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二人はルンルン気分で球を集め、一メートル五十センチの距離で向かい合う。
「言うまでも無い事でござるが、この距離は『私に惚れるなよ』や『カモーン』で有名な、あの女芸人の身長と同じでござる」
「はい。 汗ばむ方ですよね、あの可愛らしい」
「発声の改良は済んでいるのでござるな?」
「ええ、自分ではイケるつもりです」
「期待しているでござる」
「はい」
善悪が言い、コユキが答える。
因み(ちなみ)に善悪の予想では、『三センチ』が『サンセ』または『センチ』のどちらかになるのではないかと見当を付けていた。
なぜなら、もはや距離を表し意味をなす言葉で表現する事は、流石に不可能だと思えたからだ。
それも、仕方の無い事なのだ。
善悪は気持ちを切り替えてピンポン球を掴み、コユキに視線を戻した。
――――コユキ殿、そなたの言葉をチョイスするセンス、見せて、いや、聞かせて貰うでござる!
無言のまま、投じられた球はコユキの正中(せいちゅう)線を目掛け、唸りを上げて真っ直ぐに向かって行った。
距離が縮み、無言では避けられない事が明白な、ナイスな投球だと言えるだろう。
「一寸!」
「!」
なるほど、その手が有ったか。
一寸はおよそ三センチであった。
「一寸! 一寸! 一寸! 一寸! 一寸! 一寸! 一寸! 一寸! 一寸! 一寸! 一寸! 一寸! 一寸! 一寸! …………」
クリア……
とくれば一メートルである。
大体三歳児の身長くらいだと言われている。
つまり、国民的アニメに登場する『タラちゃ○』だと思えば良いだろう。
今、善悪とコユキは、かっ攫(さら)ってきた『タ○オ』を足元に横たえた距離で向かい合い、熾烈(しれつ)な攻防を繰り広げていた。
「寸! 寸! 寸! 寸! 寸! 寸! 寸! 寸! 寸! 寸! 寸! 寸! 寸! 寸! 寸! 寸! 寸! 寸! 寸! 寸! 寸! ……」
ふうっと息を吐きつつ、善悪が満足げに話し掛けた。
「いやぁ、まさか一日で完全クリア、フルコンプリートとはビックリ仰天! やったぜコユキ! で、ござるな。 回避特化を目指すと言う目的も、十二分に果たした事ではあるし、少し早いが今日の所は、一旦お開きにするでござ……」
「えっ? もう終わるんですか? 御冗談ですよね? 次は五十センチじゃないんですか?」
とんでもない事を言い出した。
五十センチと言えば新生児の大きさである、乳飲み子じゃない、嬰児(みどりご)の方だ。
普通にその距離で他人と向き合う事自体、ビジネスシーンに限らず『近ぇーよ』と引かれること請(う)け合いだろう。
ましてや、善悪コユキ共に腹部には、たっぷりと油の乗ったカルビが付きまくっているのだから、その距離で向き合うのは物理的にも難しい。
もしも、強引に肌を摺(す)り合わせる様にして向き合ってしまったら、そこは成熟した男女の事、万が一間違いが起こらないとも限らないのだ。
そんな内容を伝えた後、善悪はこう説明を締め括(くく)った。
「第一、そんな密着していたら、僕ちんが投球動作が出来ないでござるよ。 故に、今日はお仕舞いにするしかないでござろ?」
諭(さと)すように言い含めたつもりだったが、当のコユキは自身の三重顎に手を当て、なにやら考え込んでいる。
そして、善悪に向かって徐(おもむろ)に提案をするのだった。
「わかりました。 では、先生が直接アタシに攻撃してきて下さい」
「は? 今、何て言ったでござるか?」
「ですから、先生が目一杯の攻撃を仕掛けてください。 私がそれを全て回避して見せますので」
「……ほぅ」
善悪の目が僅か(わずか)に細められ、その色合いもジトっとした物に変化するが、彼は続けてコユキに問うた。
「それは……。 もしかして、我輩の攻撃を捌(さば)き切る自信があると言う意味では無かろうな?」
「はい、そうです」
即答。
善悪は思った、『こいつ調子にのってやがる』と。
早過ぎる目標達成によって、天狗の鼻が伸び切りまくり、自分で支えられない状況に陥ってやがると容易に推測できた。
やれやれと呆れる気持ちと同時に、この事実に早い段階で気付けた事を幸運であるとも善悪は思っていた。
訓練を続け、一定の強さに到達した者の多くは、必ずと言って良いほど慢心してしまうものだ。
そして、更なる強者に出会い敗れたとき、その地点への到着に掛かった道のりが、長く険しい者ほど、より大きな衝撃を受ける事となる。
そのショックで自ら拳や剣を捨て、途(みち)を閉ざした者達の姿を、善悪はこれまで嫌と言うほど漫画やラノベで見て来ていた。
だが、コユキの中に芽生えた慢心は、彼らのそれとは違い、ほんの一日の中で芽生えた感情に過ぎない。
今ならばまだ間に合う、今の内ならば以前の素直(?)で実直(?)なコユキに戻してあげられるのだ。
よしその挑戦を受けてやろう、そしてその傲慢(ごうまん)の鼻っ柱をへし折ってくれよう、善悪の覚悟が静かに高められていった。