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第6話『反抗』
白いカーテン越しに朝日が照らす、見慣れたテーブル。その真ん中に飾られているはずの花瓶の花は、母の城であるアイランドキッチンにお出かけ中だった。
事件から三日後、サービス業で勤める父の休みの日に合わせて、重々しい雰囲気の家族会議が行われていた。
「それで、リン。何があったんだ」
——また禁煙に失敗したのか、若干タバコの臭いを纏ったまま、高圧的な態度の父は、私に質問をした。
「……友達とゲームセンターに行ったら、変な人たちに絡まれて、大喧嘩になっちゃった」
「その友達の名前は?」
「……アルトラ、有賀虎太朗」
「男の子か」
「うん……」
まだ本題について話してもいないのに、父は初めて出来た男友達と言うだけでアルトラのことを悪い目で見ているようで、眉をひそめた。
そして、事件ではなく、彼について深掘りするように質問を重ねる。
「アルトラ君は、どんな奴なんだ」
「えっと……身体が大きくて、水泳と柔道をやってて、ピアノも弾けるらしくって……」
「違う。リンにとって、どんな男なんだ」
「ちょっと」
本題とズレた質問をし始めた父に対して、ある程度の事情を警察から聞かされている母はストップをかけた。
「問題は、その子がどうして喧嘩をして、どうしてリンが巻き込まれたのか、でしょう」
「……それもそうか。リン、どうしてアルトラ君は喧嘩なんかしたんだ」
「それは、喧嘩相手の一人が私に……嫌なことをしようとしたから」
「嫌な事とは?」
「……言いたくない」
「まあそれは良い、それでなんでリンが巻き込まれると分かっていて、そいつは殴り合いなんかしたんだ」
——何故、と言われても、あいつら相手に言葉でどうにか出来るわけがなかった。
奴らの目的は私をいじめることで——アルトラは、むしろ私に巻き込まれて喧嘩になったのだ。
「だって、私はあいつらの一人に掴まれて、逃げられなかったから」
「守ってくれた、と?」
「うん、そう、アルトラが私を守ってくれた」
私はその言葉——アルトラを肯定する言葉を言えたことに少し安心し、思わず顔を上げて、父に『彼は悪くない、だから今回はヒーローが助けてくれたって話で終わりだよ』と、明るい顔を見せた。
しかし、目の前にあったのは、依然として重々しい雰囲気のリビングと、不満そうな父の顔だった。
「だがアルトラ君と喧嘩相手には面識があったそうじゃないか」
父も母から多少は話を聞いているようで、それは『原因はアルトラにあるのではないか』と問いかけられたも同然だった。
「……あった。私もあいつらには迷惑かけられてた」
「そうか」
「でも、前にもアルトラに助けられた」
「いいか、リン」
「アルトラは先にあいつらに背中を叩かれてたし……」
「リン。」
「違うの、アルトラは望んで暴力なんて……」
「リン!!」
突然父は怒鳴り声を上げ、私は思わず怯えて、身体が震え始める。
——怖い。
昔から、父に怒鳴られると、私の身体は自然と萎縮してしまい、呼吸が乱れてしまう。
暴力こそあまり振るわれたことはなかったが——それでも、よくしつけられた私の心は、条件反射で身体を震えさせる。
「彼は、以前にも教師にいやがらせや暴力行為を行っていて、それで警察に迷惑をかけたことがあるらしいじゃないか」
……でもそれは、私の裸の動画を消すためで、みんなを守るためで。
「それに、周りからも避けられていて、みんな彼に怯えて関わらないようにしているそうだな」
……それはバカヒロの噂がひとり歩きしてアルトラの評判を悪くしているだけで。
「しかも、お前が巻き込まれるかも知れないことも想像せず、ゲームセンターに連れ出して怪我をさせた」
ゲームセンターに誘ったのは私だし、怪我をさせられるようなことをしたのも私で、アルトラは悪くない。
——それなのに、震える私の身体から言葉は出ない。
口答えをするな、と怒鳴られるのが怖いのだ。
「とりあえず、ゲームセンターは高校生まで禁止だ。いいな?」
「……はい」
「それと、あいつらと関わるのも禁止」
「あいつら……」
——私の絶望した顔を見て、父は冷たい釘を心臓に突き刺すように、補足する。
「もちろん、アルトラともだ」
「そんな……!」
アルトラは私の唯一の友達で、理解者で、守ってくれた人なのに。
——何故、何も知らない父が、何も助けてくれない父が、アルトラと会うのを、そんな簡単に禁止出来るのか。
……なんでみんな、アルトラのことを何も知らないくせに、そんなに簡単に彼を悪人扱いするのか。
何も、知らないくせに——
——ハリネズミは、私の恐怖を貫いて、身体を支配していた震えを納めた。
冷たい空気が、熱を帯びた肺を満たした。
そして私は、父の目をはっきりと見ながら、そこに針を突き刺した。
「嫌だ。私はアルトラと友達で居続ける」
いつもよりはっきりと、自分が何を考えているのか理解できた。
この後で怒鳴られるのも分かっていて、大喧嘩になることも、察している。
——私は、アルトラを守る。
父がどれだけ吠えようと、怖くなんかない。
「リン!!」
机をバン、と叩きながら、父は立ち上がる勢いで怒鳴る。
食器も花瓶も乗っていない木製の机は、私を威嚇するように動き、構造を支える脚が、私の足にぶつかった。
「嫌だ!!」
それでも、私も負けじと机を叩き、生まれて初めて父に反抗した。
その姿に両親は驚き、母に至ってはいきなり顔を押さえて泣き始める始末だった。
「奴の暴力性が移ったか! リン、母さんを泣かせてどうする!」
父は激高し、私に向かって怒鳴り散らす。
そうすれば私が黙ると知っているから、父はそうやって恐怖で私を支配しようとする。
——でも、私はもう、支配されない。
アルトラを守るためなら、こんなの怖くない。
「私が泣いたって、何もしないくせに!」
——そもそも私がいじめられたのも、アルトラが暴力を始めたのも、この昭和の親父が私に「まだ早い」と言ってブラジャーを買い与えなかったからじゃないか。
自分の時代遅れな考えが人に迷惑を掛けることも想像せず、私たちを苦しめたのはこの人じゃないか!
「親に向かって何だその態度は! 心配してやってるんだぞ!」
「何も知らないくせに! 心配してるだけで、何も解決出来ないくせに!」
アルトラは違う、私のことを知っていて、私のことを心配していて、私を助けるために、命をかけて戦ってくれた。
アルトラは、私のヒーローなんだ。
——私だけの、ヒーローなんだ。
そんなことを思っていると、涙が出てきそうになってしまい、私は思わずリビングから飛び出し、家を飛び出し、走り出していた。
荷物も持たず、靴のかかとを踏んだまま、勢い良く家を飛び出して、目的地もないまま走り出した。
いつの間にか学校の隣の公園にたどり着き、アルトラと何度か話したあの屋根付きの石製ベンチで、おじいちゃんたちが将棋をやっているのを見て——彼のことを更に思い出す。
——アルトラに会いたい。
つぶやきも更新されず、連絡も送ってこない彼は、まだ家に戻って来ていないのだろうか。
走り疲れて、息が切れてしまった私の足は、導かれるようにアルトラの家に向かって動き始めた。
「アルトラ、アルトラ……」
うわ言の様に、自然と口から彼の名が溢れる。
昔の人が、不安な時に念仏を唱えたように——私も精神を安定させるために、歩きながらずっと、彼の名を呼んでいた。
一番大切な友達、私を救ってくれたヒーローの名を。
彼を呼んでいる間に、家の前まで着き——少し躊躇したが、決心してインターフォンを押す。
すると聞き慣れた声で「はーい」と返事をした彼は、右手に包帯を巻いた姿で、私を出迎えてくれた。
「あ……アルトラ……ごめんなさい、いきなり来ちゃって……」
彼の顔を見て安心したせいか、堪えていた涙が目から溢れ、彼は彼で泣き出しそうな顔をして「リン、良かった」と言いつつ、私を家の中に招いてくれた。
「もう、会えないのかと……思ってた」
ソファベッドに座りながらそう言うと、アルトラもついに涙を流し始める。
——ずっと、ずっと会いたかった。
たった三日会えなかっただけなのに、ものすごく長い時間が経ったような気がして、ずっと、寂しかった。
「親に、アルトラと会うなって……さっき言われて、それで飛び出して来ちゃった」
「そっか——喉乾いてるよね」
涙を隠すように包帯で拭った彼は、スッと立ち上がって冷蔵庫にお茶を取りに行ってくれた。
いつもと変わらず優しい彼は、冷蔵庫に磁石で貼り付けられていたティッシュ箱も持って来てくれて、親指の付け根で涙を拭う私の前にそっと置いた。
「ありがとう」
ティッシュで涙を拭いてから、500mlペットボトルの麦茶のキャップを遠慮なく開けさせてもらい、叫んだり走ったりして乾ききった喉を潤した。
そんな私の様子を見ていたアルトラは、私がお茶のキャップを閉めると、ゆっくりと口を開く。
「リン、ごめんなさい、巻き込んでしまって」
アルトラは後悔があるかのように暗い声で、うつむきながら私に謝る。
——あなたは間違ってない、とは言えなかったが、それでも私は、彼に感謝を伝えたかった。
「ううん、大丈夫。アルトラがいなければ——何されてたか分かんないし」
今は二年前とは違ってインターネットがある。
あいつらはまた私を辱めて、次は世界中の誰とも知れない相手に、その動画を売り捌いていたに違いない。
手段にこそ問題はあったが、結果として私はアルトラに救われたのだ。
「むしろ、私がいなければ……あいつらを殴ることだってなかったでしょ」
「それは……分からない」
そう言いながら彼は首を横に振って、そのまま彼は、私と目を合わせようとはしなかった。
——彼は、彼自身を正当化しようとはしてくれなかった。