テラーノベル
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……リーマンショックに伴う世界的大不況により、衆議院を解散する時機を誤った保守党青梅一郎内閣は、三年三ヶ月に渡る民衆党の政権交代を許した。理想に走りがちな鳥山幸人、市民活動家出身の菅野直彦の政治を保守党は許せなかった。
もう終わった政治家と思われていた物部泰三元内閣総理大臣は、雌伏の時を経て、現総裁谷口純一を制して総裁選に勝ち上がった。
物部は、船橋喜彦内閣総理大臣に野党総裁として解散を迫った。火花散る論戦の末、議員定数の削減と引き換えに衆議院解散の言質を取る。
物部保守党は衆議院解散総選挙に勝利した。
青梅一郎元内閣総理大臣を副総理兼財務大臣として迎え、総裁選で争った森田正好を農林水産大臣に、谷口純一前総裁を法務大臣に、国防族議員の因幡守を党幹事長とした。
自身は改新党という新党を率いる荒垣健は、航空自衛隊の元戦闘機パイロットである。物部政権に防衛大臣としての入閣を要請された。彼は物部政権の軍師として、世界安全保障戦略の設計図を描くこととなる。荒垣はのちの政界の英雄を内閣官房長官として支える立場となる。
副大臣政務官名簿の中に、後の世の英雄の育ての親となる秋津文彦国土交通副大臣の名もあるが、今は彼は派閥領袖たる御屋敷芳弘代議士からわずかな利権の余りを受け取るだけの田舎議員にすぎない。
さて、この世界には、楠木正成ら武家の末裔が現地住民と混血し住む南興島という南の島がある。南興は、東側陣営の南興社会主義人民共和国(南南興)と西側陣営の南興共和国(北南興)に別れていた。南興人民共和国大統領、南興楠木家当主、南興労農党委員長たる楠木正興を取り巻く日本政府高官。特に秋津国交副大臣は南興インフラ開発を支援する立場であるし、森田農水大臣は娘が南興で大学生活を送る立場である。楠木正興の娘を楠木沙織、森田正好の娘を森田このみといった。楠木沙織はのちに父の立場を継ぐ。
保守党の政権奪還には、ネット世論の操作が大きかったと言われている。保守党ネットサポーターズクラブだ。支持者どうしのインターネットによるレスバから、党首対党首の激論に至るまで、社会は物部保守党によって分断されようとしていた。保守党と公民党の連立政権に対し、民衆党、労働党、社会福祉党、令和奇兵隊の野党が共闘する体制となる。
物部は支持率のために芸能界ですら政治利用するが、それに違和感を覚え始めた玉川芳彦という少年がいる。今の彼にその風格はないが、彼は驚くべきことに足利一門、斯波家の子孫である。南南興の楠木家とは南北朝時代に袂を分かった関係である。芸能プロデューサーを夢見るが、家族に理系の進路を迫られていた。彼は斯波高義と改名するが、彼はのちの副総理兼財務大臣である。さらに後の世では内閣総理大臣となるのだ。
物部の政権奪還から一年後、千葉県豪雨災害が起こる。その現場を秋津文彦国土交通大臣が視察する。そして市井の少年悠斗はまだ義務教育の身でありながら汚泥の掻き出しに汗を流していた。秋津悠斗。のちの内閣総理大臣である。
後の世において、歴史を変えた秋津悠斗、斯波高義、楠木沙織の三者を三英傑と呼ぶ。
今ここに、三英傑ら政治家の物語と、若き総理の一代記が開幕する!
《 内閣総理大臣秋津悠斗 第一部「立志」 第1話『英傑たちを結ぶ運命・少年よ社会にほえろ』 》
……千葉県豪雨災害から一夜明け、被災地では復旧活動が進められていた。
ざく、ざくとシャベルで汚泥を削る一人の少年。泥にまみれた顔を拭くと、中学生らしい幼さと可愛らしさがわかる。紫の瞳に藍色の髪の男の子だ。
「おーい、悠斗君、その辺にしとくべや」
地域の高齢者がやかんを片手に休憩を促す。
「ここだけやったら行きます!」
彼こそが悠斗である。この時点で名字は秋津ではない。本田悠斗という名だ。
「ああ、そう?」
「まだ中学生だろ悠斗君は」
「若いのに頑張るねえ」
「末は博士か大臣か。だな!」
かつて子供たちの夢は総理大臣になることだった。そんな子が今、どれだけいるのだろう? 秋津悠斗内閣総理大臣はこの時点では純粋無垢な男の子でしかなかった。
「それに比べて、青山知事は一体何をやっているのかね」
昭和の青春スター出身の青山春之助千葉県知事は、明朗快活な人柄から察するに決して悪人ではないのだけれども、いささか実務能力に乏しい。
当然自治体任せにしていられない国すなわち物部泰三政権は、災害対応の迅速さのアピールも兼ねて、国土交通副大臣を団長とする政府視察団を現地に派遣した。
秋津国交副大臣を地元市長に地方議員そして官僚や職員が取り巻き、氾濫した川を視察する。防災服を着た一行が見つめる先には、汚泥にまみれた惨状があった。
「ひどいものだ」
秋津文彦の持論は防災であった。
「秋津副大臣、お時間です」
副大臣はいそがしい。警察の警護担当者に促されるまま黒塗りのワンボックスカーに乗り込もうとする。
「おい! そこのおっさん!」
年寄りが茶を噴き出す。見れば、悠斗が肩で息切らせながら天下の国土交通副大臣を怒鳴りつけているではないか。
「お偉いさんは見ているだけでいいから楽ですね! 少しは手伝ったらどうですか」
言ってしまった。年寄りが中学生の幼稚な義憤を止めようとしたが遅かった。警察官がじりじりと歩み寄ってくる。社会の不条理に吠えた少年は国家権力の前に排除されるのか。
「待て」
「え」
「その子の言うとおりだな。すまなかったねえ、そっち手伝うよ」
少年の正義感が国家権力に勝った。
数十分、二人仲良く作業の泥にまみれた……房総の山々を背景に作業が一段落する。
「あの、副大臣だったんですか」
秋津文彦は市議会議員、県議会議員、市長を経験して今の立場にある。
「あれ、言ってなかったか」
「そんなに偉い政治家だったなんて。すいませんあんな失礼なことを」
「ははは、気に入ったよその度胸をね」
文彦が悠斗の肩を優しくたたく。まるで親子だった。
悠斗は立ち上がると文彦に正対し、頭を下げた。
「秋津議員、弟子にしてください!」
「は、はあ!?」
文彦は素っ頓狂な声を上げた。
* *
……それから季節は巡り、年月は経った。
揺れる車内の後部座席にて、微笑ましい光景がある。
「むにゃむにゃ、弟子にしてくださいオヤジ」
「おいおい、もう弟子なんだから起きて仕事してくれよ」
可愛い寝顔の秋津悠斗を文彦は優しく起こす。
そして書生としての彼に、これから訪問する場所への同行を言いつけた。
「さて、これから森田大臣邸にお邪魔するぞ」
彼らがこれから向かうのは、森田正好農林水産大臣の邸宅だ。今そこには南興社会主義人民共和国の大統領令嬢、楠木沙織がショートステイしている。
森田邸で開かれるささやかな歓迎の席にて、秋津悠斗は森田大臣の令嬢森田このみと会うのを楽しみにしていた。憧れの年上のお姉さんだ。
「お土産ひとりぶんしか持ってきてないや」
秋津悠斗が持つ紙袋には漫画が入っていた。
「はっはっは。気遣いができて素晴らしい」
やがて車は森田邸に着いた。
「秋津先生、お久しぶりです」
森田正好農林水産大臣が文彦を出迎える。
「悠斗くん、久しぶり!」
森田このみが秋津悠斗を出迎える。
眼鏡をかけ清楚な雰囲気の彼女にやはり悠斗は見惚れる。
「このみ姉貴、これプレゼント」
「これ! 欲しかった漫画!」
「ああ、南興じゃなかなか手に入らないだろうと思って」
森田このみは南興の大学に留学しており、その縁で秋津文彦国土交通副大臣や楠木沙織と知り合った。
「いくらしたの? その分払うよ?」
「いいよいいよ、これは俺の気持ち」
「そんな悪いよ、じゃあせめて東京いる時、お茶奢るよ」
「あ、じゃあ、お言葉に甘えて……」
悠斗が頬を染める。
「ふふっ、身長も高くてイケメンになってきたけど、かわいいね」
このみに悠斗は照れる。
「な、なんだよ……」
すると、話し声を聞きつけたのか、二階から人が降りてきた。
健康的なやや褐色の肌だが日本人らしい彼女らは、南興人であるらしかった。
秋津文彦が彼女らと一言二言挨拶を交わす
「おい悠斗挨拶しな、こちらの方は南南興の二の姫様だぞ」
「はじめまして! 秋津悠斗と言います。よろしくお願いします」
少年らしい挨拶に楠木沙織は顔を綻ばせる。
「ふふっ、楠木沙織と言います。こちらこそよろしくお願いします」
* *
夜になり、一行の姿は高級中華料理店にあった。
「悠斗君は漫画好きなんだね?」
「はい、実は俺……私も趣味で描いていたりするんですが」
悠斗はどちらかといえば文化系であった。
「え、じゃあ今度お茶した時に見せてくれない?」
悠斗が嬉しそうにする。
「よかったじゃないか悠斗」
文彦がビールで喉を鳴らす。
「悠斗の母、私の後妻は悠斗の趣味が理解できないようでね、日本教職員組合の教師で次期幹部候補だからさもありなんと言ったところなのだがね」
「あ、あの日教組……」
一方、店の他の卓でも家庭環境が話題に上っていた。
祖母らしき女性が孫らしき少年に問う。
「高校は楽しい?」
「まあね、とりあえずはうまくはいっている」
「ハッハ、まぁよし君の頭なら、きっと良い成績残せるわ」
「……」
「何浮かない顔しているのよ」
「いや、何でもないけど……」
「ならいいんだけど」
すると今度は、よし君と呼ばれる少年の母親に顔を向ける。老婆の娘だ。
「ところで春子、よし君もそろそろ塾とか予備校とかも行くんでしょう? お金出すわよ?」
「まぁ、まだ1年生で、一貫校とはいえ、学部も学部だしね」
「ううん、僕はまだ学校だけで良いと思うんだけど」
よし君は難色を示す。
「でも、早めに手を打っておかないと、医学部だと高3始まるころまでにはそれなりの難度の問題も解けて、好成績残さなきゃいけないのよ。学校生活、楽しんでもいいけど、将来の為によく考えて」
母親は頭ごなしに叱りつける。
「うん……」
その様子を、母親の妹、睦子がやや心配そうな目をしていた。
一方、食事が終わった一行は。
「いやぁ、美味しかったぁ!」
「それは良かったです」
「中々実家では中華料理を口にしないので、ちょっと新鮮でした」
「そうなのですか。それは何より」
そう言いながら、森田正好がとある二人を遠目に見ていた。
「どうしたのですか?」
「あ、いや、ちょっと見知った顔があったもので……」
森田正好が見る先には、叔母と甥っ子が会話を交わしていた。
「やっぱり医学部行きたくないな……」
「うーん、もうお姉ちゃんとママ、何が何でも行かせる気になっているよね。私はもう止められないな……」
「それでも……、僕にはやりたいことがあるのに。前それを仄めかしただけで、否定されてるし、どうにかならないかなぁ……」
「私も、コネクション使って何とか解決策考えてみるから、それまで頑張って……」
「有難う、叔母ちゃん」
その様子を見ていた森田は呟いた。
「また斯波家で、めんどいことが起こってそうだな……」
睦子の姓は『斯波』でその甥の名は玉川芳彦。後に彼は、沙織や秋津の運命を変えるどころか、とある業界に旋風を巻き起こすことになるのだが、まだその風格は漂っていない。
のちの斯波高義、三英傑のひとりである。
奇しくもこの日、秋津悠斗、斯波高義、楠木沙織が邂逅している。
この日本、この時代、自分が歴史の中においてどの立場で何を為す者か、自覚している人間は幾人を数えることができたであろうか。それを知る者にも知らぬ者にも、政治は避けては通れぬ命題なのだ……