったのに、たまたまとはいえ、男の子がそこへ合流してしまった。
しかも楽しくて約束していた時間までに帰宅出来なかった。
偉央はそれを結葉の裏切りだと酷く責め立てたのだ。
でもあの時、結葉がそんな風に激怒するのはおかしいよ?と、もしも偉央に言えるような間柄だったなら……。
想にするみたいに、ちゃんと自分の意見を言えるような関係だったなら……。
きっと、結葉は今でも偉央の横で笑っていられたはずだ。
そう思ったら、喉の奥がギュッと狭まって、思わず息が詰まりそうになる。
「結葉、平気か?」
首元を押さえて涙目になった結葉に、想が心配そうに声を掛けてくれて。
それだけで喉の奥につかえていたものがスッと溶解していくような感覚を覚えた結葉だ。
「大、丈夫……。想ちゃ、ありがとう……」
結葉は震える手でマグを掴むと、温くなってしまったミルクティーをひとくち喉の奥に流し込んだ。
今までこんな風に自分の身に起きたことを誰かに話したことがなかった結葉は、想に順序立てて話すうち、ほんの少しずつだけど客観的に自分の置かれていた状況を俯瞰することが出来てきて。
渦中にある時には気づけなかった偉央との婚姻生活の敗因が、少しずつ見えて来る。
「私と偉央さんの関係が歪だと気付いた友人たちと、どんどん連絡が取れなくされて……。私、気がついたら孤立無縁になちゃってたの」
結葉が苦しそうな顔をしてしまったからだろう。
想が何か言いたげな表情をしてじっと結葉を見つめてきた。
けれど、結葉が何も言わずに最後まで話を聞いて欲しいとお願いしたから。
想は諸々の感情をグッと我慢して、聞き役に徹してくれている。
「偉央さんと、双方の両親以外連絡が取れなくされてしまって。お父さんやお母さんには心配掛けたくなかったから私、偉央さんとのこと誰にも相談できなくておかしくなりそうだったの。……そんな時だよ。想ちゃんと再会したの……」
そこで目の前に座る想をじっと見つめると、結葉は横座りをやめてほんの少し後ろに下がる。
テーブルから距離をあけて姿勢を正座に正すと、三つ指をついて想に頭を下げて。
「想ちゃん、今日は本当に有難う」
と、改めて礼の言葉を述べた。
「えっ、おいっ。結葉っ」
いきなり結葉がかしこまってそんなことをしたものだから、想は慌てて立ち上がると結葉のそばに膝をつく。
「頭上げろ! ――全部! 俺がやりたくてやったことだ!」
想は心外だと言わんばかりの口調でそう言ったけれど、結葉にしてみれば全てが奇跡だったのだ。
あの日、実家でたまたま想と再会できたことも。
想が、両親でさえ見過ごしていた結葉の異変に気づいてくれたことも。
昔と変わっていなかった携帯番号を差し出して手を差し伸べてくれたことも。
想との出会いがなかったら、きっと結葉は今でもあのタワーマンションの一室で、夫に怯えて縮こまっていたと思う。