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阿部が目黒のことを好きなのは、もはや周知の事実といえた。何よりも目黒自身がそう思っているに違いなかった。目黒はいつだって阿部が自分のモノでいるのは当然という態度だったし、阿部の方もそんな目黒に従順だった。隣にいると彼女みたいだと周囲が言うくらいに。ただ一つだけ不思議なことといえば、あんな風に、愛おしそうな瞳で互いを見つめ合いながらも、なぜか目黒には付き合っている恋人が別にいて、阿部がそれを甘んじて受け入れているというところだった。でも、それももう過去の話だ。目黒が恋人と別れた今、2人を妨げる壁など何もないはずだった。
「おい、もう抱いてもらったのか?」
「……っ!」
気が付くとそんな言葉が俺の口をついて出ていた。途端、阿部の手から滑り落ちたスプーンが、トレーの上でガチャンと音を立てる。俺は阿部の答えを待ったが、しばらくの沈黙の後、阿部はスプーンを拾い上げて再び食事へと戻っていった。
静まり返った食堂の中にカチャカチャ食器の触れ合う音と、小さな咀嚼音だけが響く。俺は手持ち無沙汰に手にしたスマホの画面を見つめた。何とはなくLINEの画面を呼び出したり、ホームに戻ったりしてみる。無性に、いらいらした。
「…図星だからって黙るのかよ」
スマホに視線を落としたまま阿部の方を見ないで言うと、今度は阿部も食事の手を止めないままで答えた。
「話にならないから」
「は?」
思わず顔を上げる。相変わらず、こちらを見ようとしない阿部が一言「バカバカしい」と、ひとり言のように呟いた。
「お前…っ」
らしくない言い方に、俺が声を荒げそうになるのを遮るよう音を立ててスプーンを置き、阿部が顔を上げる。眉を寄せた阿部の瞳は、気のせいか微かに潤んでいるように見えた。
阿部はきゅっと唇を噛んだ後、低く、早口に言った。
「俺のことが嫌になったならそう言ってくれていいよ? もう会うのはやめたいって。遠回しに言わなくたって、俺はちゃんと離れるから」
言い終わってから、まるで苦虫でも噛み潰したかのように阿部の表情が歪んだ。俺はただ目を白黒させることしかできなかった。阿部が言い終わってしばらくしても、言われたその言葉が全く頭に入ってこない。うまく、処理しきれずに眉を寄せる。
「何言ってんだ? 離れたいのはお前の方だろ?」
言いながら、俺は自分でも、今のが阿部に向かって言った言葉なのかひとり言なのか、よくわからなくなった。頭上にいくつもの疑問符が浮かび上がる。
「は? 何で俺が」
「目黒が、好きなんだろ」
そう、そうだ。阿部はずっと目黒と一緒になることを望んでいたはずだった。だからこそ本命を作らずに、俺との関係を続けていたのだ。つかず、離れず、寂しい時に繋がり合うだけの、そんなビジネスのような関係を。
「………、」
阿部が口を噤んだ。目を見張り、信じられないとでも言いたげにこちらを見ている。睨むほどの力を持たないその瞳は、涙未満の水の膜でうるうると揺れて光った。
ああ、この瞳には見覚えがある。
初めて自分たちがそうなった夜、組み敷いた阿部は今と同じように潤んだ瞳でこちらを見上げていた。彼のそんな顔を見ると、たまらなくなる。無防備で、あどけなくて可憐で。そんな瞳で見つめられると、何も言えなくなって、ただ抱きしめたくなるのだ。