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レーヌは、2年前と同じ岩場へと案内してくれた。
ここは海に入るとすぐ深い場所になるようで、呪いが解けて尾びれが戻ったときに飛び込むのに丁度いいらしい。
「それでは、始めますね」
ルシンダがレーヌの脚に両手をかざして魔力を練る。
すると、手の平から白い光が溢れ出して──。
と、そのとき、突然知らない女の怒声が響き渡った。
「邪魔するんじゃないわよ!」
皆が驚いて顔を上げた瞬間、海から高い渦が立ち昇った。
そして、まるで海蛇のようにしなってルシンダの体に巻きつくと、そのまま一瞬で海の中へと引きずりこんでしまった。
「きゃあ! ルシンダ様!?」
「ルシンダ!? クソッ……!」
エリアスが躊躇なく海へと飛び込む。
やや離れた前方に、ルシンダと、彼女を腕に抱く人魚の女の姿が見えた。おそらく、レーヌに呪いをかけた張本人だろう。
(呪いを解かせないためにルシンダを攫ったんだな)
当たり前だが、人間は人魚とは違って海の中では呼吸ができない。
あの人魚はこのままルシンダを溺れ死なせるつもりだろう。
(そんなこと、絶対させない……!)
どんどん海の深くへと潜っていく人魚を必死に追いかける。
しかし、泳ぎは得意なほうではあったが、さすがに人魚に敵うはずもなく、次第に距離は開いていく。
このままでは追いかけては、自分の命も危うくなるだろう。
(……でも、ルシンダと同じ場所で死ねるなら、それもいいかも)
この想いが叶うことはなくても、誰にも邪魔されない海の底でずっと二人きりでいられるなら、それも悪くないように思える。
そんな考えがふと頭をよぎったとき、ルシンダがこちらを振り返り、苦しそうな顔で首を振るのが見えた。
エリアスに「来ないで」とでも言うように。
たしかに、もう息が続かない。限界が近づいている。
(──でも、ルシンダだけは助けなくては)
自分はもうどうなってもいい。
彼女を利用しようとした罪をどうすれば償えるかと考え続けていたが、今やっと、それが叶うかもしれない。
エリアスが右手を伸ばし、狙いを定める。
そして練り上げた魔力を真っ直ぐに解き放つと、青白い光が人魚の尾びれに命中し、一瞬で固い氷に覆われた。
「なっ、何……!?」
尾びれが凍結して泳げなくなった人魚が、バランスを取ろうと慌てて手を広げた。
拘束の緩んだルシンダが、急いで人魚の腕から脱出する。
手を伸ばすエリアスのもとへと懸命に泳ぎ、ようやく二人の手が触れそうになったとき、人魚が恐ろしい声で叫ぶのが聞こえた。
「逃がさない!」
沈んでいく人魚の周囲から再び海蛇のような海流が生まれ、こちらへと襲いかかる。
「レーヌの呪いは解かせない! そうすれば、もうあの人も諦めてくれるはずだから……!」
人魚が涙をこぼしながら、深い海へと落ちていく。
(お前の気持ちも分かるけど……)
報われない想いを持て余す気持ちは理解できる。
邪魔者を疎ましく思う気持ちも。
しかし、ルシンダを傷つけることは許さない。
エリアスがありったけの魔力を込め、海蛇に向かって魔術を放つ。
それを正面から食らった海蛇は頭から尻尾まで凍りつき、そのまま人魚の後を追うように沈んでいった。
(ルシンダ……助けられてよかった……。ほら、早く泳いで……君だけは、助かって──)
泣きそうな顔でこちらを見つめるルシンダに微笑んだあと、エリアスの視界は暗くなっていった。
◇◇◇
「────……うっ……」
ゴホッ、ゴホッと何度か咳き込みながら、エリアスが目を覚ます。
陽射しが暖かい。爽やかな潮の香りも感じる。
そして、目の前には水に濡れたままのルシンダの姿が見える。
「……僕、なんで……」
たしか、意識を失って海に沈んでいったはずだ。
それなのに、なぜ岩場で横になっているのだろう。
不思議に思ってぱちぱちと目を瞬かせると、ルシンダが綺麗な翠色の瞳を潤ませてエリアスに抱きついた。
「エリアス、よかった……!」
「えっ、なっ、ルシンダ!? 待って、ちょっと離れて……!」
一気に頭がはっきりして、慌ててルシンダの体を離す。
海水で濡れたまま抱きつかれるのは、さすがに刺激が強すぎる。
体を起こし、適切な距離をとってから、なるべく心を落ち着かせてルシンダに問いかけた。
「僕は海に沈んだと思ったのに、ルシンダが助けてくれたの?」
ルシンダにもそんな余力はなかったはずだが、と思いながらも尋ねてみると、ルシンダは「いえ」と言って首を横に振った。
「エリアスを助けたのは、私ではなくてレーヌさんです」
あのとき、ルシンダは近くまで泳いできてくれていたレーヌの呪いをすぐに解いて、人魚に戻ったレーヌがエリアスを捕まえて岩場まで運んでくれたのだと教えてくれた。
「あとはとにかく必死で……」
「治癒の魔術を使ってくれたの?」
「はい、あと……緊急事態だったので……人工呼吸も……」
(人工呼吸って……)
瞬時にルシンダが自分に口づけて人工呼吸をしてくれている光景が思い浮かび、エリアスの顔が赤くなる。
(いやいや、そういうのじゃないから……!)
ルシンダは呼吸の止まったエリアスをなんとか助けようとして、人工呼吸をしてくれたのだ。
変なことを考えては、ルシンダに失礼だ。
「き、緊急事態だったからね。仕方ないよね、うん」
あくまでも救助活動の一環に過ぎなかったことは理解しているとアピールしたつもりだったが、ルシンダの表情はなぜか少し曇ってしまった。
「……すみません、そんなことをしてしまって。嫌でしたか……?」
あまりにも悲しそうな声で言うものだから、エリアスは慌ててかぶりを振った。
「そんなことないよ! 嬉しかった! いや、嬉しかったって言うのも変だけど……」
うっかりおかしなことを口走ってしまい、エリアスが頬をかく。
「その、なんていうか……まさか助けてもらえるとは思わなくて。あのとき、君さえ助けられたら、僕は死んでも構わなかったから」
エリアスの言葉に、ルシンダがショックを受けたように目を見開く。
「そんな……どうしてそんなことを言うんですか? 嫌です、エリアスが死ぬなんて」
可憐な声を震わせて、泣きそうな顔でエリアスを見つめる。
その姿がとても愛おしく思えて、エリアスはつい本音を漏らしてしまった。
「……だって、君のことが好きだから。僕にとっては、君が何より大切なんだ」
言ってしまった。
こんなこと、言うつもりはなかったのに。
生死の境を彷徨ったせいで、少しおかしくなったのかもしれない。口に出してしまうと、案外すっきりとした気分だ。
でも、突然告白されたルシンダは黙ったままだった。
「──ごめん、僕にこんなこと言われたって困るよね。忘れて」
気持ちが通じ合うことを期待していた訳ではない。
想いを伝えられただけでもよかった。
そう思って、笑って誤魔化す。
しかし、ルシンダがぽつりと返事した。
「……嫌です。忘れません」
エリアスにとっては嬉しい返事だが、これはきっとルシンダの優しさだ。
「ありがとう。でも、君は優しいから同情して言ってくれてるんだろう? 僕は大丈夫だから気にしないで」
きっと振られると思っていたから。
けれど、ルシンダはエリアスの目を見つめ、今度ははっきりとした声で言い返した。
「同情なんかじゃありません。だって、私……」
ルシンダが切なそうに眉を寄せる。
それからしばらく、言葉を探すように視線を揺らしたあと、ゆっくりと話し始めた。
「……私、エリアスのことがずっと気になってたんです。私を見る目に、いつも罪悪感が混じっているのを感じてしまって──」
(ほら、やっぱり同情じゃないか)
そう思ったものの、一生懸命に言葉を紡ごうとするルシンダを遮るのは気が引けて、エリアスは耳を傾けることにした。
「エリアスは、最初に出会ったときは私を利用しようと考えていましたよね。でも、それが途中から後悔と罪悪感に変わっていって……。だから、なんだか出会ったときから今まで、エリアスの心からの笑顔を見たことがないんじゃないかって思って。どうしたらエリアスの罪悪感をなくせるんだろう、どうしたらエリアスの本当の笑顔を見られるんだろうって考えてたら──いつの間にか、エリアスのことで頭がいっぱいになってるのに気づいたんです。離れていても、エリアスのことが気になって、エリアスと会えると嬉しくなって……」
「え……?」
ルシンダが恥ずかしそうに目を逸らす。
ふっくらとした頬が、赤く色づいている。
(まさか、そんなはず……)
でも、こんなに可愛らしい表情を見せられては、期待を抑えることなんてできない。
「ルシンダは、ずっと僕を意識してくれてたってこと……?」
慎重に尋ねるエリアスに、ルシンダがこくんと頷く。
「それって、君も僕を好きってこと……?」
ルシンダがもう一度、頷いた。
「……はい」
その一言だけで、嬉しくて胸がいっぱいになる。
自分には決して手に入らないと思っていた宝物が、まさかずっとそばに寄り添ってくれていたなんて。
「──僕、自分にはルシンダを好きになる資格なんてないと思っていたんだ。でも、僕にも資格があるって思ってもいいのかな……?」
まだ少しだけ不安を抱えて尋ねるエリアスに、ルシンダが眉を下げて微笑んだ。
「そうじゃないと困ります」
「ルシンダ……!」
これ以上我慢できず、エリアスがルシンダを抱きしめる。
細くて柔らかで、気をつけないと壊れてしまいそうなのに、こうして触れるだけで心を温かなものでいっぱいにしてくれる。
「……もう祖国へは帰らない覚悟は決められたのに、君への想いを捨てる覚悟だけはできなかった。僕の心を満たしてくれるのは君だけなんだ。これからも僕のそばにいてくれる……?」
「はい、もちろんです」
波の音より心地良いルシンダの声が、エリアスの願い事に優しい返事をくれる。
2年前のあの日、恋に落ちたこの海で、ルシンダへの想いがさらに募っていく。
でも、もう罪悪感は覚えない。
ルシンダは、エリアスを好きだと言ってくれた。
だから、これからは堂々とこの想いを捧げたい。
「……君との出会いがもっと早ければ、打算のない綺麗な出会い方をしていればって、ずっと思ってた。それでも、君と出会えて本当によかった。ルシンダ、こんな僕を好きになってくれてありがとう」
顔を上げ、ルシンダを正面から見つめてそう言えば、ルシンダはこつんとエリアスと額を合わせた。
「”こんな” だなんて言わないでください。エリアスはとても素敵で大切な人です」
エメラルドのような美しい瞳が、柔らかく細められる。
「……これだから、僕は君に焦がれずにいられないんだ。好きだよ、ルシンダ」
エリアスは心からの笑顔を浮かべ、腕の中で微笑む愛しい人にキスをした。