「だから、味噌汁濃いってー」
「そんなことないですよ」
五月上旬の夕食時。今日も味噌汁の味について議論してると、暗い玄関よりダンダンダンと音がする。
これは訪問者が家主を呼ぶ音。呼び鈴みたいなものだ。
当初は身をすくませてしまったけど、今は慣れた。そのはずだったが、今はビクッと体を震わせてしまう。
何かが違う。……これって、まさか。
「あ、誰か来たな」 体が硬直してしまった私は、大志さんが玄関に向かおうとする気配にようやく気付く。止めないと。
「待って! 出ないで!」
気持ちのまま後ろから抱き付いてしまった。
「え。ちょっ、和葉!」
声が一段階高くなり、声が途切れ途切れになる。明らかに戸惑っていると分かるけど、それでも離さない。
「行かないで、お願い……」
「そうはいかんやろ? どうしたん?」
ダンダンダン。
そんなやり取りをしている間に、どんどんと大きくなる戸を叩く音。あまりの不穏さに体がガタガタと震えるけど、離さない。力の限り、必死に抑えた。
「……覚悟はしてたよ」
回していた手をそっと離した大志さんは、玄関に向かって行く。
「待って! 出たらだめ!」
「和葉は奥に行ってなさい。大丈夫だから」
初めて見た精悍とした表情。標準語で訛りもない、話し方。これが公的な場で出す顔なのだろう。
押し寄せてくる恐怖に、体が硬直する。
「遅くなりました。今、開けます!」
大志さんは戸に伸ばした手を一旦引っ込めたかと思えばこちらに振り返り、部屋の奥に指差す。話を聞くなと言いたいのだろう。
私は頷き、奥に足を進める。だけど意識はそっちに向き、気付けば体まで動いていた。
ガラガラガラと音を立てて開かれる玄関には、やはり村の人ではなく制服に身を包んだ役所の職員が立っていた。
「召集令状をもってまいりました。おめでとうございます」
渡される赤紙。まじまじと、それを見つめる背中。
ねえ、今あなたはどんな表情をしているの? どんな気持ちなの?
「ありがとうございます」
公的な場での声では、あなたの気持ちは分からないよ。
しばらくし戻ってきた大志さんは、食事をしてしまおうと声をかけてきて二人で濃い味噌汁を飲み干す。
最近体調が悪そうだから病院に行かないかと声をかけるも悪くないよと笑われ、最後の希望も打ち砕かれたのだと私は力なく俯いた。
食後の片付けが終わると、互いに正座して膝を突き合わせる。その面持ちも硬い。
「一週間後、俺は家を出て行く。和葉、そうゆうわけだから家と畑を任せて良いかな?」
「お断りします」
私は唇を噛み締め、真っ直ぐな瞳から目を逸らす。
男は国の為に戦い、女は家や畑を守る。
その価値観が当たり前とされる時代に、私はそれを拒否する。
私は大志さんの身内ではないけど、大志さんは私の居場所がなくならないようにと、私を信じて全てを任せようとしてくれている。
それなのに私は国の為に戦地に赴く兵隊さんの頼みの一つも聞かず、不義理な発言をしている。
「勿論、一人で管理は無理だから近所の人にも畑を手伝ってもらうように頼む。皆、協力してくれる。こうして男がいない村と畑を守ってきたんだ」
淡々とこの先について話していく大志さん。
やめてよ、自分が居なくなってからの話をするのは。
「どうして拒否しないのですか!」
俯いていた顔を上げ声を荒らげるけど、キュッと口を結ぶ。
分かってる。拒否なんて出来るわけない。
そんなことを口にしたら、非国民だと責められ投獄される。だから戦争に行きたくないなんて、誰も言えないんだ。それだけじゃない。夢を奪われても、飢餓に苦しんでも、空爆が落ちてきても、家族や友人が死んでも、自分の命が脅かされても、誰も反対出来ないんだ。
ここ、本当に日本なの? 八十年前はこんな国だったの? 誰かおかしいと言ってよ! だってこの時代、めちゃくちゃなんだよ?
「……匿います! 大志さんのことは知らないって警察の人に言います! 村の人達に協力を頼みます! みんな分かってくれますから!」
「そんなことしたら村の人にも、和葉にも迷惑かかる。そんな嘘吐かせること、出来るわけない」
「だったら逃げましょう! さすがに追ってくることまではしません!」
「そうしたら生活が出来なくなる。家も畑も捨てて逃げるということは、そうゆうことだから」
意思の強い瞳で首を横に振る姿に、私は。
「菅原平成先生。あなたは立派な方です。昭和初期の文豪と呼ばれる人ですよ」
「……文豪? 俺が? こんな訳分からん話ばっか書いてんのに?」
先程までの硬い表情と言葉遣いと打って変わり、不意なあなたが現れる。
やっぱり、こっちの方が好きだな。
「『生まれるのが早過ぎた天才』、それがあなたの別称です」
嘘偽りない事実を、淡々と話す。