テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
砕け散った懐中時計から溢れ出した眩い金色の光が、猛烈な渦となって私たちを飲み込んでいく。
それは単なる法力の光ではなかった。
代々の鬼たちが、その強大すぎる力と引き換えに魂の器に溜め込んできた、底知れぬ孤独。
そして、愛を渇望しながらもそれを破壊し続けてきた悲劇的な「飢え」が
数百年という時を経て一気に解放された濁流だった。
「が、あぁぁぁ……っ!!」
刹那様が天を仰ぎ、獣のような咆哮を上げる。
私を畳に押し倒す彼の背中から、どろりとした漆黒の闇が、まるで生き物のように噴き出した。
それは鋭い棘となって周囲の壁を穿ち、床を突き破り、屋敷全体を異様な力で震わせる。
(これが……彼を縛り続けてきた、呪いの正体……)
「愛した者を喰らう」というあまりに過酷な因果が
私たちの捨て身の口づけをきっかけに
暴走という最悪の形で牙を剥こうとしていた。
至近距離で私を見下ろす刹那様の緋色の瞳からは
もはや微かな理性さえも消え失せ、ただ捕食者としての純粋で残酷な殺意だけが、冷たく私を貫く。
「……刹那様」
私は、逃げなかった。
首筋に深く食い込む彼の鋭い爪の痛みも、喉笛を狙って剥き出しにされた猛悪な牙も。
それらすべてが彼の一部であり、彼の苦しみの現れなのだと受け入れるように
私は震える腕を彼の首に回した。
そして、最後になるかもしれない抱擁を、より深く、より強く捧げた。
「喰べてください。……私を貴方の一部にして、その永い孤独を終わらせて」
私の瞳から溢れた熱い涙が、一筋、彼の頬に落ちた。
その瞬間。
私の喉を噛み千切ろうとしていた刹那様の動きが、磁石が吸い寄せられたかのようにピタリと止まった。
彼の喉の奥から、絞り出すような、嗚咽にも似た掠れた声が漏れる。
噴き出していた漆黒の闇が、まるで時間を巻き戻すかのように、彼の内側へと恐ろしい勢いで逆流を始めた。
「……嫌だ…お前を……失いたくない……っ、愛しているんだ、緒美…ッ」
それは、種としての本能に、そして血に刻まれた呪いに、剥き出しの魂で抗う叫びだった。
「喰らいたい」という根源的な飢餓を
「失いたくない」という真実の愛がわずかに上回った瞬間
彼の背中から立ち上っていた禍々しい闇が、眩いばかりの白銀の炎へと姿を変えた。
────ドォォォォォォン!!
凄まじい衝撃波が屋敷を駆け抜け、重い瓦根を軽々と宙に吹き飛ばす。
爆風が収まり、ふと夜空を見上げれば、そこにはあの星落祭の夜と同じ
淡い金色の光の粒が、祝福のように降り注いでいた。
静寂が戻る。
瓦礫の山と化した広間の中心で、私たちは抱き合ったまま
互いの生存を確かめるように激しく肩で息をしていた。
「……刹那、様……?」
恐る恐る、顔を上げる。
そこにいたのは、威圧的な漆黒の角も
ぎらついた緋色の瞳も持たない、どこか憑き物が落ちたような、穏やかな一人の青年の姿だった。
彼は信じられないものを見るように、自分自身の人間と変わらぬ白い掌を見つめ
それから、震える手で優しく私の頬に触れた。
「……生きている。お前が、生きている……俺は、お前を殺さずに済んだのか……?」
刹那様の目から、大粒の涙が次々と溢れ出す。
呪いは、ついに解けたのだ。
愛を喰らうことでしか満たされなかった鬼の器が
己の命をも厭わぬ真実の愛という献身によって、初めて内側から完全に満たされた。
「呪いが…呪いが解けたんですね……刹那様…っ!」
「……なんてことだ……っ、緒美。俺はもう、お前を喰らうことはないのか、お前の血も肉も、必要ないのか……」
彼は私を折れそうなほど強く抱きしめ、熱い吐息と共に、耳元で愛おしそうに囁いた。
「なら…一生をかけて、お前を愛し抜く。……この命が尽きるまで、俺の隣にいてくれるか。もう嘘ではなく、俺の妻として」
私は彼の胸に顔を埋め、溢れる涙を拭いもせずに、静かに頷いた。
「当たり前です……っ」
懐の中、砕け散った金細工の時計は、もう二度と音を立てることはない。
これからは、針に怯えることも、時間に追われることもない。
二人で一歩ずつ刻んでいく、「本当の時」が始まっていくのだ。
異界の遊郭「朧月夜」の空には、不吉な赤さを失った、透明な夜明けを告げる薄明かりが差し始めていた。
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
#王子