テラーノベル
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カトリーヌ様が屈辱に顔を歪めて去り、ようやく夜会の喧騒が遠のく庭園の片隅。
張り詰めていた糸が切れ、私がようやく一息つこうとしたその瞬間
レオ様の表情が劇的に一変した。
先ほどまで浮かべていた、周囲を欺くための人懐っこい笑みは跡形もなく消え失せ
軍人としての鋭く冷徹な眼光が、月明かりの届かない闇の深淵を射抜く。
「……しっ、静かに。鼠が紛れ込んでいるようだ」
背後から忍び寄る、草を踏みしめる不穏な足音。
そして、微かに聞こえる金属が擦れ合う冷たい音。
敵対勢力が送り込んだ暗殺者か、あるいは私たちの「契約」の不名誉な証拠を掴もうとする密偵か。
レオ様は迷うことなく私の手首を強く掴んで引き寄せると、生い茂る薔薇のアーチの影
人一人がやっと入れるほどの狭い石造りの窪みへと私を乱暴に押し込んだ。
「……!」
「ローラ、落ち着いて……そのままじっとして」
石壁に囲まれた、密閉されたかのような窮屈な空間。
私の背中は夜露に濡れた冷たい石に押し付けられ、目の前にはレオ様の逞しい胸板が、壁のように立ちはだかっている。
あまりの近さに、彼の軍服の硬い金ボタンが私のドレスのレースに触れ
カチリと微かな、けれど鼓膜を打つほど鮮明な音を立てた。
外ではスパイたちが低い声で密談を交わしながら、すぐ近くまで迫っているのが分かる。
(…息が、できない……)
外敵への恐怖と、それ以上に、全身で感じてしまうレオ様の体温に頭がどうにかなりそうだった。
彼の長い足が、逃げ場を封じるように私の足の間に割り込み、完全に身動きが取れなくなる。
レオ様は片手で私の口を優しく
けれど確実に塞ぎ、もう片方の腕で私の腰を折れそうなほど強く抱きしめた。
暗闇の中、至近距離で見つめ合う彼の琥珀色の瞳だけが、獣のように妖しく光っている。
「……っ……」
スパイたちの足音が、私たちの隠れている場所の真横でぴたりと止まった。
心臓が喉を突き破らんばかりに跳ね、そのあまりに激しい動悸は
密着したレオ様の厚い胸板を通じて、彼にもすべて伝わっているはずだ。
その時、レオ様がわずかに、抗いようのない力で顔を近づけた。
鼻先が触れ合い、彼の熱く乱れた吐息が、私の唇を容赦なくかすめる。
(……え? レオ様……?)
演技じゃない。これはあくまで追手を撒くための、致し方ない秘匿行動のはずだ。
なのに、彼の手が震える私の頬を愛おしそうに包み込み
親指が私の下唇の輪郭をゆっくりとなぞった。
彼の瞳には、これまでのどんな完璧な「溺愛の演技」よりも深く
暗く、そして悲しいほどに切実な熱が宿っている。
追っ手の足音が遠ざかり、闇が静寂を取り戻した、その瞬間だった。
「……ローラ。もう、演技はできないかもしれない」
掠れた、苦しげな独白。
次の瞬間、私の視界は彼の長い睫毛に覆われ
唇に柔らかな、けれど逃げ場のないほど強引で重い熱が押し当てられた。
これまでの頬や額へ落としてきた
事務的な「契約の接吻」とは、温度も質感も
すべてが違った。
深く、貪るような、魂を分け合うかのような切実なまでの口づけ。
舌先が微かに触れ合い、脳を直接焼くような甘美な陶酔が、つま先まで駆け抜けていく。
(…これは、本当にビジネスなの……っ?)
冷たい石壁と彼の熱い体に挟まれ、私はただ
彼から漂う清潔なシトラスの香りと、隠しきれなくなった苛烈な独占欲に翻弄されるしかなかった。
ようやく唇が離れたとき、レオ様は私の肩に額を預け、荒い呼吸を繰り返しながら、絞り出すような声で愛を乞うように囁いた。
「……すまない、これが僕の……隠しきれなくなった本当の気持ちなんだ」
暗闇の中で重なり合う二人の鼓動は、もうどちらがどちらのものか判別がつかないほど
激しく、情熱的に共鳴し合っていた。
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