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24 ◇最後の夜
『最後のデートだけど、特別なことは言わず特別なこともせず、いつものように過ごし、
それぞれ帰っていきましょう。
私はそういうのがいいです。
しんみりしたくないから』
そう言われ、石田は安堵の吐息を吐いた。
こういう関係の場合の別れ方というものが初めての経験だったからだ。
気まずくなるのは避けたかった。
お別れのプレゼントをとも思ったが別れの話になってから最後のデートまで一週間もなく、
買う暇もないままお別れDayになってしまった形だ。
食事と酒を少し胃袋に入れていつものようにラブホへ向かう。
妻とは別れないと言った男との最後の夜、百合子がどのような気持ちでいるのか
掴めない石田は、なんとか儀式のように行為を終えはしたが、結局熱くなることは
できなかった。
……だが最後の礼儀としてやさしく百合子を抱きしめることは
忘れなかった。
◇ ◇ ◇ ◇
最後の夜も石田はやさしかった。
それは冷たいやさしさだと百合子は思った。
石田がシャワーを浴びている間に百合子は細い針でスキンに
細工を施し袋に戻した。
そして石田がスキンを手にする一歩手前に素早く気配りと見せて
自分が枕元から手に取り、袋の封を破る振りをして手渡したのだった。
あまり時間がなくて、ちゃんと数か所上手く穴を開けられたかは
自信がなかった。
妊娠するかもと思うとテンションが上った。
良かったのか……どうか、お蔭でくだらないことを考えずに
石田との最後の夜を過ごせたのだから結果オーライだ。
泣くことも縋ることもなく、きれいに別れられた。
25 ◇同級生の早瀬誠
その週末、百合子はいつもよく行く元町にある古書店へぶらりと
立ち寄ってみた。
好きな本に囲まれていると気晴らしになる。
小一時間ほど店内で過ごし店を出た。
もう夕暮れ時になっていた。
夕暮れ時って魔法が掛かるのよね。
淋しい病に掛けられるのだ。
さてと、家に帰ったらケーキでも焼こうかと少し自分を元気づけて
歩き出す。
◇ ◇ ◇ ◇
『伊達っ!』
誰かに呼び止められる。
百合子は周囲をキョロキョロする。
呼んだのが少し先の左前方にいる人物だと分かった。
その人物とは学生時代グループでよく遊び仲良くしていた
同級生の早瀬誠だった。
「よっ、久しぶり。秋野垢抜けて綺麗なお姉さんになってんじゃん。
今一人? 俺、一人でブラブラしてるところなんだ。お茶でもどう?」
「ひゃあ~、懐かしいよね。行く行く……」
結局お茶の後、まだまだ話し足りない雰囲気になり、私と早瀬くんは
彼が何度か行ったことのあるというバーへ行くことに。
そこでも話が弾み楽しいお酒になった。
26 ◇『部屋取る?』
だいぶ酔いも回って浮かれ気分になった頃、彼がクイっと親指で入り口を指し『部屋取る?
』って聞いてきた。
私は高級時計をした彼の手元に視線を這わせた。
見ると、綺麗な手の形状と腕時計をしていてほどよく綺麗な肉付きの腕が
無性に色っぽく感じられ、大人の男になった彼は私をどんな風に扱ってくれるのだろうか、
と彼の誘いに興味をそそられた。
私は気持ちを抑え気味に装い、少し頷いた。
バーの入っているホテルの一室にIN.
部屋に入るや否やキスが落とされ言葉もなく行為が始まる。
動作の途中で彼に『スキンどうする?』と聞かれた瞬間、私の気持ちの中に
ずるい思いが立ち込めた。
石田さんの子供を妊娠できるかどうかは神のみぞ知る……だ。
早瀬くんとの間にできた子でもいい。
石田さんには黙っていれば分かるまい。
ばれることは恐れてない。
もともと石田さんは人のもの。
手に入るか入らないか、妊娠がひとつの切っ掛けになるかもしれない
……し、ならないかもしれない。
やってみなければ何事も分からないのが人生だ。
「早瀬くん、今独身? 奥さんいるなら付けといてもらおうかな」
「いないさ」
そう言うや否や……彼は行為を進めていった。
終わりを迎えた後、各々手早く身の処理をし再びベッドに沈んだ。
お互い緩く抱き合う形でしばらくの間余韻を味わう。
5分10分15分……。
それは味わい足りなくても味わい過ぎてもいけない時間。
阿吽の呼吸で私たちは一つから二つになり、帰りの身支度に取り掛かる。
◇ ◇ ◇ ◇
早瀬くんがドアを開けてくれてホテルの部屋を出る時
「もし秋野さんが妊娠したら俺、責任は取るから」そう呟いた。
「ありがと。いい人なんだね」
『責任取るから』と言って帰って行った人。
結婚するとは一言も言ってはいないけど、心からいい人だなって思った。
次彼と会う日は来るだろうか、私はプラットホームの椅子に座り
電車を待ちながら、ぼんやりと誰にともなく問うた。
早瀬との時間が百合子の心の奥底に横たわっていた悲しみを徐々に
溶かしていくことを感じながら。
27 ◇転機
彼女との情事が終わりを告げてから3ヶ月、何事もなく彼女も自分も
同じ職場同じ部署で働いている。
自分たちの関係を知っているのは当事者の二人だけ。
あちらに、恋人ができたからとか結婚するからという理由での別れではないにもかかわらず、揉めることなくきれいに別れられた自分は幸運なのだろう。
石田がそう思うほどに二人の日常での距離感も落ち着いてきたと思い始めた頃、百合子から『お話があります』と就業中にメールが届き、石田は思わず
百合子の席方向を見てしまった。
待ち合わせには以前何度か行ったことのあるバーが指定された。
『よりを戻したいとか? まさかね』
と思いつつ、そう言われた時の断り方をシミュレーションするのだった。
◇ ◇ ◇ ◇
馴染みの、といっても別段店主と、という意味ではなく……百合子と
付き合うようになってから何かとよく利用していた店で、石田は百合子と
会うことになった。
実に3ヶ月振りのこと。
百合子は石田よりほんの少し遅れて現れた。
「わざわざ出向いていただいてすみません」
「うん……で、話とは?」
毎日会社で顔は合わせているのだし、所謂社交辞令など必要なく石田は
すぐに本題に入りたくて『それで?』と問うた」
「子供ができました」
「……」
『ン? なに、誰の?』
それは本当に分からずに出た疑問符。
『あぁ、俺との? だけどちゃんと避妊はしていたはずで有り得ないだろ』
「ほんとに?」
「はい、できちゃいました。
病院でちゃんと確認してきましたしっていうか、もう4ヶ月に入ってます」
『堕ろしいほしい』とは言えない時期まで待っての計画的な連絡であった。
「しかし、俺には家庭があって君とは……」
「取り敢えず認知してほしいんです。私産むつもりなので」
百合子の主張に石田は絶句するしかなかった。
そして、勝手なことをとも思うのだった。
「何て言ったらいいか、しばらく考えさせてもらいたい」
「認知は裁判してでもと強い気持ちでいますので、それだけ知っておいて
ほしいです」
『裁判になるとDNA鑑定は必至で、もしもお腹の子が早瀬くんの子だったら
目もあてられないや』
でもここは強気でいくわ。
認知は必ずしてもらい、運がよければ妻の座も狙いたいところ。
実は先月末に石田の自宅付近をうろつき、運よく石田の妻の百子が
庭に出て作業しているところや出掛けるところを遠目から見ることができた。
上品そうで大人しそうな百子を見た百合子は石田を奪うことを改めて
決心した。
百子を見て、あの人なら泣きながらも石田の離婚の提案を受け入れて
くれそうな気がしたからだ。
◇ ◇ ◇ ◇
まずいことになった。
認知などしてしまえば、百子はおろか父親にも失態を知られてしまう。
そうなれば、父親は世間体を重んじる人間で自分は後々会社の後継者候補から外されてしまうかもしれない。
どのように動けばことは丸く収まるのだろうかと、丸く収まるはずもないのに、石田は愚かな思考しかできず、あがいた。
すべては穏便に終わったはずの情事に今頃になってしっぺ返しを食らい、
慣れないことなどするもんじゃないな、と心底思うのだった
コメント
1件
うわあ、この第9話、重すぎて息が止まるかと思いました……。「冷たい優しさ」って表現がもう、石田さんの本心と百合子さんの諦念が一気に透けて見えるようでゾッとしました。そしてまさかの早瀬くん再登場からの「部屋取る?」の流れ、百合子さんの「石田さんには黙っていれば分かるまい」という計算高い冷静さ、怖いほどリアルです。妊娠報告で一気に均衡が崩れるラストも、どう転ぶか読めなくて胃が痛い。続き、すごく気になります…!
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