「うるさいから静かにして。授業が始まる」
鶴の一声、と言うのだろうか。あんなにも騒いでいた私たちは抗おうともせず、即座に彼女の言葉に従った。あのデカチチ先生にさえ反抗を見せる私であるが、彼女にだけはここに入学してからの一年間。一度もそうした事が無いどころか、失礼になる態度すら見せてはいない。そしてそれは、アカリもリュウトも同じ事。この学校には幾つかルールがある。その中で最も強いのが、十五から十九歳になるまでの四年間しかいられないというものだ。これは所謂成長期、に潜在能力――セクトを覚醒させられなければ才能無しと見做されるという事である。四人しか生徒がいないのも単に私たちが売れ残りであるだけであって、時期によっては十人を超えていた頃もあったそうだ。
私とは正反対の位置に座る彼女の銀髪は、窓の外から差し込む日の光に照らされて星空のように輝いている。一見美しいという感想だけで終わるその光景にはどこか儚さがあった。彼女――不知火セツナはもう十八歳。残り一年足らずで用無しとなるのだ。別に成績が悪いだとかそういう訳では無く、むしろ超が付くほどの優秀っぷり。スポーツも勉学も全てにおいて完璧と言える能力を許している。だが、だからこそ、その現実は彼女にとって耐え難く辛かったのだろう。周りが次々と覚醒を果たして使徒となる中、彼女だけはそうならなかった。努力が足りなかったのではない、才が無かったのだ。ほぼ全て完璧な彼女の唯一の欠点がそれであっただけだというのに、彼女の未来は閉ざさってしまった。私たち三人は本当の彼女を、笑う彼女を知らない。何かただ死を待つような、大きすぎる心の穴に支配されているような、そんな悲しい彼女しか見たことが無い。学校の一員であっても、明確に彼女との間には果てしない距離と壁がある。顔を知っているだけの赤の他人。それが私たちにとっての不知火セツナなのだ。
「よし……それじゃあ、授業始めるぞ。おい佐藤。起きてるか?」
「……あ、はい!」
不知火セツナ。私は今まで彼女を可能な限り、気にしないようにして生活してきた。視界には入れないようにするし、下手に名前も挙げないし、考えもしない。そうやって彼女という存在と現実から逃げていた。だが、今日ばかりはそれは不可能であった。どう抗おうとも私は彼女を考えてしまう。私は机の下で一枚の紙を握りしめた。そう、これだ。これが私を狂わしている。
朝、学校に来た時、私の席には妙な違和感があった。特に異変がある訳では無いが普段とは違っていた。一度席に座ってみると、その違和感の正体は案外呆気なくわかった。荒れているはずの机の中が綺麗に整理されていたのだ。それも半端なものでは無い。授業の順番通りに上から教材が積まれている。ぐしゃぐしゃだったはずのプリントも広がった状態。更には何処から来たのかもわかっていなかった悪臭すら改善されていたのだ。感動と恐怖が私の心を揺らす。もちろん綺麗になったのは喜ばしい事だ。だが、それを私ではない誰かがやったという事が恐ろしくて性がなかった。アカリ、リュウト、デカチチ。その誰でもない。アカリは綺麗好きではあるが、それ故にあまりに汚い私の机の中には手を入れられない。リュウトは何も言わずにそのような事をする人間ではない。デカチチは論外。下手すれば私以上の大雑把な性格。掃除は面倒だと言って机と教材ごと変えてしまうのが彼女だろう。となると、残りは不知火セツナしかいない訳だが、それこそ本当にあり得ないことである。怪異がやったと言われた方がまだ信じられる。そもそも彼女は人と関わる事を良しとしない。事情を知らぬ者から見た時、私たちと彼女の関係はいじめっ子といじめられっ子かもしれない。だが、実際は違う。彼女が私たちと話したがらないのだ。それに対して私たちはとやかく言ったりはしないし、そもそも言う権利すら無い。
困惑しながらも綺麗になった姿を感心して眺めていると、積み重なった教材の一番上に何かがある事に気が付いた。影になっているその場所へ手を伸ばす。私の手が掴んだのは封筒。それもかなり変わったものだ。マットな質感の黒に星空のようなラメが広がっている。別に誰かに見られてはいけないという訳でも無いというのに、不思議なほどに他人には知られたくない。右、左、右と周りを確認して音を立てずに開く。柑橘系のスッキリとした良い匂いと共に出てきたのは一枚の紙。畳まれたそれを開くとそこには達筆でありながら可愛らしさも兼ね備えている、女性の文字があった。
『伝えたい事があります。今日の放課後の校舎裏に来てください――不知火セツナより』
コメント
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表現・文章の構成がめちゃくちゃ凄いです✨️ ノベルが活かせてて凄い💫(こっちの方が語彙力無い) 続きが楽しみです✡ 頑張ってください🔥