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春の風が、屋敷の庭を静かに吹き抜ける。
澪は縁側で、朧の隣りに座っていた。
ふたりの手は自然に繋がれ、言葉はなくても心が通じ合っていた。
その時──
「⋯⋯久しいな、朧」
低く、重たい声が響いた。
ふたりが顔を上げると、庭の奥に、ひとりの男が立っていた。
──長い白髪に、深い皺。まるで、木霊のような存在感。
「⋯⋯長老」
朧は立ち上がり、澪をかばうように前へと出る──。
「この者が⋯⋯”人間の花嫁”か」
長老は澪をじっと見つめた。
その視線は、まるで心の奥を覗き込むようだった。
「⋯⋯はい。澪さんは、私の花嫁です」
「ふむ⋯⋯」
長老はゆっくりと歩み寄り、澪の前で立ち止まった。
「澪⋯⋯と言ったか。人の娘よ。お前は”花嫁の儀”のほんとうの意味を知っているか?」
「⋯⋯え?」
「”花嫁”とは、ただの伴侶ではない。異界の守護者と結ばれる者は、その魂の一部を”異界”に捧げることになる」
「魂⋯⋯を⋯⋯?」
「そうだ。お前がこのまま朧と結ばれれば、人としての寿命も、記憶も、少しずつ”こちら側”に染まっていく」
澪は息を呑んだ。
(⋯⋯そんな⋯⋯)
「なぜ⋯⋯今になって、それを⋯⋯!」
朧の声が震えていた。
「お前が”本気”になったからだ。
この娘が”本当の花嫁になる”と決めた今、我らも黙ってはいられぬ」
「⋯⋯!」
澪は朧の袖を掴んだ。
「朧さん⋯⋯本当なんですか⋯⋯?」
朧は苦しげに目を伏せた。
「⋯⋯はい。でも、私は⋯⋯あなたに何も強いるつもりはありません。
あなたが望むなら、すべてをもとに戻すことも──」
「やめてください!」
澪の声が、庭に響く。
「私⋯⋯知りませんでした。何も⋯⋯。
でも⋯⋯それでも⋯⋯」
澪は朧の手を取り、まっすぐに見つめた。
「私は、あなたと生きたい。どんな代償があっても⋯⋯
あなたと共に歳を重ねられなくても⋯⋯あなたと過ごす時間を、選びたい」
朧の目が揺れた。
「澪さん⋯⋯」
長老はしばらく黙っていたが、やがて静かに頷いた。
「⋯⋯その覚悟、しかと見届けた。この先は⋯⋯ふたりの意思で進め。
これからは儂はどんな事があろうと口出しはしない。
異界でお前達ふたりに口出しする奴が居るものなら⋯⋯儂がそうはさせない。
お前達は永遠に仲睦まじく⋯⋯”夫婦“でな⋯⋯」
そして、長老は霧のように消えていった。
「澪さん⋯⋯怖い思いをさせてしまい⋯⋯すみません⋯⋯」
「⋯⋯怖くないって言ったら、嘘になります⋯⋯。でも⋯⋯私は、あなたと生きるって決めたから」
朧は、澪をそっと抱きしめた。
「⋯⋯ありがとう。あなたのその想いが、私のすべてです」
「⋯⋯朧さん」
ふたりは、寄り添いながら新たな未来を見つめていた。