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「患部を引っ張る?」
医師は怪訝な顔をした。
その顔を見た瞬間アルメリアは、今までのこの医師の反応からも、先に理由を聞かないと納得して行動に移さないタイプだと判断した。なので、早く処置をしたかったものの、まず先に牽引せねばならない理由を説明することにした。
「骨の周囲には、それらを動かすためにそれを取り巻く伸縮性の強いゴムのような筋肉というものがついてますの。骨が折れてしまっている今、その筋肉が強い力で収縮してしまっていますわ。ということは、それを正しい位置に無理やりでも引っ張り、固定せねば骨が変な位置で修復してくっついてしまいますの」
その説明に、医師はしばらく考えたのち頷く。
「なるほど、承知しました。ではどのように引っ張りましょう?」
アルメリアはこの医師の飲み込が早くて安心した。
「脛の部位が折れているようなので、問題のない足首に布を当てて患部を引っ張りましょう。砂袋を使って少しずつ重しを増やして引っ張り、ちょうどよい重さを決めればよろしいですわ。それから骨がずれないように板と包帯で患部を固定します。かなり痛いはずですから、ルーカスが寝ている間にことをすませたほうがよろしいですわね」
アルメリアがそう言うと、後ろで話を聞いていた使用人が、砂袋と適当な布紐を探しに部屋を飛び出した。そして、アルメリアはフィルブライト公爵に向き直ると言った。
「パッションフラワーは使用を控えるよう言われておりますけれど、痛み止めとしてこれほど素晴らしい薬草はありません。使用することによって国王陛下より、なにかしらのお達しがありましたら私からお父様に言いますわ。そうすれば、お父様もきっと国王陛下には口添えしてくれると思いますの。ですから心配せずにパッションフラワーを使いましょう」
アルメリアがそう言うと、医師が横で怪訝な顔をした。
「お嬢様、私はパッションフラワーを使うのは反対です」
アルメリアは、得たいの知れないものを使いたくないという医師の気持ちも理解しているつもりだ。
「確かに、心配なのはわかります。一過性に多量に摂取すれば毒にもなると思いますけれど、適量なら問題ありませんわ。それに、人間は痛みによってとてもダメージを受ける生き物です。まずは痛みをとらなければ治るのが遅くなるのです。心配でしたら私が責任を持って最後まで使用を監督いたしますわ」
その台詞を聞いて、医師もフィルブライト公爵も安堵したようだった。そして、フィルブライト公爵はアルメリアの手を取って言った。
「公爵令嬢にこんなことをさせてしまって大変申し訳ない。貴女の噂は方々から聞いている。そんな人物の力添えを受けられるとは、とても有難い申し出だ」
横にいた医師はアルメリアの顔を見て目を丸くする。
「公爵令嬢って、まさか貴女が、あのかの有名なクンシラン公爵令嬢ですか?」
アルメリアは苦笑し微笑むと、なにか言いたそうな医師を制した。
「今は、治療に専念しましょう」
そう言ってメイドや執事の持ってきた紐とタオルを預かると、ルーカスの足首を固定し、更に上半身も動かないように固定した。そうして必要な道具を持ってくるよう指示しながら簡易的な牽引装置を作った。そうこうしているうちに、アルメリアの執務室から氷が運ばれてくる。
ルーカスは熱をだし始めていたので、その氷を皮袋に入れさせると、足のつけねと脇の下を冷やした。そして、医師に説明する。
「この氷は、熱を冷ますためのものですわ。ここを冷やすことが大事ですの。熱が高くて本人が寒がらなければ冷やし続けて下さい。それと足を引っ張る装置は簡易的に作ったものですわ。あまり触らないように。しばらくは引っ張る必要がありますから、後日改めてもっと使い心地の良いものを考えて作り直しましょう。それと先生はパッションフラワーには反対かもしれませんが、ルーカスが痛みを訴えたらすぐに飲ませて様子を見るようにしていただけるかしら?」
そう言いながらルーカスの汗を拭うアルメリアの背後に、医師は跪いた。
「かしこまりました、お任せください。大変勉強になります、ご教授ありがとうございます」
それに気づいたアルメリアは、慌てて振り返った。
「そんな、先生お止めになって下さい。私はなにもしておりませんわ」
そう言って、医師の前に屈み医師を立たせようとしたそのとき、その横にいたフィルブライト公爵も跪いた。
「いや、クンシラン公爵令嬢。本当に息子のためにありがとう。なんとお礼を言ったらよいか」
「卿にそうされては私も、どうして良いかわからなくなりますわ。お立ちになられて下さいませ」
「いいや、貴女を呼びにいったのは間違いではなかった。息子のことを安心してまかせられる。貴女は本当に得難い女性だ」
アルメリアは首を振る。
「違いますわ、初期の対応が良かったからどうにかなったんですわ。患部を動かさないように痛みに悶える令息をここまで運ぶのは、とても大変だったと思いますの」
アルメリアは医師や執事たちを見回す。彼らは苦笑して頭を下げた。フィルブライト公爵には表立って言えないものの、とても苦労したのだろう。フィルブライト公爵は立ち上がり周囲を見回し頷いた。
「みな愚息のために、ありがとう」
そして頭を下げた。
「旦那様、とんでもないことです」
「いいえ、そんな」
使用人たちはとても恐縮した様子になって口々にそう言った。それを確認するとアルメリアは医師にも立つよう促し、自身も立ち上がりフィルブライト公爵に向き直った。
「では今のところ令息は落ち着かれているようですし、私は城にもどらせていただきますわね」
フィルブライト公爵はそれを聞いて申し訳なさそうに言った。
「急に連れてきてしまい、申し訳なかった。城まで送りましょう」
エスコートされ、アルメリアがドアの方へ歩きだした瞬間、背後から医師が声をかけた。
「クンシラン公爵令嬢、すみませんお忙しいとは思いますが、お戻りの前に自己紹介をさせてください。私はアルと申します。ルーカス様の治療で色々お世話になると思います。今後もご指導よろしくお願いいたします」
アルメリアは、アルが自分をかなり買い被っていることに内心苦笑しながら、とりあえず微笑んで部屋を後にした。
城の執務室に戻ると、ずっと後ろからついてきていたリカオンが、呆れた顔で言った。
「お嬢様は人が良すぎるのでは? 彼らを助けるなら、先にそれ相応の見返りを要求すべきです。どうせお嬢様になにかあっても、彼らは助けてはくれませんよ」
リカオンの言っていることは理解できた。確かにその通りで、アルメリアが断罪されようとなんだろうと彼らは助けてくれないかもしれない。だが、アルメリアは、目の前で困っている人間を見て見ぬふりなどできなかった。
リカオンにはどう答えても、呆れ顔で一言なにか嫌みを言われるだけなのはわかっていたので、笑ってごまかした。
すると、リカオンは困った顔をしたあと、諦めたように微笑む。
「貴女が、そんなだから……、いえ、なんでもありません」
そう言ってリカオンは口を噤んでしまった。