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マレ王国の第六王子エリアス・マレ・シュクラバルは、薬草畑にしゃがみ込み、炎症に効く葉を採取しながら、ある女性のことを考えていた。
『エリアス、この間もらった風邪薬、とてもよく効きました!』
『あっ、手がかぶれてますよ。治癒の魔術で治しますね』
『前にチョコクッキーが好きだって言ってましたよね。これ、よかったらどうぞ』
綺麗な亜麻色の髪と翠色の瞳を持つ、愛らしい女性。
彼女に名前を呼ばれ、気にかけてもらえるだけで、幸せな気持ちになる。
(でも……)
彼女は優しいから、罪悪感を抱えたままのエリアスを放っておけなくて、世話を焼いてくれるのだろう。
自分は彼女を──聖女ルシンダを利用しようとしていた最低な男だ。
自分を信じてくれていた彼女を危険な目に遭わせ、傷つけてしまった。
彼女は、まるでそんな過去などなかったかのような態度で接してくれているが、きっと無理してそう振る舞っている部分もあるはずだ。
なぜなら、彼女がエリアスに向ける笑顔は、アーロンやライルたちに向ける笑顔と少し違うから。
彼らに見せる屈託のない笑顔と比べると、エリアスの前で浮かべる笑顔はどこかぎこちない。
わずかに緊張しているような、本心を隠そうとしているような、そんな笑顔だ。
それも仕方のないこと。自業自得。
そう分かってはいるが、やはりやるせない気持ちになってしまう。
(僕も、アーロンたちのように幼い頃から知り合いになれていたら……。せめて、ルシンダが聖女になる前に出会えていたら──)
そうすれば、ルシンダを王位継承の騒動に巻き込むことにはならなかっただろうし、彼女からも自然な笑顔を向けてもらえただろう。
そしてなにより、彼女を好きになる資格を持てていたはずだ。
ルシンダのことをどんなに大切に思っていても、どんなに恋焦がれていても、彼女を利用しようとした自分には、彼女を好きになる資格などない。
(早く、ルシンダへの想いを断ち切らないと……)
溜め息をつき、摘んだ薬草の葉を籠に入れて立ち上がったとき。
綺麗な亜麻色の髪を靡かせて、どこかへと出かける様子のルシンダの姿が目に入り、エリアスは思わず声をかけてしまった。
「ルシンダ」
名前を呼ばれたルシンダがくるりと振り返る。
「エリアス?」
友人の姿を見つけたルシンダが、わざわざ足を止めて引き返してくれる。
たったそれだけで、エリアスは嬉しい気持ちになってしまう。
「これからどこかへ出かけるの?」
ルシンダの格好を見ると、日除けの帽子をかぶり、歩きやすそうなブーツを履いている。
魔術師団の制服ではないから仕事で外出する訳ではなさそうだが、そうなるとかえって何の用事か気になる。
(誰かとデート……じゃないといいんだけど)
何人かライバルたちの顔を思い浮かべながら、さりげなく探ってみる。
「ひとりで行くの? それとも誰かと待ち合わせしてるとか……?」
どうかデートではないように……と祈るエリアスに、ルシンダが微笑む。
「実はこれから海で会う約束をしてる人がいて……。もう2年ぶりになるんですけど」
海で会う約束をしているということは、この辺りに住んでいる人ではなさそうだ。
それでも、2年も会っていなかったのに自分から訪ねに行こうとするだなんて、きっとルシンダにとって大切な人なのだろう。
「仲良しの友達なんだね」
何気なく言った返事だったが、ルシンダは少し照れたような笑みを浮かべた。
「友達、と言えるかは分からないんですけど、ずっと気になっていた人です。だから、ようやく会えるのがとても嬉しくて」
ルシンダの表情から、その人に会えるのを本当に待ち遠しく思っていたことが伝わってくる。
彼女にそこまで思ってもらえる人とは一体何者なのだろうか。
まさか男ではないよな、とどこか嫉妬のような気持ちが湧き上がってくる。
「……あのさ、その人って女の人だよね……?」
もし男だったらどうしようか。
無理やり行かせなかったら嫌われるだろうな。
こっそり後を追いかけて、どんな奴か確かめようか。
そんなことを考えながら尋ねると、ルシンダは口もとに手を当てて、可愛らしく笑った。
「ふふっ、エリアスも知っている人ですよ」
「えっ、僕も知っている人?」
海辺に知り合いはいないはずだが、一体誰だろうか。
まったく見当がつかないでいると、ルシンダが悪戯っぽく首を傾げた。
「よかったら、エリアスも一緒に行きますか? ……なんて、お仕事があるからダメですよね」
「行く」
「えっ?」
予想外の返事だったのか驚かれてしまうが、ルシンダと出かけるチャンスを逃す手はない。
「ちょうど仕事は終わったんだ。すぐに出かける準備をするから、ちょっと待ってて」
「は、はい」
本当はまだやることが残っていたが、明日に回しても問題ない。
エリアスは薬草の入った籠を片手に、大急ぎで支度をしに戻ったのだった。
◇◇◇
ルシンダとともに馬車に乗り、海へと向かって数時間後。
爽やかな潮風が吹きわたる白砂の浜辺に降り立ったエリアスは、こちらに向かって手を振る人物を見て目を丸くした。
「彼女は──」
ルシンダが笑顔で手を振り返しながら、エリアスに返事する。
「はい、肝試しのときに知り合った、人魚のレーヌさんです」
2年前、魔術学園の臨海学校で行われた肝試し。
ルシンダとペアになって歩いていたところ、岩場ですすり泣いていたレーヌに出会ったのだった。
レーヌは恋敵の人魚の娘に「人間」の姿へと変わる呪いをかけられ、尾びれは二本の脚へと変わってしまった。
激痛に襲われて歩くのもやっとだったが、故郷の海を恋しがり、毎晩岩場を訪れて、ひとり涙に暮れていたのだと語っていた。
そのときは、ルシンダの光魔術の力が足りなかったため呪いは解けず、足の痛みをなくしてやることしかできなかった。
しかし、今のルシンダの力であれば、呪いそのものを消し去ることができるはずだ。
(ルシンダは、彼女の呪いを解きに来たのか)
2年間ずっとレーヌのことを忘れずにいて、こうして助けに行くなんて、優しいルシンダらしい。
レーヌも心から感謝しているようで、ルシンダの手を握りしめて再会を喜んでいる。
「ルシンダ様、わざわざ来てくださってありがとうございます……! またお会いできて本当に嬉しいです」
「レーヌさん、お久しぶりです。お元気そうでよかったです」
「ルシンダ様もお元気そうで何よりです。ところで、そちらの方はもしやあの時の……」
エリアスに気づいたレーヌがルシンダに尋ねる。
ルシンダはにっこりと笑って頷いた。
「はい、そうです。あの夜、一緒だったエリアスです」
「やっぱり……! あの時はお世話になりました」
レーヌに深々と頭を下げられ、エリアスは少しだけ居心地の悪い気分になる。
「いや、僕は何もしてないから……」
肝試しの夜、エリアスはレーヌの泣き声を風の音だと思って無視しようとしていた。
レーヌの脚の痛みを消したのもルシンダひとりの力だから、礼を言われるようなことなど何ひとつしていない。
今日ここに来たのだって、ルシンダと一緒に出かけたかったからというのが一番の理由だ。
何やら申し訳ない気持ちになってきたのを誤魔化したくて、エリアスはレーヌの近況を尋ねてみた。
「海に帰れないのは大変だっただろう? 今までどうやって暮らしてたの?」
「それが、とても親切なご夫妻のお世話になりまして……」
レーヌの話によると、近くに住む老夫婦の身の回りの手伝いをする代わりに、家に住まわせてもらっていたらしい。
そして今日、故郷に帰るからと老夫婦に別れを告げて、この浜辺へとやって来たのだという。
「2年ぶりに帰るのは不安じゃない? 家族にも想い人にもずっと会ってないんだろう?」
「はい……。でも、やっぱり私は海の中で生きたいですから。家族もきっと私の帰りを待ってくれていると思いますので、早く帰って会いたいです。彼には──もしかしたらもう恋人ができているかもしれませんけど……」
少し切なそうに微笑むレーヌをエリアスが見つめる。
「……もし彼とは結ばれなくても、君が彼を想っていた気持ちも時間も、無駄じゃないから」
レーヌを励まそうと掛けた言葉だったが、もしかすると自分に言い聞かせたかっただけかもしれない。
けれど、レーヌは柔らかな笑みを浮かべてエリアスを見つめ返した。
「……そうですね。たとえ失恋してしまっても、恋したことは無駄じゃなかったんだって、そう思って乗り越えようと思います」
それぞれが感傷にひたり、潮騒の音だけが辺りに響く。
しかし、しばらくするとルシンダがぱちんと両手を鳴らした。
「さあ、そろそろ呪いを解いてしまいましょう! レーヌさん、人目につかない岩場に案内してもらえますか?」
「はい、分かりました」