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中央車線の無い暗く細い通り、ポツポツと街灯の明かりが灯り始めた。黒く塗り潰した民家の屋根に、濃紺とオレンジの細い線が滲み、日没を知らせる。
ガタンガタンガタンガタン
JR北陸本線高架橋を列車が通過する。激しい振動が頭上から降り注ぎ、それはまるで西村の脳みそを両手で掴み思い切り左右に振っているようだった。
「ま、なに言ってるんだよ」
「殺したの」
「じょ、冗談だろ」
ルームミラーに狼狽した西村の目。朱音はアイスピックの先端で、ダッシュボードに立て掛けられた西村の《《営業用携帯電話》》を指した。
「な、なんだよ」
「それ、iPhoneなの?」
「違う」
「あ、Androidだ」
「じゃあ、テレビ、見る事出来る?」
「で、出来る」
「じゃぁ、丁度いい時間だよね。ニュース付けて、金沢放送」
朱音は知っていた。その地元放送局が真っ先に《《父親の居る家》》に中継車を横付けし、マイクを持ったリポーターが規制線の前に立つ、その様子を碧眼の目で見ていた。
17:10
ローカル色溢れる微笑ましい話題、市場に寒鰤が水揚げされたニュースが流れる画面を固唾を呑んで見ていると、速報のテロップが映し出され急にニュースキャスターの表情が険しくなった。
本日午後、金沢市米泉3丁目にて殺人事件が発生、重要参考人として
「・・・・・米泉町」
「ほら、朱音の家でしょ?」
水色の枠の中には、”山下朱音(18)”の文字が並んでいる。顔写真の朱音は幼く、頬はふっくらと色付き、黒髪の三つ編み、黒い目だが確か《《今》》の面影がある。
「やだ。変な写真、中学校の卒アルじゃない」
「あ、朱音。何で」
朱音はその《《営業用携帯電話》》を寄越せと言い、恐る恐る西村がそれを手渡すと後部座席の窓を開けて外に放り投げた。
「・・・・あ」
「なぁに」
「何で、殺した」
タクシーの脇を首にタオルを巻いたヨレヨレの上下繋ぎの高齢男性が、自転車のライトをふらつかせながら通り過ぎる。
「だって、|家《車》に帰ったらお父さんがちょっと来いって」
「それ・・・で?」
「違うお店行けって、またお金借りたんだって」
「それで殺したのか」
「だって、西村さんが助けてくれたのに」
「あ、ああ」
「もう行きたくない」
「だからって」
「これから赤ちゃんと西村さんと3人で暮らすんだもの」
「さ、さんにん?」
アイスピックを西村の目の前でチラつかせながら、くるりと回し、先端を智の首に押し当てる。
ガタンガタンガタンガタン
JR北陸本線高架橋を列車が頭上を通過し朱音のか細い声はその振動に掻き消されたが、智の耳はその言葉を聞き取り震え上がった。
「この女の人、要らないよね」
智は小刻みに首を横に振った。口元は歪み、歯の噛み合わせがガチガチガチと落ち着かない。膝の上で組んだ拳がブルブルと震えているのが見て取れた。
「や、やめてくれ」
「なんで?」
「金はやる、智を離してくれ」
「約束が違うよ」
「え」
「朱音にずっと一緒に居てくれって言ったじゃない」
「そ、それは」
智の首元のアイスピックに力が込められ、ジリジリと皮膚にめり込む。西村の右手がジリジリとシートベルトの赤いストッパーボタンへと移動する。
「この女の人、要らないじゃない」
シュルシュルとシートベルトが外れ、咄嗟に西村は青いバインダーを右手で掴むと朱音の左手目掛けて振り下ろし、それに手応えを感じた。後部座席の床、赤い靴の横にコロコロと転がる光る先端。朱音がそれを取ろうと屈んだ所でもう一度バインダーを振り落としたが、それよりも先にアイスピックが空を切った。グラリと揺れる車内。
「うわっ!」
「裕人!」
西村もその反撃を間一髪で避け、助手席のカッターナイフを掴んだ。振り翳す。青いバインダーに真っ赤な血がパタパタと落ちた。
「・・・・・あ。あぁ!」
「ひ、ヒィ!」
西村のカッターナイフを握る手が小刻みにガクガクと震えた。引き攣るような悲鳴を上げた智の黒いワンピースや白い頬に血飛沫が飛んだ。
「西村さん、何してるの?」
右手のアイスピックの先端は運転席のヘッドレストの隙間から西村の襟足に刺されている。額から流れた汗が頬を伝う。息が荒い、心臓の音が耳まで届く。
「西村さん、こんなの痛くないわ」
「あ、ああ」
朱音の両腕にはこれまで彼女自身で切り刻んだリストカットの痕が地層の様に並んでいる。その左腕、地層を斜めに横切る真新しい切り口に、赤い血が滲む。
「|それ《カッターナイフ》、頂戴」
「あ」
「頂戴」
西村はおずおずと朱音の血が付いたカッターナイフを彼女の手に握らせた。朱音はカッターの刃をカチカチと片付け、西村の襟足に付けたアイスピックに力を込めた。
「西村さん、ドライブに連れて行って」
「ど、何処」
「この女の人、要らないもの」
「そ、それは」
「捨てに行かなくちゃ」
「朱音、今ならまだ間に合う」
「何が間に合うの?」
「ま、まだ」
「まだ?」
西村の襟足に鋭い痛みが走る。ヘッドライトを付けた西村の車はずるずると進み、大通りへとハンドルを切った。