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若井家の修行場は、年中陽の光が届かぬ石造りの地下にある。十歳に満たない滉斗の瞳は、過酷な鍛錬によって、同年代の子供が持つ輝きをすでに失いつつあった。
「……もう一度だ、滉斗。剣先がわずかに震えているぞ」
厳格な父の声が、冷たい空間に響く。滉斗の目の前には、巨大な氷の塊がそびえ立っていた。それは若井家の当主が術で生成した「決して溶けぬ標的」。
滉斗の小さな手は、真剣の冷たさで感覚を失い、随所に霜焼けが赤く腫れ上がっていた。しかし、彼は弱音を吐くことを許されない。剣士一家の長男として生まれた彼にとって、強さは義務であり、弱さは罪だったから。
「はぁ……はぁ……!」
鋭い呼気が白く凍る。滉斗が地を蹴り、一閃を放つと、氷の塊に深い傷がつくと同時に、凄まじい反動が彼の細い腕を襲う。
「……っ」
あまりの痛みに剣を落としそうになるが、彼は歯を食いしばり、血が滲むほど強く柄を握り直した。彼を動かしていたのは、家名への誇りではない。
(……もっと、強くならなきゃ。あいつを……元貴を守れるくらいに)
脳裏に浮かぶのは、王邸の庭で無邪気に花を愛でる、柔らかい笑顔の少年。
「ひろぱ!」と呼ぶその声に、いつまでも応えられる自分でいたかったのだ。
修行が終わり、夜の闇に紛れて屋敷を抜け出すのが、滉斗にとって唯一の「呼吸」の時間だった。
向かう先は、王邸の片隅にある元貴の部屋。
「ひろぱ! 今日も来てくれたんだね」
部屋に滑り込むと、元貴が弾むような声で迎えてくれる。元貴の部屋は、修行場とは正反対の、花の香りと温かな空気に満ちていた。
「……ああ。少し、寄っただけだ」
滉斗がそっけなく答えると、元貴はすぐに彼の様子に気づき眉を下げる。
「あ、また手がボロボロ……。待って、今治してあげるからね」
元貴が小さな手をかざすと、淡い緑色の光が滉斗の傷ついた手を包み込んだ。それは若井家の者が「弱者の術」と蔑む癒やしの力だが、滉斗にとっては、どんな名刀よりも価値のある救いだった。
「……痛くないか?」
「うん。僕、ひろぱの怪我を治すために、もっと術を練習するよ」
元貴が一生懸命に光を注ぐ姿を、滉斗はじっと見つめていた。
自分の手が氷のように冷たくなっていく一方で、元貴の温もりが心に染み渡っていく。
「……元貴。俺が強くなったら、お前のことを一生守ってやる。だから、お前はそのままでいい」
「えへへ、約束だよ? ひろぱ」
修行場に戻れば、また孤独で過酷な日々が始まる。
父から与えられる試練は日に日に激しさを増し、滉斗の剣はより鋭く、心はより硬い氷へと変わっていった。
しかし、どれほど心が凍てつこうとも、元貴に触れた手の温もりだけは、滉斗の魂の奥底で消えることなく灯り続けていた。
若き日の滉斗にとって、剣を振るう理由はただ一つ。
いつか来るかもしれない嵐から、あの小さな花のような少年を、命を懸けて守り抜くため。
その決意が、後に「若井家史上、最も冷酷で美しい」と言われる剣士を形作っていくことになる。
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