凪は街中を歩く中、ショーウィンドウに映った自分の姿を横目に見る。その場で足を止めるとまじまじと自分の顔を見つめた。
原木が言っていたように、全く別の自分を見つけた気がした。
うーわ、悔しいけど俺これ似合うわ。
思わず自分でそう思ってしまうほど。千紘に再会したのは気に食わないが、本日は特に何をされたわけでもなくなんなら念願のカットをしてもらったのだ。
ヘッドマッサージも気持ちよかったなぁ……そう思い出して凪は慌てて首を左右に振った。
「いやいや、もう行かねぇし!」
街中だというのに人目もはばからずに独り言を呟いた。隣を通り過ぎた人が不審な目で振り返る。
もう行かなければいい話。俺の後のカットは俺にしかできない。そう言ってはいたが、伸びるまで待つことくらいできる。セットでなんとでもなる。
凪はそう強気に考えていた。
スマートフォンが震えてスボンの後ろポケットから取り出した。画面を見れば、この後予約が入っていた客からDMが届いていた。
『今日楽しみにしてるね! この前一緒に撮った写真見ながらドキドキしてる。早く会いたいな』
凪はDMのトーク履歴を遡った。そこに自分が送った写真が添付されている。凪が一緒にツーショット撮ろう! と言って撮った写真だ。
「一緒に写真撮って思い出欲しいなぁ」
凪がそう言えば断る客はそういない。自分は特別なんじゃないかと思えるし、ルックスのいい凪との写真は自慢にもなる。
凪にとっては誰と一緒に写真をとっても同じ。けれど、彼女にとっては恐らく違うのだろう。
『俺も楽しみだよ。ゆみちゃん、可愛いからほんとに癒される。また一緒に写真撮ろうね』
そう返信してふと手を止めた。
……写真。写真ー!
凪は勢いよく顔を上げた。なぜか完全に忘れていた。隠し撮りされた情事後の写真。千紘とのツーショット。絶対に公開されたくない写真。
そうだった……。そもそも脅されてカットされたんだ。このままあの店に行かなくなったら……どうなる? ばら撒かれる? 店の名前も源氏名も本名も全て知られている。
ネットにでも晒されたら……。
凪はさあっと顔を青くさせた。
無理だ。消させないと。どうにかしてあの写真を消させないと……。凪はわなわなと拳を震わせながら、どうやってあの写真を消させるかを考えなければならなかった。
沈んだ気持ちで客と会ったからと言って手を抜くわけにもいかない。凪は淡々と仕事をこなし、笑顔を作って甘い言葉を囁いた。
「快くん、今日もありがとう。次はロングにしようかな……」
「え? ほんと!?」
「うん。最近帰ってから寂しくて……もっと一緒にいたいって思って」
「嬉しいー! ありがとうね! 俺もずっと一緒にいたいよ。そういうの素直に言ってくれるの可愛い」
凪は笑顔でゆみを抱きしめた。
時間はいつも120分と短めだが、週に2回のペースで予約してくれる客だった。ロングで取るということは、それだけ金がかかる。
会う度に本番を、とはいかないが会う内の何回かは挿入した。
「へへ。私も快くん大好き。でも、今日私でイってほしかったなぁ」
凪の腕に頭をあずけてゆみは言う。スタイルは悪くないが、顔は好みじゃなかった。顔を隠せば下半身は反応するが、やはり今日も挿入しても絶頂を迎えられなかった。
「そうだよね、ごめんね。でも、俺がイクよりも、ゆみちゃんが感じてる顔見てる方が好きなんだもん」
「えー! 私、挿れてる時すごい気持ちよかったけど」
「俺もよかったよ。今度のロングの時にいっぱい出させてもらおうかな」
凪が額にキスを落として言うと、ゆみは嬉しそうに顔を綻ばせた。ロングにすれば長い間、凪と繋がっていられると想像しているのだ。
そんな顔を見て凪は目を瞑ってじっと考え込む。
あー……クソ。今日絶対アイツに会ったからだよ! 警戒してんだ、俺の体。この女だって目を瞑れば今まではイケたのに!
そろそろいい加減客でイケるようにならないとまずい。仕事に影響出るし、いつまでも誤魔化せない。
凪はセラピストとしての危機を感じていた。本番があるから凪を指名している客も多い。まだ勃起するだけマシだが、それだって相手によってはかなり集中力が必要だった。
ゆみと別れた凪は、報告の連絡を事務所に入れた。次の客の予約を確認するためにホーム画面に戻れば数件の不在着信が表示されていた。
「電話……誰だ」
凪は顔をしかめた。客に電話番号を教えることはないし、事務所の番号とも違う。迷惑電話を疑って検索してみるも引っかからない。
こんなに何回もかけてくるってことは急用? まさか家族になんかあったとか? 連絡取れなくなった友達とか?
凪はうーんと悩んだ末、その電話番号に折り返しの電話をかけた。怪しい電話ならすぐに切ればいい。大した用事じゃなければ忙しいと言って切り上げればいい。凪はそう思いながら呼出音を聞いていた。
「あ、もしもし」
電話が繋がり、凪の方から声をかけた。向こう側は静かなもので、すぐに「凪? 俺だよ。千紘」と低い声が聞こえた。
さあっと血の気が引いた凪は、思わず電話を切った。反射的だった。ツイッターのアカウントはブロックしたし、新規の捨てアカウントも相手にしないようにしていた。
どうしてもという客には店を通してもらい、かなり千紘を警戒していたのだ。
電話番号など知るはずがない。それなのになぜ……そう思ってハッと顔をあげた。この2年間、美容院の予約はずっと電話で取っていた。
当然店には凪の顧客情報があるはずだった。
まさか……アイツ。
わなわなと手を震わせる凪。その瞬間、スマートフォンも着信を知らせた。凪がかけ直した同じ番号。
千紘だとわかっているのだから出なければいい。そう思うのに、頭に浮かぶのは例の写真。
「あー……クソッ!」
凪は地団駄を踏んで通話に切り替えた。
「お前、電話番号!」
「凪、デートしよー」
「聞け! おい、コラ! テメェ店で俺の番号調べたろ!」
「食べ物何好き? ご飯行く?」
「行かねぇよ! 答えろよ!」
「もう、凪。声大きいよ。俺、耳痛くなっちゃう」
とろんと甘い声で千紘は言った。ゆったりとした声は昼間聞いた時と同じだった。
「話聞かないからだろ!」
「今まで番号知っててもかけなかっただけ褒めてよ。わざわざ遠回りしてDMまで送ったのに」
「おい。なんでお前の方が呆れてんだよ。ふざけんな! 個人情報漏洩じゃねぇか!」
「じゃあ、DMでいいよ」
「ブロックしてんだよ!」
「新しい垢作るよー」
「作んな、クソ。気持ち悪ぃ!」
「はは。口悪いなぁ。……可愛いなぁ」
うっとりとした千紘の声が耳介をなぞるように響き、凪は身震いをした。今のどこに可愛い要素があったのか全く理解できなかった。
「なんで電話なんか」
「今日普通に帰ってったから写真のこと忘れてるんじゃないかと思って」
さらっと言った千紘に凪はガクンと項垂れた。わざわざ連絡してこなくてもこっちも思い出してショック受けてんだよ。そう心の中で嘆きながら凪は「……脅して何が目的?」と尋ねた。
「凪」
「無理。キモイって言ってるだろ」
「そんなに男に好かれるのキモイ?」
「それ以前にお前のやり方が汚くて嫌い。男が好きなのもキモイ、大嫌い」
「……んー……そうか」
あんなにもあっけらかんとしていたのに、淡々と言った凪の言葉に、千紘は声のトーンを下げた。空気が変わった気がして、凪はピクリと瞼を上げた。
千紘のことは許せないが、同性を好きなことをキモイと言ってしまった件に関してはマズかったかも……と息を飲んだ。
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