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──何百年という時が過ぎたのか
それすらも定かではなかった。
季節は何度も巡り、街は幾度となく焼かれ
再建され、また忘れ去られていった。
だが、彼女だけは
変わらずこの世界に取り残されていた。
心は既に砕け散り
身体だけが命の形をなぞるように、虚ろに動き続けていた。
その日も、地を這っていた。
折られた四肢はもはや痛みさえ覚えず
ただ〝進まねばならぬ〟という
名残の意思だけが、彼女を動かしていた。
血で染まった足跡が
静かに草原を汚していく。
骨の軋む音を風が攫い
倒れぬように、崩れぬようにと
彼女は小さな丘を登っていった。
──その頂に、それはあった。
一本の、若樹。
彼女が知るどの樹木とも異なる
美しい輪郭。
まるで薄膜のように柔らかい
薄紅の五弁の花弁が
風にふわりと揺れていた。
(⋯⋯知らない、花)
その思念は、音にならなかった。
言葉を紡ぐには、彼女の喉は
長すぎる沈黙に蝕まれていた。
震える指先で幹に触れ、背を預ける。
その瞬間──
空が、裂けた。
天を裂くような一閃と共に
何かが降りてきた。
悲鳴。
命の恐怖に染まった
けれど凛とした叫び。
視線を上げた、その瞬間だった。
一人の〝青年〟が──落ちてきたのだ。
空から、地へ。
まるで星が堕ちるように。
まるで神の御使いが投げ捨てられたように。
地に打ち付けられた衝撃に
周囲の風景が揺らぐ。
彼は、仰向けに倒れていた。
その頬に刻まれた汗と土の汚れが
確かに〝人間〟であることを物語っていた。
黒褐色の髪。
風に逆らうように跳ねる癖毛が
乱れながらも美しかった。
その瞳は鳶色。
空の曇天にも似た穏やかさと
心の奥底に燃えるような信仰を
宿した光があった。
衣服は
アリアの知るどの時代にも属さぬ造り。
藍を基調とした布地に
精緻な縫製と文様が浮かび上がっていた。
〝外〟から来た者。
そう、直感的に彼女は理解した。
彼は、己の名を語り、何事かを告げた。
その声は驚くほどに柔らかく
何より──〝生〟を帯びていた。
久しく聞くことのなかった
温度のある声。
彼女の中の〝死〟に
わずかに波紋が揺らいだ。
そして。
青年は、静かに
だが確かな覚悟と共にこう言った。
「貴女の傍に居させてください。
一目惚れ⋯⋯してしまいました。」
その瞬間、彼女の中に〝熱〟が灯った。
涙ではなかった。
希望でもなかった。
けれど、何かが確かに芽吹いた。
長き沈黙の果てに──
〝神〟と呼ばれ
〝呪い〟と共に在り続けた女が
運命に出逢った。
その名を──櫻塚 時也という。