テラーノベル
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る日の夕暮れ時、台所から「あ、」という小さな声が漏れた。
それは、元貴が夕飯の支度中に、蕪の皮を剥こうとして包丁の先を指に掠めた、ほんの僅かな出来事だった。
「どうした、元貴!」
次の瞬間、庭で薪を割っていたはずの滉斗が、凄まじい速度で台所に現れた。その気迫は、かつて反乱軍の包囲網を突破した時よりも鋭く、切迫している。
「あ、ひろぱ。ごめんね、ちょっと指先を……」
元貴が苦笑いしながら見せた人差し指には、米粒よりも小さな、点のような血が滲んでいた。傷と呼ぶにはあまりに些細な、数秒もすれば止まるようなもの。
しかし、滉斗の瞳は、まるで王都の崩壊を再び目の当たりにしたかのように見開かれた。
「……ッ! 血が出ているじゃないか。おい、すぐに座れ。動くな、傷口に障る」
「えっ、いや、本当に大丈夫だよ? ちょっと洗えば……」
「黙れ。失血したらどうする。……おい、薬箱はどこだ! 術師を呼ぶ……いや、俺が診る!」
滉斗の狼狽ぶりは尋常ではなかった。彼は元貴の手首を、壊れ物を扱うように繊細に、それでいて決して逃がさない強さで掴む。
慌てて薬箱をひっくり返し、最高級の止血剤と、どこかの国から取り寄せたという絹の包帯を引っ張り出した。
「ひろぱ、本当に大袈裟だよ……。ただの『かすり傷』にもならないくらいなのに」
「お前にとっては些細なことでも、俺にとっては致命傷と同じだ。……いいか、お前のその手は、花を咲かせ、俺の傷を癒やすための手だ。不浄な刃で傷ついていいはずがない」
真剣すぎる滉斗の眼差しに、元貴は呆れを通り越して、胸の奥が熱くなるのを感じた。
滉斗は、傷口を丁寧すぎるほどに水で流し、丹念に薬を塗り込むと、小さな指先にこれでもかというほど厳重に包帯を巻き上げた。
「……よし。これで一週間は水仕事は禁止だ」
「一週間!? 晩ごはん、どうするのさ」
「俺が作る。あるいは、外から買ってくる。お前はただ、そこで座って俺を見ていればいい」
結局その夜、裁縫をしようとした元貴が針を持とうとするだけで「指先を酷使するな」と滉斗に止められ、元貴は一日中、ソファで毛布に包まれて過ごす羽目になった。
「ひろぱ、過保護すぎるよ……」
「……お前を守るのが、俺の唯一の任務だからな」
不器用な顔で、元貴の「重傷(に見える包帯)」を愛おしそうに撫でる滉斗。
最強の剣士が世界で一番恐れるものは、敵の大軍ではなく、愛する人の指先に滲む、一滴の紅い血なのだった。
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コメント
1件
うわあぁあ!最高です!ニヤニヤしちゃいました😩でででできればお熱で過保護になっちゃうとかもできますか🥺