「レモニカさん」と太った盗賊は声をかける。「ここからは焚書官の姿にならない方が良い。いや、説明すれば済む話だが、面倒なことになるかもしれないので、一応な」
三人はユビスを降り、レモニカはユカリから離れてベルニージュに近づき、大男の姿に変身した。
二人の盗賊に率いられ、曲がりくねった裏通りを行く。両脇に並ぶ住居は他の例に漏れず草葺きだが軒が広くて通りは少し薄暗い。それらは集合住宅で、後から増築したらしき部屋や手作りの橋がかかっている。辺りには昼餉の香りが漂い、健やかな子供たちがおまじないに似た笑い声と共に走り抜けていく。
裏通りの突き当りの何の変哲もない家屋へとユカリたちは導かれる。甘やかな煙草の煙と爽やかなお茶の香りがないまぜになった家の中で、目つきの悪い男が何人か読んでいた書物から顔を上げる。が、何を言われるでもなく、ユカリたちは男たちの目の前を通り過ぎて裏庭へ出た。すると件の開けた土地が現れたのだった。
彼らが浄火の礼拝堂と言ったのは古びた四阿といくつかの石碑が並ぶ狭いが静謐な空間だ。
周囲を家屋に囲まれていて、正規の入り口と言えるものはない鎖された隠された土地だ。整備されてはいるが、ユカリが見た浄火の礼拝堂よりもさらに寂しい空間だ。偶像の一つも見当たらない。とはいえそれは人がいなければ、ということだ。この空間はまだ見捨てられていない。先ほどまでユカリたちが包み焼を食べていた広場よりも多くの人がいて、各々が憩っている。顔を突き合わせて何やら真面目な話をしている女たちや退屈そうにしている子供たちだ。
レモニカが不思議そうに呟く。「浄火の礼拝堂はいくつもあったのですね?」
しかしユカリとベルニージュに持ち合わせている答えはなく、盗賊たちは答えなかった。
「そこだ」太った男は戸惑うユカリたちを案内する。
朽ちた墓石と見まがう崩れた四阿が目的地らしい。柱は折れ、屋根は傾いているが、庇は何とか保たれている。中心にある地下への階段へ雨が注ぎ込む心配はない。
今度は痩せた女の先導で地下へと降りていく。「救済機構の連中もここのことは知らないんだ」
秘密の礼拝堂という訳だ。蝋燭の炎の闇の奥へと誘い込むような不確かな揺らめきが見え、階段を降りていくと、円形の広間が現れた。地下墓地のようだ。名も知れぬ王とその縁者たちが等間隔で円をなして壁と床に埋葬されている。降りてきた階段の反対側にはさらに下へと向かう階段もある。その広間に地上よりも多くの――といっても十数人程だが――人々が集まっていて、古くからの信仰に従って神々に祈りを捧げている。
その広間、その空間に、ユカリでさえも不思議な気配を感じた。魔導書ではない。古びて萎びてしかし存在感の損なわれていない魔法が渦巻く、産毛をなでられるようなこそばゆい感覚だ。はたから見てもベルニージュがわくわくしているのが伝わった。見知らぬ所に迷い出た鼠の鼻のように赤い瞳を地下室のあちこちに向けて、未知と神秘を見い出そうとしている。
人々の捧げる祈りの間を通り抜けて、さらに下への階段を降りる。同じような円形の広間があり、またさらに奥に下への階段がある。ただしここに降りてきている者はただ一人きりだ。
広間には腰の曲がった老翁がいた。伸び放題の髪も蓄えた髭も真っ白に染めて、長い年月を経て刻まれた皴は深く、何もかもを抱き締めようとする重力に負けた肉は力なく垂れ下がっている。枯れ枝のような手で箒にしがみつき、以て地下墓地を清掃しているようだった。
「大頭! お久しぶりです!」と太った男が言うが、老翁はせっせと箒で床を掃くばかりだ。「少しご相談がありまして、お時間よろしいでしょうか!?」
老翁の掃き出す砂埃が一か所に溜まっていく。
「ねえ、聞こえてないんじゃない?」とベルニージュが言った。
「失礼なことを言うな!」と痩せた女が憤慨する。「聞こえていてもいなくても私たちごときのために掃除の手を止めたりはしないんだよ!」
「とにかく聞きたいこと尋ねればいい」と太った男が言う。「大頭が答えたければ答えるし、答えたくなければ答えない。それだけだ」
ユカリたちは大頭の掃除の邪魔にならない程度にそばに近寄る。
「大頭さん!」とベルニージュが声を弾ませて言った。「この地下室には何か魔法が秘められていますね? どういうものなんですか?」
「それは後にしてくださいな」とレモニカが苦言を呈する。
老翁が手を止めた。その動きは掃除をしている時と違って酷く緩慢だ。振り返り、顔を上げる。その双眸には老いも衰えも感じない光が宿っており、品定めするような視線が来訪者の顔を巡り、ベルニージュの赤い瞳を睨み据えて止まる。
すると大頭は掠れた悲鳴を上げて腰を抜かしたように倒れてしまった。二人の盗賊が慌てて大頭を介抱するが、大頭はうわごとを繰り返すばかりだ。
「一体どうしたんですか? 大頭さん」ユカリはさりげなくベルニージュを隠すように立って尋ねる。
太った男は不思議な出来事に直面したかのように困惑して首を振る。「俺たちにも分からん。何を恐れているのか。とにかく落ち着くまで少し待っていてくれ。おい! 大頭! 落ち着いてください!」
承諾して、ユカリたちは一度地上へと戻ることにする。崩れた四阿のそばで休む。
「てっきりわたくしが何かまずいものに変身してしまったのかと思いました」とレモニカは困惑した様子で言う。
ユカリの知る限り、レモニカはずっとベルニージュのそばで大男の姿を維持していた。たぶん無関係のはずだ。
ユカリは安心させるように否定する。「いや、あのお爺さん、ベルを見てひっくり返ったよ」
「やっぱりそうだよね。ワタシ、誰かに似てたのかな」とベルニージュが呟く。
「もしかしてベルの記憶にない知人なんじゃない?」
ベルニージュは腕を組み、首をひねり、目を瞑って唸り、大頭を思い出そうとするようなふりをする。そうしたって思い出せないことはベルニージュが一番よくわかっている。
「かもしれないけど。何とも言えないね。それにあの様子だと、あまり良い関係ではなさそうだし」とベルニージュは寂しそうに言う。
ユカリが相槌を打てないでいると、レモニカが話を変える。「それにしても盗賊の方々がこのような神聖な場所に堂々と出入りして咎められはしないのでしょうか?」
「そういえばあの盗賊団を義賊だとする人もいるって前に聞いたよ」とユカリは思い出して言う。「ここの人たちには信頼されているのかも?」
「へえ。悪の救済機構から金品せしめて古い信仰の信徒たちにばらまいているとか?」とベルニージュが皮肉を言うような口調で言う。
「さあ、詳しいところは分からないけど……」
ユカリはふと空を飛ぶ鳥に気づく。青い空を背に細く長い翼を広げているそれは冠鴎だ。
「鴎? ここって海に近くない、よね?」とユカリはベルニージュとレモニカに尋ねる。「冠鴎ってここまで内陸に飛んでくることあるの?」
ベルニージュとレモニカもユカリの見上げる空を仰ぐ。
「いや、冠鴎がどうかは知らないけど、海鳥がここまで来るなんて珍しいよ。どうしたんだろう?」とベルニージュは言った。
サンヴィアやシグニカの沿岸で聞きなれた鳴き声も不自然な場所で耳にすると不吉な兆しに聞こえた。
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