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『良かった。山波建設さんに電話をしたら、貴方は今日はお休みだと言われたものですから……。オフの日に申し訳ない』
父・公宣が応答してくれたなら、恐らくもう少し上手くやってくれただろうから、電話を受けたのは事務の子だろう。
結葉が失踪した日に、彼女の幼なじみである自分が仕事を休んでいること。
それをありのまま伝えられてしまったのが、少しマズイ気がした想だ。
『実は昼休みに家に戻ってみたら、うちの妻がいなくなっていましてね。彼女が僕に何の連絡もなくそういことをするのは初めてだったものですから心配になりまして。――もしかして山波さん、何かご存知ではないですか?』
知っていると告げたら、この男はどう出るのだろうか?
結葉を返せと噛みついてくる?
(いや、恐らくだけど……そんな感情をむき出しにするような真似はしねぇな)
そう思った想だけれど。
穏やかに応じてくれるからといって、結葉の身に危険が及ばないとは言えない。
ここは慎重に言葉を選ばねば、と思う。
一番いいのは「知らぬ存ぜぬ」で通すことだとは分かっているけれど、そう告げるのも今更白々しい気がしてしまった想だ。
「ちょっとよく分からないんですけど……御庄さん、何故俺にそれを聞いてくるんですか?」
結果、吐息を落としてそう聞き返していた。
「――前に俺、言いましたよね。貴方の奥さんは俺にとっても大事な幼なじみだから……傷付けるような真似をしたら容赦しないって」
相手の出方を探るように言ったら、電話口で偉央が小さく息を呑む気配があった。
だが、口を挟んでこないところを見ると、偉央は偉央なりに想の問いかけに対してどう応えるべきかを模索しているんだろう、と思って。
ならばその隙に一気に畳み掛けて相手を揺さぶってやろうと思った想だ。
「それを踏まえた上で俺に電話をしてきたんだとしたら――アンタ、あいつに酷いことをしたって自覚があるってことで間違いないよな?」
想はあえて他所行きの喋り方を外して、一人の男として偉央と話すことにした。
別に結葉の旦那相手に凄みたいわけじゃないが、そうでもしないと相手と対等に向き合えない気がしたからだ。
想は、偉央から『だったらどうしますか?』みたいに売り言葉に買い言葉なセリフが返ってくるのを想像していたのだけれど――。
『その口ぶりからすると……貴方は僕が妻にしたこと、全部ご存知なんですね? ――でしたら話は早い』
偉央が発したのは、想の考えていたものとは全然違うものだったから。
想は戸惑ってしまったのだ。
***
「想ちゃん、お待たせ」
「あ、……ああ」
電話を切ってしばらくの間、想は真っ暗になったスマートフォンの画面をじっと見つめたまま身動きが取れないでいた。
まさか偉央からあんなことを言われるとは思っていなかったから、衝撃でフリーズしてしまって。
後日、社の方に送られてくると言われたモノに関しても、どう扱っていいのか正直検討がつかない。
「あの、想ちゃん? ひょっとして……お仕事の電話?」
想が、自分が声を掛けたと言うのにぼんやりとスマホを握りしめたまま、立ち上がる気配もなく座り続けていたからだろう。
結葉が心配そうに眉根を寄せて、想の顔を間近から見下ろしてくる。
「もしっ。もしも帰らなきゃいけなくなったんなら私……映画は今度でも大丈夫……だよ?」
言って、結葉が想からの返しを不安そうな顔で固唾を飲んで待ってくれる。
薄らと、付けていることも分からない程度に施された結葉のメイクは、彼女の愛らしい顔にとても映えていた。
想は手にしたままだったスマートフォンを服のポケットにしまうと、気持ちを切り替えたように「よっ!」と一声掛け声を上げてベンチから立ち上がる。
「バーカ。あんまりお前が綺麗になって戻ってくるからビックリして見惚れちまっただけだよ」
ククッと声に出して笑ってから、「電話もただの間違い電話だ。もちろん映画はちゃんと観られるから安心しろ」と結葉の手を取った。
「じゃ、行くぞ」
「あの、でも想ちゃっ……?」
結葉が何か言いたげに声を掛けてくるけれど、いま結葉に顔を見つめられたら、嘘をついているのがバレてしまいそうで怖くなった想だ。
結葉の小さな手をギュッと握ったまま、彼女を引っ張るようにして映画館を目指す。
「急がねぇと映画始まっちまうぞ」
何でもない体を装って。
こんな風にお前の手を引っ張らなきゃいけないのは、時間が押してるからだからな?と言外に含ませる。
他意はないのだ、と思ってもらえるように。
***
体感型シアター内ではアトラクション的な要素が強すぎるため、飲食できない。
結果、劇場入りする前に結葉と一緒に急いでホットドッグと飲み物を口にしたのだが、無心に食べ物を腹に詰め込んでいるうち、空腹が満たされるのに比例して不安な気持ちが押し出されていくようで。
加えて、薄暗い館内でただただワクワクするストーリー展開の映画をガンガン席を揺さぶられながら観ていたら気分が大分落ち着いてきて、劇場を出る頃には平常心を保てていた想だ。
「映画、すっごく楽しかったね」
結葉も、映画が終わって映画館を後にする頃には、想の様子がどこかおかしかったことなんて忘れてしまったみたいにニコッと笑いかけてくれて。
想は、考えないといけないことは山積みだけれど、とりあえずいまは目の前の結葉を不安がらせないことに全力を注ごう、と心に誓った。