テラーノベル
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深い闇の底から浮上するように目を開けた瞬間、私の視界を暴力的に支配したのは、現実離れした青紫色のネオン光と、無機質な機械の明滅だった。
ふかふかの、けれど身体を底なし沼のように拘束し、自由を奪うゲーミングチェアの上で、私はようやく途切れていた意識を取り戻した。
(……ここ、は……? 私は、何を……っ)
鼻腔を突くのは、新品の電子基板が放つ独特の乾いた匂いと、研磨先輩がいつも纏っている、あの清潔な石鹸の香りに混じった、微かな彼の体温の残り香。
壁一面を埋め尽くす巨大なマルチモニターには、私の理解を遥かに超えた複雑なプログラミングコードや、校内の監視カメラの静止画、そして――今まさに、椅子の上で怯え、絶望に顔を歪めている私の「ライブ映像」が、複数のアングルから冷徹に映し出されていた。
「……おはよ、愛姫。……やっと、僕のホーム画面にログインしたね。ロードに時間かかりすぎだよ」
部屋の隅、巨大な液タブに向かってペンを走らせていた孤爪研磨先輩が、椅子をゆっくりと回転させてこちらを向いた。
ヘッドセットを首にかけ、少し乱れた金色の混じった髪の隙間から覗く、鋭い三白眼。
その瞳は、昨日までの焦燥感に満ちたものとは打って変わり、凪いだ海のように穏やかで、けれど底知れない独占欲という名の暗い熱に満ち満ちていた。
「研磨、先輩……。……ここは、先輩の……部屋、なんですか……っ? 出口は……っ」
「……部屋っていうか。……今日から、ここが愛姫の『全世界』だよ。……窓も全部防音材と遮光カーテンで完璧に塞いであるし、GPSの信号も外の電波も、ここには一滴も届かない。……僕が管理者権限(パスワード)を入れない限り、誰も、警察だって神様だって、君を見つけることは不可能なんだよ」
研磨先輩は、デスクから音もなく立ち上がると、私の足元に静かに跪(ひざまず)いた。
彼は私の震える足首を、細く白い指先で、骨の感触を楽しむようにじりじりとなぞると、冷たい、重厚な金属の感触をそこへ這わせた。
(カチャリ……)
短い、けれど頑丈な電子ロック式のアンクレット。
それは細い、けれど決して断ち切れない強化ケーブルで、彼のメインサーバーの支柱へと繋がれていた。
「っ……、研磨、さん……。これ、外して……っ。……おうちに、帰らなきゃ……お母さんが、心配……っ」
「……おうち? どこにあるの、そんな場所。……愛姫の両親は、今頃『娘は選抜合宿に行った』って僕の送った偽造メールを信じて喜んでるし。……学校の友達も、愛姫のアカウントが『もう疲れたから、全部やめて消えます』って呟いたのを見て、……君という存在をエラーとして処理して、もう忘れてるよ。君の居場所なんて、外の世界には一ミリも残ってないんだ」
研磨先輩が、私の膝の上に自分の頭を、甘えるように預けてきた。
その仕草だけを見れば、まるで恋人に縋る少年のよう。けれど、彼の唇から零れ落ちる言葉は、私の社会的な存在、人間関係、未来のすべてを根こそぎ「消去(デリート)」したという、残酷で取り返しのつかない事実を突きつけていた。
「……愛姫の世界には、もう、ノイズ(他人)は一人もいない。……バグも、面倒なアップデートの必要もない。……ただ、僕の隣で、僕が与える最高級のゲームと、僕の体温だけで生きてればいいんだよ。……それだけで、君というコンテンツは完成するんだから」
彼は私の凍りついた手を自分の頬に押し当て、強制的に私を自分というシステムに「同期(接続)」させる。
モニターの青白い光に照らされた彼の横顔は、この世で最も美しく、そして最も狂気じみた「絶対的管理者」の顔をしていた。
「……ねぇ、愛姫。……外の汚い世界より、ずっと静かで、完璧でしょ? ……ここで一生、僕と一緒に、終わらない二人だけのゲームをしようよ。……君のセーブデータは、僕が死ぬまで、毎日上書きして守ってあげるから」
逃げ場のない、青白い光が明滅する監獄。
私は、自分がもはや「双葉 愛姫」という一人の尊厳を持った人間ではなく、孤爪研磨という無敵のプレイヤー専用の、一生クリアすることの許されない**「特別な隠しキャラ」**としてハードディスクの底に固定されてしまったことを、深い、深い絶望と、同時に訪れた抗えない安堵の中で悟らされていた。
「……返事は? ……『はい、私の管理者(研磨)さん』。……これ以外、受け付けないよ」
研磨先輩は、私の指先に、ログイン完了の終身契約を交わすように。
深く、深く、自分の熱を永遠に刻み込むような、重い口づけを落とした。
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