テラーノベル
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病み上がりの体に鞭を打ち、着飾って出席した王宮の夜会。
シャンデリアが放つ眩い光さえ今の私には少し刺激が強すぎたけれど
レオ様の婚約者という大役を穴埋めするわけにはいかなかった。
壁際で一息つこうとした私の前に、音もなく立ちはだかったのは、公爵令嬢カトリーヌ様。
以前からレオ様の「本命の妃候補」と目されていた彼女は
その場を支配するような洗練された美貌を誇り、私の前で扇を優雅に、そして威圧的に広げた。
「聞いたわよ、ハルデンベルク公女。レオ様があなたの看病のために、大切な閣僚会議や公務をすべて放り出したんですって? ……ふふ、ずいぶんと『お上手』なこと。没落寸前の家柄を守るために、男の同情を引く術だけは一流のようね」
冷ややかな嘲笑を含んだ声が、静かに、けれど確実に周囲へ響く。
耳ざとい貴族たちが足を止め、クスクスと隠しきれない笑い声を漏らすのが分かった。
カトリーヌ様の鋭い視線は、私の胸元で鈍く光る首飾り───
レオ様の瞳の色と同じ琥珀の宝飾を、憎しみを込めて射抜くように見つめていた。
「でも、気付いているかしら? 彼はただ、自分の『完璧な恋人役』という駒に傷がつくのを嫌っただけ。あなたが代わりの利かない唯一の存在だなんて、決して自惚れないことね。……本当の意味で彼を支え、高みへ押し上げられるのは、私のような血筋と地位を兼ね備えた女だけよ」
(……レオ様の…代わり……)
胸の奥に、凍てつくような氷を無理やり流し込まれたような感覚に陥る。
分かっている。私と彼は冷徹な契約書で結ばれたビジネスパートナーに過ぎない。
けれど、彼女の言葉は、私が心の最も深い場所に隠していた「甘い期待」という柔らかい部分を
容赦なく抉り取った。
それでも私は今、彼の「婚約者」なのだ。
ここで私が崩れれば、彼の選美眼さえ疑われ、評判に泥を塗ることになる。
「……カトリーヌ様。レオ様が私を選んでくださったのは、家柄や地位といった目に見える価値のためではありません。……私は、彼の背負う重圧や孤独を、ほんの少しでも分かち合いたいと、心から願っております」
精一杯の虚勢だった。
震えそうになる膝を必死に抑え、私は彼女の冷酷な瞳を真っ直ぐに見つめ返した。
そのとき──
背後から、熱いほどの体温を伴った力強い腕が私の腰を強引に抱き寄せた。
「おやおや。僕のいないところで、僕の可愛いローラを虐めるのは勘弁してほしいな、カトリーヌ。彼女は今病み上がりで、繊細なんだ」
現れたレオ様は、顔半分にいつもの人懐っこい
陽だまりのような笑顔を浮かべていた。
けれど、腰を抱く腕に込められた力は尋常ではなく
私の体を自分の方へ、折れそうなほど強く一分の隙間もなく引き寄せる。
「レ、レオ様! 虐めるだなんて人聞きの悪い……私はただ、この方に身の程というものを忠告して差し上げただけで……」
「忠告? 悪いけど、必要ないよ。僕が欲しいのは地位でも権力でも、僕を型にはめようとする高慢な女でもない。……このローラ、ただ一人だけだ」
彼はカトリーヌ様の言い訳をナイフのように鋭い声で遮ると
会場中の視線が集まる中で、見せつけるように私のこめかみに深く、熱い口づけを落とした。
その瞳は、もはや誰もが知る穏やかな皇子のそれではない。
カトリーヌ様を、そして周囲の好奇に満ちた視線をすべて焼き払い
灰にするような、苛烈な独占欲に満ち満ちていた。
「……ローラ。君は僕のものだ。他の誰にも、君という存在を否定させるつもりはない。……いいね?」
耳元で低く囁かれたその声は、微かに、けれど激しく震えていた。
カトリーヌ様が屈辱に顔を歪め、扇を叩きつけるようにして去った後も
レオ様は私を抱きしめる腕を少しも緩めようとはしなかった。
「……レ、レオ様…!助けてくださって、ありがとうございます…!でも、もう彼女は行きましたから。そんなに、……折れそうなほど強く抱きしめなくても、大丈夫ですよ」
私が震える手で彼の袖を掴み、小声でそう告げると
レオ様は私の肩に顔を埋め、子供が何かに縋りつくような、切実な声で呟いた。
「ダメだ…あの子が君を侮辱するのを聞いて、嫉妬で、怒りで狂いそうだったんだ。君が他の誰かに、僕たちの間に『代わりがいる』なんて思われるのは耐えられないよ」
「え…っ」
(……レオ様……?)
ビジネス、演技、かりそめの契約。
そんな冷たい言葉で何層にも塗り固めていた心の壁が、彼の剥き出しの独占欲と
脆いほどの本音の前に、今度こそ完全に崩壊した音がした。
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