私)私は幼い時にお兄ちゃんから暴力を振るわれていました、でも母親は見て見ぬふり、一回止めただけでやめてしまうそんな最低な母親でした。私の父はその時仕事だらけで朝は寝て昼から夜まで仕事と中々会えなかったです。でも私には叔母がいました。叔母はお兄ちゃんが暴力を振るったら怒ってくれる。でもその時私は何もしていないのに怒られてしまった。私はその時”自殺”という言葉を知らなかったのでしなかった。もし知っていたら私はもうここには居なかったかもしれない。でも私を助けてくれる叔母は結構頻繁に出かける。だから出かけない時はホントに嬉しかった。でもお兄ちゃんには怖くて近づくことが出来なかった。お兄ちゃんは発達障害という病気だった。だから私はお兄ちゃんに言われるままにするしか無かった。私のバレエの発表会の時にご飯を食べに行く時もお兄ちゃん、ゲームを2個買ってもらうのもお兄ちゃん。私が食べたりしてるのを奪うのもお兄ちゃん。母親はそれでもずっと無視する。私は幼い時辛くてしょうがなかった。誰にも助けて貰えなかった。でもある時”よっちゃん”というおばあちゃんの家に行ける時があった。私はその時よっちゃんって言うのが誰かは知らなかった。後に私の血の繋がったおばあちゃんなんだと気付いた。私はよっちゃんの家に逃げられると思いとても嬉しかった。よっちゃんの家に行く時だけ恐怖から解放された。お兄ちゃんの暴力は2.3年位は絶対に続いた。その時自殺を知らなくて良かった。でもお兄ちゃんが中学生になる少し前にお兄ちゃんからの暴力は止まった。母親は最後まで見て見ぬふりだった。私はいつもお兄ちゃんに濡れ衣を着せられていた。ホントに辛かった。今はお兄ちゃんと凄く仲良く出来ている。でも私は母親への恨みを晴らしたくはなかった。ホントに傷ついたから。ホントに辛かったから。私は母親も父親も大嫌いだ。
コメント
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また辛いことがあったら、また書いたり、してみてください僕は相談に乗るのが大好きなので、、 教えてください