コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
広大な都を有したケドル侯国の末裔の男パジオを何とか細くて狭い杖に座らせ、ユカリは肩を借りつつ、杖の僅かな隙間につま先立ちする。曲芸師として糊口を凌ぐこともできそうだ。
「どうしてソラマリアさんは呪われたんでしょうか?」
「あれだけの数に襲われたのだ。一太刀でも、いや、掠り傷一つでも呪われる」
ユカリは嘘でもつかれたかのように不満そうな表情で首を傾げる。
「正直なところソラマリアさんならあの十倍の数を相手にしたところで掠り傷ひとつ負うとは思えません」
「馬鹿な。そりゃあ呪われたとはいえ生き延びたのだから相当の手練れには違いないが」
「どうしよう。解呪しようにも耳飾りはソラマリアさんが持ってるし」
「解呪!?」パジオが仰け反り、二人は慌てて手足を伸ばし均衡を保つ。「あんたら『虚ろ刃の偽計』を解呪しに来たってのか?」
パジオは疑念と希望の交じり合った声色で問うた。
「既にラゴーラ領とモーブン領の『這い闇の奇計』と『騙り蟲の奸計』は解呪しましたよ。シシュミス教団から聞いていませんか?」
その解呪の力は、近づく者に襲い掛かる最強の戦士の耳元で揺れているが。
「そりゃあ……すごい。そんな日が来るとは思ってもみなかった。いや、願ってはいたのだ。カードロアの復活。我が家の復権。この艱難辛苦はいずれ帳尻が合うのだ、と」
四十年の思いに浸っているパジオに申し訳なく思いつつユカリは話を変える。
「それは、ともかく少し空気の残りが心配になってきました。砦への案内をお願いします」
「ああ。任せろ。いや、待て。どうしたことだ。次から次へと。あれを見ろ」
パジオが指さすごみごみとした地上にはまたもや歩く死者たちの流れが生み出されていた。一人一人は乱雑に、何の意志も持っていないかのような歩みだが、全体を眺めると確かな指向性を持っている。まるでのたうちながら絡み合いつつ、しかし一心に必死に獲物を追う蛇の群れのようだ。
その流れの先にはやはり死者に溢れた地上を行く命知らずの生ける者がいる。とはいえユカリたちのように戸惑っている様子ではなく、星のない暗闇の中でも優雅に飛び交う蝙蝠や梟のように慣れた風に死者たちをかわして突き進んでいる。空から見ている者たちには気づいていないようだ。
「どうやら我らが新カードロアに向かっているようだ」とパジオが確信をもって説明する。
しかしユカリの耳には言葉が入って来ていなかった。それよりもその人物に、地上を逃げる明るい茶色の髪の少女に目を奪われていたからだ。
初めて出会った時はミジームの街で針と糸と不思議な話を買い、二度目はマデクタの街の近くで屍の灯と砂糖の袋を、ベルニージュは『工房構築論』を買っていた。今も携えているその籠には様々な品物が買い手を待っている。
それはユカリの本名と同名の少女ラミスカだった。いや、今となってはその自称も怪しいものだ、とユカリは訝しむ。
しかし何者であれ、単独でクヴラフワに侵入できる人物は相当の魔法使いに違いない。むしろソラマリアを救出する手立てが見つかるのではないか、という思いと共にユカリはもう一人のラミスカの元へと一直線に降下する。
すぐに自称ラミスカはユカリたちに気づき、真っすぐに引いた眉をあげ、周囲の呪われた死者など何でもないかのように陽気な眼差しで愛想の良い笑みを浮かべて迎える。
「あら、誰かと思えば姉さんだったの。また会ったね」
「この姿で会うのは初めてのはずですけどね」と魔法少女ユカリはすぐさま指摘する。
揚げ足を取られても自称ラミスカは一切心乱されずに自嘲的に笑う。
「おっと、そうだったっけ? 意地悪はよしてくれよ、ユカリ」
自称ラミスカはパジオに関してはちらと見ただけで何も言わない。三人は歩く死者たちから一定の距離を保ったまま進み続ける。
ユカリは魔法少女の杖が失った空気を取り戻しながら話す。「とりあえずラミスカさんが何者なのかは今は良いです。仲間がこの歩く死者がかけられている呪いにかかってしまいました。助ける方法はご存知じゃないですか?」
「どうしてあたしがご存じかもって思うのさ」
「まさか魔法使いじゃないなんて言いませんよね」
自称ラミスカは苦笑する。「言わないけど。残念ながらここには来たばかりでね。どんな呪いだか全然知らないんだよ」
「せめて耳飾りを取れれば――」
「おい! まずいぞ!」とパジオが急き立てる。「何て速さだ。何者なんだ、いったい」
ユカリが振り返ると、他の歩く死者たちと同様のきびきびした歩き方をしているソラマリアはしかし何倍もの速さで足を前に出し、その一歩は跳躍に近い力強さだ。
「傷を負った者が傷を負っていない者に襲い掛かる呪いです」とユカリは一息に説明する。「他に分かることはありません。どうにかなりませんか? せめて耳飾りを取り返せれば解呪できるんですけど」
ユカリはすがるような思いで自称ラミスカの答えを待つ。
「あの娘さんはどこを怪我したんだい?」
「分かりません。でもすごく強くて、そう簡単に怪我をするとも思えなくて」
ユカリたちはほとんど走りながら言葉を交わす。それでも徐々にソラマリアとの距離は縮まっていく。
「なるほどね。試してみよう。期待しないでおくれよ」
自称ラミスカは立ち止まり、振り返り、常人には聞き取れない速さで呪文を唱える。歯の間の舞台を、喉の伴奏で、舌が踊る。奏でられる音色はどれ一つとっても同じではない。それは手あたり次第、効果の見込めそうな魔術を行使しているのだった。
ソラマリアが迫る。他の歩く死者たちにも包囲される。もはやここまでか、とユカリがパジオと自称ラミスカの手を取ろうとした直前、凛々しい表情を取り戻したソラマリアが標的を変え、死者たちを跳ね飛ばした。
「すまない」ソラマリアは恥じ入る気持ちを隠さず言う。「意識はあったんだがどうにもならなかった」
「ああ、良かった」ユカリはほっと息をつく。「ラミスカ、さん。ソラマリアさんを助けてくれてありがとうございます。どうやったんですか?」
「どうやってって、怪我を治したんだよ。怪我をした者が呪われるんだろう?」
「ああ! そっか!」とユカリが納得し、
「なんだって!?」とパジオが驚く。
「パジオさん、今まで知らなかったんですか?」とユカリは自分を棚に上げてパジオを問いただす。
「いや、そういう試行はあった。だが効果はなかった、はずなんだ」
混乱している様子のパジオに自称ラミスカが説明する。「おそらくあたしみたいに一度に全身の傷を癒せる魔術師がいなかったんだろう。もしくは癒した端から新たに怪我をさせてしまっていたのかもしれないね」
ソラマリアが周囲の死者たちをばらばらにしてしまうと再び逃避行が始まる。今度こそパジオの案内に従い、新カードロア砦へと突き進む。
駆け足でソラマリアと自称ラミスカの挨拶が終わると、ラミスカという名に戸惑っているソラマリアをユカリは問い詰める。
「怪我はありませんか? もう無いんですよね? やっぱりソラマリアさんでもあの数は難しいですか?」
「ああ、これほど囲まれることはそうそうないからな。靴擦れで怪我したんだ。履き慣れない靴はやはりいかんな」
ユカリはぽかんと口を開き、自称ラミスカとパジオの方へ目を向ける。
「ああ、その通り。自身の体で傷つける以外はどんな怪我でもだ。君たちも気をつけろよ」とパジオは注意を促す。
そう言われてみるとパジオの衣服が隙間なく肌を覆っていることにユカリは気づいた。手袋も付けている。この呪われたケドル領ではほんの掠り傷が命取りなのだ。
「それで?」
ソラマリアの単純な問いと視線が自称ラミスカへと向かう。当然の疑問だ。
ユカリは知っている限り自称ラミスカのことを話す。自称ラミスカもまた特に口を挟むことなく、むしろ時々説明を補った。
「なるほど。まずは礼を言おう。ありがとう。ラミスカ」ソラマリアは丁寧に辞儀する。「ただ、話を聞く限り要警戒人物としか思えないな。どうしてユカリに付きまとう?」
「いや、ここで再会したのは偶然だよ」と自称ラミスカは悪びれもせずに言う。「あんたたちがクヴラフワに来るなんて知らなかった。入って来れるとも思わなかったしね」
ユカリとソラマリアも心中で同意した。見えない何かに無理やり連れて来られた件については何一つ進展していない。
自称ラミスカの話しぶりを聞くに、目の前の若い魔法使いは自力でこの封印された亡国へと入ってきたらしい。いずれにしてもただものではないのは間違いない。
ユカリは何ヶ月か前に聞いたベルニージュの言葉を思い出す。魔導書を集める人物と同名の人物が現れたなら何か隠された意味があるはずだ。何か目的があって近づいてきているはずだ、と。
とはいえ今まで敵意のようなものを感じたことはない。怪しいが、かといって追い払う気にもなれなかった。
一行は再び嵐の使者たる暗雲を横目にケドル領の深南部に築かれたという新カードロア砦へと向かう。特に招いたわけではないが、自称ラミスカもしれっと一行に加わった。