テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
第5話『喧嘩』
薄暗く、夏の昼間だというのに肌寒いゲームセンターの、格闘ゲームコーナーの付近で——アルトラは右ストレートを茶髪の高校生の右頬に叩き込んだ。
鈍い音が響き、一瞬時間が止まったかのような錯覚に、きっとこの場にいた全員が陥っただろう。
——しかし、茶髪の高校生が鉄製の低い椅子を巻き込んで、地面に金属が強くぶつかった、ガキンという音と共に、その錯覚は終わり、一滴の鼻血を合図に、暴力の応酬が始まった。
「——てめぇっ!」
——金髪の高校生がアルトラに向かって叫ぶと、同級生の不良たちがアルトラを逃すまいと、彼に掴みかかろうとする。
しかしアルトラは、一人、また一人と蹴り、転ばせ、投げ飛ばし、圧倒的な力で同級生たちを叩きのめす。
それでも、圧倒的な体格差には敵わず、金髪の高校生の蹴りを受け、体勢を崩して、胸倉を掴まれた——が。
まさかアルトラには、体格の差など関係がないのか……逆に高校生を掴み返して、とんでもない力で壁際まで押し込む。
目の前で行われる本気の喧嘩に、私の足は完全に竦んでしまって、まるで地面が|泥濘《ぬかる》んでいるかのように感じられ、まともに立つことすら出来なくなってしまう。
私はただ、あの日受けた暴力を思い出しながら、膝を床につき、ほとんど本能的に——あの日のように謝り、謝り、謝り続けながら、嵐が過ぎるのを待とうとした。
「やめて、ごめんなさい、ごめんなさい……」
——アルトラ、やめて、抵抗したら、殺されちゃう。
ただ受け入れて、ただ過ぎ去るのを待てば、苦しいのは終わる、痛いのもすぐに終わる、だから、やめて——
だが、私がいくらそう思っても、アルトラは決して止まらない。
アルトラが——あの優しい彼が、鬼の形相で金髪の高校生に頭突きを食らわせている。
その隙に茶髪の高校生の蹴りを横腹に受け、ゲーム機に衝突し、そのまま髪の毛を掴まれてしまう。
アルトラは、同級生の奴らにも殴られ、蹴られ、痛い目に遭わされている。
——私はただ、恐怖に支配されたまま、やられてしまいそうな彼を、見ていることしか出来ない。
「殺してやるよクソガキが!」
頭突きを受けた金髪の高校生が激高して、周りの不良が離れた一瞬に、体勢を立て直そうとしたアルトラの顔面に右ストレートを叩き込む。
——アルトラは私の方に飛ばされて、鼻血を流し始める。
彼は一瞬意識が飛んでしまったのか、受け身を取って転がったまま、立ち上がらない。
それなのに、茶髪の高校生はゲーム用の椅子を持ち上げて、彼にトドメを刺そうとする。
——怖い、アルトラが殺されちゃう。
私は何とか、膝を足の代わりにしてアルトラに近寄って、目を開かない彼を守るために覆いかぶさり、ただ「ごめんなさい、ごめんなさい」と彼らに謝る。
「どけやコラァ!」
茶髪の高校生が怒鳴りながら私の横腹を蹴り飛ばすと、私の悲鳴で目を覚ましたアルトラは、すぐに立ち上がる。
―—先ほどよりも激しく怒りながら、茶髪の首元を一瞬掴んだかと思うと、そのまま押し倒すように突き飛ばしながら、右足で相手の両足を、奥から思いっきり薙いで、後頭部からかなりの勢いで地面と接触させた。
——その一撃で、茶髪の高校生は意識を失ったようだった。
「女の子に手出してんじゃねぇよクソボケが!」
恐らく相手にはもう聞こえていないが―—彼は怒鳴りながら、倒れている茶髪の顔面に思いっきり蹴りを入れる。
その直後に飛び込んできた金髪のタックルで、アルトラは再び私の目の前まで突き飛ばされて、よろよろと立ち上がる前に、顔面に蹴りを受けて後ろに吹き飛んだ。
大きなダメージで、再び床に倒れたアルトラは、すぐには立ち上がれないようだった。
金髪の男は、そんな彼にトドメを刺すべく、入り口の横に置いてあった、畳まれたパイプ椅子を持ち上げて、アルトラに近付こうとする。
——私が、アルトラを、守らなきゃ。
「やめて、アルトラを殺さないで、お願いします……」
すくむ足で何とか立ち上がり、アルトラの前に割り込んで、金髪の男を通せんぼするように手を広げて、彼への追撃を阻止しようとした。
——しかしアルトラは、そんな私の腕の下をすり抜けて、金髪にタックルを返し、そのままバランスを崩して尻もちをついた男に馬乗りになって、顔面を殴り始めた。
ゴンッ、ゴンッ、と床に響く程の攻撃で金髪もすぐに意識を失った様だが、それでもアルトラは構わず——相手の頭蓋骨を割る気なんじゃないかと思う程の勢いで殴り続けた。
同級生の不良たちも、手を付けられない程に暴れるアルトラを見てすでに戦意喪失したようで、近づくことも出来ず、ただ遠巻きに、彼の間合いに入らないように様子を見ていた。
「お、おい、それ以上殴ったら死んじまうぞ……」
不良の一人が彼を止めるために声を掛ける。
するとアルトラは立ち上がり、彼らの方を向きながら、ゆっくりと追いかけようとする。
そんな姿を見た不良たちは、アルトラがもはや誰にも制御不能な、子供の喧嘩やいじめの範疇を超えた、剥き出しの殺意であることを感じたのか、恐怖の滲んだ、歪んだ顔を各々浮かべながら、走って逃げ出した。
——喧嘩は、終わった。終わったのに、正気を失っているのか、アルトラはふらつきながら、鼻血を床に垂らしながら、拳を握ったまま、歩く。
「——お願い、止まって、アルトラ、もう大丈夫だから……」
よろよろと奴らを追い掛けようとするアルトラに声を掛けると、アルトラは血だらけの恐ろしい顔のまま、私のほうに振り返る。
——虎、捕食者。狂気と殺意に満ちた、暴走した暴力の目で、一瞬だけ、私を睨んだ。
彼の目には恐れなどなく、ただ目的を達成するためだけに力を操る『暴力装置』のような、血に濡れた破壊者の目をしている。
——殺される。
彼に睨まれ、私は足のみならず、全身が震え上がり、力が抜けてしまうのを感じる。
圧倒的な威圧感を前に、私も思わず腰を抜かしながら、勝手に身体を引いて逃げ出そうとしてしまった。
——そんな私の姿を見て、彼は我に返ったように悲しそうな顔をして、ようやく立ち止まったのだった。
けたたましいサイレンを鳴らしながら、数台の救急車が先に到着して、少し後からパトカーが列をなしてやってきた。
倒れている二人の高校生はどちらも気を失ったままで、そのまま担架に乗せられて運ばれて行った。
救急車に乗ることを拒んだアルトラは、レーシングゲームのコーナーで四人の警察官に囲まれて、冷静に質問に答えているようだった。
——私は、男女の警察官に「大丈夫?」と声を掛けられながら、うわごとのように「アルトラ、アルトラ、」と、大人たちに引き離された彼の名を呟いていた。
「……君も、あそこの彼に蹴られちゃった?」
婦警さんは、しゃがみ込む私に毛布を掛けてくれながら、見当違いの質問をした。
私はすぐに婦警さんの推測を否定しようとして——戦いが、暴力の領域から外れ、言葉で彼を守る段階に入ったことに気付いた。
——私が、アルトラを、守る。
「違います、アルトラは私を……あいつらから守る為に、あいつらを倒したんです……」
「……そっか、救急車で運ばれた子たちとは、面識はあるの?」
そう聞かれて、一瞬どう答えようか迷った後で、私はただ「はい」と答えた。
隣でメモを取る男の警察官は、私が答えたことを書き込んでいるようで、これがあとからアルトラを『裁く』ための材料になると思うと——私は、彼らまで憎く見えて仕方がなかった。
「ゲームをしてて喧嘩になっちゃった?」
「違います! あいつらが、無視してたのに私を捕まえて、アルトラがそれをやめさせようとして……喧嘩になっちゃったんです」
「どっちが先に殴ったの?」
「…………アルトラが、私を守る為に、先に殴っちゃいました」
——バレる嘘は吐けない。嘘で彼を守れるなら、どれだけでも吐くし、どんな目にあっても構わないけれど、それで私や彼の『証言』が信憑性を失うのは、避けたかった。
婦警さんは少しだけ考えたあとで、ため息まじりに「そっか」と言うと、それからは学校の話や不良たちとの関係などについて聞き始めた。
自転車も置いたまま、迎えに来た母に連れられて、病院で念の為に簡単な検査を受けてから家に帰ることになり、帰った頃にはすっかり日も沈んでいた。
夕ごはんを食べている間、仕事を切り上げて帰ってきた父は、うつむく私の頭を、まっすぐと見つめている。
——私を心配して仕事を早退し、仕事用の軽トラックでゲームセンターから自転車を回収してくれた父は、それでも私が気持ちの整理を終えていないのを察してか、事件については聞いてこなかった。
「今日はゆっくり寝て、明日、取り調べが終わったら話してくれ」
「……うん」
そんな私たちの様子を見ていた母は、病院でレントゲンを撮って、結果が分かるまでの間、ずっとそばに居てくれた。
軽い打撲、高校生に横腹を蹴られた痛みが少し残っているが、大きな怪我は負わずに済んだ。
「無事で本当によかった……」
「……うん」
アルトラは——大丈夫だろうか、気を失う程の暴力を受けて、それでも私を守るために戦って、傷付いて——
私がすぐに逃げられなかったから、アルトラは戦うしかなかった。
一番大事な友達……唯一の友達である彼を、私が傷付けてしまったのだ。
父が買ってきてくれた夕飯のお弁当を食べ終わると、すぐにお風呂に入って眠ることになった私は、アルトラにメッセージを送ろうとして——やめた。
ただ、彼の呟きが更新されていないのをベッドの上で確認して、なかなか寝付けないまま、布団を抱きしめていた。
翌日、翌々日と取り調べは続き、私は婦警さんに容疑者との関係や、彼らと喧嘩になった経緯などについて、何度も聞き取りをされた。
その度に何度でも「私の為にあんなことをした」「アルトラは悪くない」と、精一杯、彼を弁護した。
「ところで、アルトラ君は彼らに『次やったら殺す』って言ってあった——と言っていたみたいなんだけど、前にもこんなことがあったの?」
珍しく新しい質問が飛んできて、私は困惑したが、心当たりのない話だった。
——前、とはいつのことだろう。
私は、彼がそんなことを言っている所を見ていないし、他の誰かを守るためか——あるいは、私の過去について、アルトラが私の知らないところで何かをしていて、それについて話したのか。
どちらにしても、私の知る範囲ではなかった。
「知らない……です、彼と知り合って、初めて彼があんなことをしているところを見たので……」
「——そうよね」
婦警さんは私の目を見ながら、私が話したことをパソコンに打ち込んでいく。
そして、画面を見ながらキーボードを叩きつつ、呟くように言葉を漏らす。
「彼、少し正義感が強過ぎるみたいね。2年前にも事件を起こしちゃってるから……立場上、あんまりこういうことは言いたくないけど、彼とお友達でいると——『また』巻き込まれちゃうかもしれないよ」
——それは警告だった。
クラスメイトのみんなと同じで、この人もアルトラと関わるのは良くないことだ、と言い放ったのだ。
——私は、それを許せない。
「——なんで、ですか」
突然声色が変わった私に驚いたのか、婦警は打ち込む手を止め、私の顔をしっかりと見た。
しかし一番驚いたのは私だった。今まで感じた事がない感情——細く、固く、鋭く、冷たい何かが飛び出し、まるでハリネズミにでもなったかのような感覚が全身を支配した。
「なんでって、それは……もしかしたら、『また』彼は衝動的に行動しちゃうって事があるかも知れないから」
婦警は、しどろもどろになりながら答える。
小さな個室の空気が、開けられた窓から入り込んだ強い風で、部屋が一気に熱くなった。
ハリネズミは、婦警の目を睨む。
——お前に、アルトラの何がわかる。
「させません」
そんな婦警の目を突き刺しながら、ハリネズミは即答した。
私は、アルトラの優しさを知っている。
彼の本当の姿を、知っている。
——私だけが、知っている。
「私が、そんなことはさせません」
本当は面白くて、寂しがりやで、素直な彼を知っている。
だから、アルトラが暴力なんて望んでいないと、私は知っている。
婦警はしばらく、何か言い返そうとしていたが、何を言っても無駄だと悟ったのか、「そっか」とだけ言って、また何かパソコンに文字を打ち込み始めたのだった。