コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
芳子は、ひたすら、西条家での扱われ方に文句を言っている。
「うん、結局、男爵という響きに乗っかって来ただけなんだろう。困ったことだ」
男爵は、芳子の言い分に相づちを打ちながら、弟、岩崎と、会話していた。
「京介、まあ、お前には降りかかってこないと思うが、田村には、気を付けた方が良い。あの焦り具合は、何かある。私は、田村の銀行から手を引くつもりだ」
「兄上、投資から手を引くということですか……」
男爵は、大きく振りかぶった。そこまで危険な状態なのか、はたまた、あの騒動がよほど頭に来たのか……。今一つ、読めないと思いつつ、岩崎は、立ち止まる。
結局、実《みのる》が、席を外している隙に、そして、田村と西条家を牛耳ろうと結託しているような、野口のおばが大人しくなった所で、岩崎家一同は、撤収というべきか、屋敷を去った。
それでも、去り際、田村と野口のおばが、西条家の挙式は来月執り行うつもりだなんだと、岩崎家一同を引き留めようと、あれこれ話を持ち出して来た。
「……なんでしょうか。あの焦り具合は……」
「そうだろう?京介。そこなんだよ。いくら、家が決めた見合いで、話が進んでいるといってもなぁ。来月祝言とは、焦りすぎている。つまり、田村の銀行は、あまり、かんばしくない、または、西条家の家業が……」
「なるほど、どちらかが、相手側の資産を狙っていると……いや、それなら、田村家から婿に入る訳ですから……。兄上、やはり、銀行業が……」
岩崎は、大通りに続く路上で、立ち止まったまま、兄の忠告のような読みに同意しつつ、渋い顔をした。
「やだわ、結局、田村家も西条家も、岩崎男爵という肩書きどころか、財産が目当て、ということ?!」
ぶつぶつと、実《みのる》への、不満を言っていた芳子も、路上に立ち止まり、ちらりと、岩崎に背負われている月子を見た。
「つまり、月子を、当てにしてるという訳か……。しかし、西条家は、今までさんざん、月子のことを……」
そこまで言うと、岩崎は、また、渋い顔をする。
岩崎家へ嫁ぎ、西条家と縁が切れるはずが、今度は男爵家の人間になるがために、月子は、利用されようとしている。
「これでは、何のために、岩崎家へ嫁いで来るのか……」
岩崎が、口惜しそうに言う側から、芳子が、じれったそうに言う。
「あら、それは、京介さん、あなたと、夫婦になるためじゃない。月子さんは、あなたに大切にされるために、やって来るのでしょ?」
「うん、その通り。月子さん、道々の話は聞かなかったことにして、存分に京介に甘えるといい。もちろん、私達もついているからね。何かあれば、すぐに言って来なさい。まあ、二人でのんびり暮らすといいよ」
ははは、と、男爵は笑って、岩崎と話し込んでいた件を誤魔化そうとした。
「申し訳ありません。色々とご迷惑をおかけして……」
岩崎は、男爵邸に住んでいないとはいえ、れっきとした、男爵家の人間なのだ。それなのに、訪れた西条家では、実《みのる》も含め、岩崎を散々こけにした。いや、男爵夫婦も、だろう。
いくら、突然押しかけたと言っても、あの、騒ぎは、ないだろうに。
月子は、いくらかは、自分にも責任のようなものがあると、顔を曇らせた。
仮に、自分が、西条家の実子であったなら、佐紀子にも、邪険に扱われなかっただろう。そして、見合い相手とも、上手く接してもらえただろう。
いや、もしかしたら、自分の相手が、実《みのる》だったかもしれない……。
「月子さん、余計なことは、考えないの!」
芳子が、心配そうに語りかけて来た。
「あっ、い、いえ、私は……」
考えていたことが、顔に出ていたのかと、月子は、焦る。
「あのね、京介さんは、月子さんのことが気に入ってるんだから、何も心配することはないのよ。と、言いたいんだけど、また、なんというか、察しが悪くて、女慣れしてないというか?って、慣れてても困るけどね」
ふふっと、芳子は、笑った。
「なんですか、気に入った、だ、なんだと。こ、これは、月子が、足を挫いているから、背負っているのであって、そして、見合いの相手ですから、失礼のないように、とりあえず……」
「とりあえず、押し倒したのか?京介?」
ははは、と、男爵が大笑いする。
「押し倒した?!」
岩崎が、裏返った声を出す。
「やだぁ、京介さん!もう!往来で、大きな声をださいでっ!」
芳子が、顔をしかめたが、その口元は、弛みきっていた。
「大声も、だけど。京一さん?気がついてまして?!ふふふ、いつの間にか、月子、月子よ!やっぱり、あれは、わざと押し倒したのよ!」
芳子が、西条家で、二人して倒れこんだ事を、からかってくる。
「な、な、何をおっしゃってるんです?!義姉上《あねうえ》!つ、月子まで、からかわないでください!」
「ほら、月子って言った」
あっと、岩崎は、芳子の指摘に叫び、月子は、その岩崎の背中で恥ずかしさから小さくなった。
くくく、と、男爵は、笑いを噛み締めている。
「と、とにかく、私達は、ここで失礼します!そこを曲がれば、神田方面ですから!」
言い捨てるように、岩崎は、またまた叫び、男爵夫婦から逃げるように、早足で、住み処のある方向へ歩んで行く。
そんな、二人の姿に、芳子は、ご機嫌ようと、笑いながら声をかけた。
それに応じるかのよう、岩崎が、小さく頭を下げている。
「……上手く行きそうだな。芳子」
「ええ、月子さんなら、きっと、京介さんの心をほぐしてくれると思うの。社交界やらなんやかや、色々と、好機の目は、向けられると思うけれど、そこは、男爵家のためですからね、ちゃんと、月子さんを守りますよ」
うんうん、と、男爵は、芳子の言葉に頷いている。
が。
「うちも、来月辺り、祝言を挙げるかね?さっさと、外堀を固めてしまえば、京介も、昔の事など、忘れるだろうし、いや、それがあるからこそ、早くまとめてしまうのも……ありなのかなぁ?」
「そうですわねぇ。と、いうより!京一さん!もしかして、田村家の実《みのる》とやらこそ、訳ありなんじゃないですか?!だから、祝言を急ぐんじゃないのかしら?!そう!破談にさせまいとして!!」
「なるほどねぇ、そうゆう見かたもありますか。まあ、どうあれ、田村の銀行事業は、少し気を付けた方がよろしいということだなぁ……」
だんだんと、小さくなっていく、月子を背負った岩崎の姿を見送りながら、男爵夫婦は、少し困った素振りをみせつつも、嬉しそうに、笑みを浮かべていた。