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相棒
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初めて椿彩を見た時、俺はあまりの可愛さに驚いた。
まだあどけなさの残る少女。そんな彼女が弓を引き、矢を放つ。
およそ100年後の時代から来たという彼女が、この世界で生きる為に鬼殺隊に入り、剣術も覚えたそうだ。
最終選別を突破し、ヘロヘロになりながら蝶屋敷に戻った椿彩。数日眠りこけて、ようやく目を覚ました彼女と対面した。
『あなたが私の鎹鴉?』
《ソウダ。ヨロシクナ、椿彩》
『よろしくね。あなたのお名前は?』
《名前ハマダナイ。好キナヨウニ呼ンデクレ》
『ふふ。“吾輩は猫である”みたい』
彼女が有名な小説家の処女作の冒頭を知っていたことに驚く。
『…ね、触っていい?』
《イイゾ》
ふわりと椿彩の手が触れた。
華奢な指先。すべすべの手の甲。手のひらにはまめが潰れて硬くなった痕があった。
『わあ〜、柔らかいね!羽もつやつやで綺麗』
俺の頭や身体を撫でながら、椿彩が顔を綻ばせた。
『…抱っこしていい?』
抱っこか。子ども扱いされているようにも感じたが、可愛い嬢ちゃんに頼まれたら断れないな。
《好キニシナ》
『わあ!ありがとう!』
椿彩が俺を抱き締めた。潰さないように優しく。
『あったかくて柔らかい…可愛い…』
彼女の白い頬が擦り寄せられる。自分だって柔らかいほっぺしてるじゃないか。
『……あなたのお名前、“陽向(ひなた)”でどうかな?お日様みたいにあったかくていい匂いがするの。一緒にいるとすごく安心する』
安心…か。最終選別を突破して正式に鬼殺隊に入り、蝶屋敷という新しい居場所を得た彼女の、心の奥にある不安な気持ちがふと顔を覗かせたようで。俺はちくりと胸が痛んだ。
《…イイ名前ダナ。気ニ入ッタ。俺ハ今カラ陽向ダ》
『ほんと?よかった!陽向、よろしくね』
《アア、ヨロシクナ。椿彩、俺ハイツデモオマエノ味方ダカラナ》
『うん、ありがとう。心強いね』
椿彩が笑った。なんて可愛らしいのだろう。
俺はその時から、すっかり彼女にメロメロになってしまった。
椿彩はとてもいい子だ。
優しくて真っ直ぐで、料理も上手で。俺のことも、他の鴉たちのこともとても大切にしてくれる。
いつだって笑顔で周りに接してやる彼女。面倒見もよく、同じ歳や年下の奴らからも慕われているようだった。そして、年上の奴らからもとても可愛がられていた。
合気道とやらを元の世界で習っていた椿彩は、勘がよく、みるみるうちに剣の腕も上げていった。弓だけでは鬼を倒すのに限界があるから、と。
手のひらにはいくつもまめができては潰れ、それを繰り返して皮膚が更に硬くなっていく。
痛々しい。突然この世界に来てしまうなんてことがなければ、彼女は今も穏やかに幸せに、元の世界で暮らしていただろうに。手だって少女の柔らかな手のままであっただろうに。
しかし、彼女がこの世界に来てくれたから、こうして出会い、相棒になれたのも事実だ。それを考えると嬉しい気持ちも確かにあり、複雑だった。
いつも明るい椿彩。でも、時々人目を盗んで泣いていた。極力周りに心配させないようにと思ったのだろう。
『…っ…ごめんね、陽向…すぐ泣き止むから……。うっ…』
《……無理ニ堪エヨウトシナクテイイ。俺ハココニイルゾ》
『ふふ…ありがとう、陽向……』
泣いている時でさえ笑顔を作ろうとする椿彩。健気なその姿に胸が締めつけられる。
ああ、自分が人間だったら。目の前の少女を…肩を震わせて泣く彼女を、ぎゅっと抱き締めてやれるのに。
頬に零れた涙をそっと拭ってやれるのに。
鬼殺隊に仕える鎹鴉として高い自尊心を持っていたが、こんな時はどうしても、人間とは違う生物に生まれてきた己を少し恨めしく思ってしまう。
『……ふぅ…。陽向、ありがとう。もう大丈夫』
《ソウカ。……椿彩》
『なあに?』
《俺ハオマエガツライ時、何モシテヤレナイナ。ゴメンナ》
『え、そんなことないよ!』
俺が言ったことに対して驚いたように否定する椿彩。
『人間相手だとどうしても強がっちゃうの。でも、そうじゃない相手にだったら泣き顔見せられる。陽向が傍にいてくれて、すごく安心するんだよ。ほんとにお日様みたいにあったかくて』
《…ソウカ……》
素直に嬉しかった。きっと椿彩は本心を言ってくれたのだろう。
霞柱の坊ちゃんが椿彩をデエトに誘いやがった。邪魔してやりたいところだが、お洒落した椿彩が可愛いし楽しそうなのでぐっと我慢する。
2人から少し離れた木の上でデエトの様子を見守る。
《オイ、銀子》
《何ヨ》
《オマエ、坊チャンガ女トデエトシテルノ、ヨク邪魔セズに辛抱シテラレテルナ。俺ハオマエノコトダカラ、俺ノ大事ナ椿彩ヲ突ッツイテ回ルンジャナイカト心配シテタゾ》
霞柱の鴉がフンッ…と鼻を鳴らす。
《アタシダッテホントハ気ニ食ワナイワヨ。…デモ、アンタノ主人ノオカゲデ無一郎ハ変ワッタ。年相応ノ男ノ子ノ顔ヲスルヨウニナッテ。無一郎ハ椿彩トイル時、本当ニ幸セソウデ。…ダカラ、マア…感謝モシテルシ見守ロウト思ッテルノヨ》
《ソウカ》
高飛車で生意気な態度を取るこいつも、坊ちゃんのことだけは本当に大事にしているのが見て分かる。
つい最近まで記憶を維持できなかった彼のことを守らんと、保護者のような感覚で見ているのだろう。
《…椿彩ハ任務デ身ヲ挺シテ無一郎ヲ庇ッテクレタ。命ノ恩人ヨ。ソレニ、彼ノ誕生日を一緒ニ祝ッテクレタ。アノ子がトテツモナク優シクテイイ子ナノ、ソンナコトトックニ分カッテルノヨ…》
意外だったな。溺愛する主人が椿彩に恋しちまって、もっと嫉妬に狂っていると思っていたが、椿彩が坊ちゃんにしてやったことをちゃんと認めて感謝していたのか。
《……デモ、ナンダカアタシ、椿彩ガ近イウチニ元イタ世界ニ帰ッチャウヨウナ、ソンナ気ガスルノヨネ…》
《!オマエモカ。…実ハ俺モナンダ。何ダロウナ……》
《“野生の勘”ッテ奴カシラ。…モシ本当ニソウナッタラ、無一郎ハ寂シイデショウネ…》
柄にもなくしんみりしてしまった俺たちをよそに、霞柱の坊ちゃんは椿彩に告白を終え、ここぞとばかりに俺の椿彩に抱き着いてやがる。
椿彩は坊ちゃんに対して弟のような気持ちで接しているのが分かっていたから。そこはちょっと同情しちまうけれど。
しばらく経ち、大勢の鬼殺隊の者が、椿彩が元の世界に戻る夢を見た。椿彩本人もだ。
どうやら近いうちに、俺や銀子の感じていたものが現実になってしまうらしい。
蝶屋敷の嬢ちゃんたちや猪頭の男も、慌てて椿彩に会いに来た耳飾りの男やタンポポ頭の男も、彼女の顔を見て泣いていた。
数日後の霞柱邸。稽古をしていた無一郎坊ちゃんと、炭治郎と、椿彩。
昼食を食べている最中、泣き出した椿彩。それをこちらも泣きながら、彼女の前後から抱き締める2人。
この世界に来てまだ日が浅い頃は、人に弱みを見せることに抵抗があった椿彩。そんな彼女が、仲間に対して素直に自分の気持ちを打ち明けられている。
進歩だ。2人の男に少し嫉妬してしまうが、とてもいいことだと思う。
明日は柱合会議だ。柱稽古の進捗状況を報告し合うらしい。
お館様に呼ばれ、椿彩もしのぶさんと一緒に本部に行くことになっている。
嫌な予感がする。言いようのない不安と寂しさが胸の中で渦巻く。
《…椿彩》
『ん?』
《明日ノ柱合会議、悪イガ俺ハ一緒ニ行ケナサソウナンダ》
《え、そうなの?どうかしたの?》
心配そうにこちらを見てくる椿彩。胸が痛む。
《…チョット俺ノ故郷ニ帰ラナイトイケナイ用事ガデキタンダ》
『あっ、そうなのね。具合でも悪いのかと思った。違うなら安心した!』
椿彩がほっとしたように笑う。
《アア。スマナイナ》
平常心を保て。勘のいい彼女に悟られてはいけない。
『明日も早いし、もう寝ようか』
《ソウダナ。……椿彩。一緒ニ寝テモイイカ?》
『え!うん、もちろんだよ!陽向、おいで』
椿彩が布団を捲り、彼女の隣に潜り込む。
『…陽向、あったかいね。大好きだよ』
そう言って、椿彩が俺の額に口づけを落とした。
《アア。俺モ椿彩ノコトガ大好キダ》
俺の返事を聞いて、椿彩は嬉しそうに微笑んだ。
早々に寝付いてしまった椿彩。長い睫毛。薄く開いた唇。規則正しい呼吸音。安心しきった寝顔に、愛おしさが込み上げる。
明日になったら、ひょっとしたら本当に椿彩が元の世界に帰ってしまうかもしれない。その瞬間が来てしまったら…。笑って送り出せる自信が俺にはなかった。だから故郷に帰省する用事ができたなんて嘘をついてしまった。
ごめんな、椿彩……。
翌日。
いつものように隊服を身に纏い、長い髪を1つに結んで、そこに宝物の蝶の髪飾りを着ける椿彩。
綺麗な横顔だ。もちろん正面も後ろ姿も綺麗だがな。
『…じゃ、行ってくるね』
《アア。気ヲツケテナ》
『うん。陽向も気をつけてね』
椿彩が日輪刀を腰に差し、弓と矢を背負う。
凛々しくて美しい、俺の自慢の主人。
これが、椿彩と顔を合わせる最後の機会かもしれない。
《………椿彩》
『ん?どうしたの?』
《…抱キ締メテクレナイカ》
『もちろんいいよ!』
椿彩がにっこり笑って俺をそっと抱き締めた。初めて会ったあの日のように優しく。
柔らかな頬が触れる。
椿彩からはいつも甘い香りがしていたな。
懐かしくて温かい。
俺は泣きそうなのを必死に堪えながら、椿彩の胸に顔を擦りつけた。
『…陽向どうしたの?なんかしょんぼりしてない?』
しまった。勘づかれたか。
《…アア…。大事ナ会議ニ同行デキナクテ申シ訳ナク思ッテ…》
これも本心だ。
『そっか。気にしないで。しのぶさんが一緒に行ってくれるから大丈夫だよ』
椿彩が俺の頭を撫でる。
《……椿彩。モシオマエガ元イタ世界ニ帰レタラ、元気ニ幸セニ暮ラセヨ》
『えっ、どうしたの急に』
《…急ニジャナイ。イツモ思ッテイタンダ。鬼ノイナイ平和ナ世界デ、家族ヤ友達ト穏ヤカニ暮ラシテ、皺々ノバアチャンニナルマデ長生キシテホシイ。ソレガ俺ノ願イダ》
『陽向……』
心地いい椿彩の心音が身体に響く。
温かい。彼女は確かに、今この瞬間、俺と同じ時を生きている。
《イツモ椿彩ノ幸セヲ願ッテイル。チャント伝エナイトト思ッテナ》
『…うん。ありがとう。陽向、もし本当に私が元の世界に戻っても、私あなたのこと忘れない。いつも傍に寄り添っててくれてありがとう。陽向にもみんなにも、幸せになってほしい』
《アア。アリガトナ》
椿彩が少しだけ、俺を抱き締める腕に力を込めた。
『陽向が私の相棒でよかった。大好きだよ、陽向』
《アア、俺モダヨ》
椿彩の柔らかな頬にそっと顔を寄せる。
霞柱の坊ちゃんとのデエト以来、彼女はしのぶさんやカナヲちゃんに教わって、うっすらと化粧をするようになった。ほんのりとおしろいや紅の香りがする。
元々可愛らしい顔をしている俺の主人は、化粧のおかげでより一層可愛らしく美しくなっていた。
「椿彩。準備できましたか?そろそろ行きましょう」
『あっ、はい!……じゃあ、行ってくるね』
《アア》
しのぶさんの声に立ち上がった椿彩が、襖を開けるその前に、くるりと俺のほうに向き直った。
『またね、陽向。大好きだよ』
《俺ハ椿彩ヲ愛シテイルゾ》
『えっ!あ、愛!?』
驚いたように目を見開いた椿彩だったが、すぐに嬉しそうに微笑んだ。
『陽向、急に情熱的な言い方するんだね』
《急ニジャナイ。イツモ思ッテイルゾ。モシ、今度生マレテキタ時に人間トシテ出会エタラ、俺ハ椿彩ヲ嫁ニモラウカラ。考エトイテクレナ》
『ふふふ。分かった。迎えに来てね』
《オウ》
椿彩は最後にもう一度、軽く俺を抱き締めてから、少し名残惜しそうな笑顔を浮かべて蝶屋敷を後にした。
何となくの予感はやっぱり当たってしまった。
大雨と雷が引き金となり、椿彩は元の世界に帰っていったとのことだ。
主人のいなくなった部屋で、俺は堪えきれず涙を流す。
最後の見送りには行けなかったが、言いたいことは言えた。
椿彩を心から想う気持ちも、人間と鴉の、主人を慕う親愛の情とは異なる彼女への特別な感情も。
今日だけは泣こう。愛しいあの子を想いながら。
そして明日からはまた鬼殺隊に仕える鎹鴉として、己の全力を尽くす。
椿彩。大好きな椿彩。
本来出会うことのなかった俺たちがこの場所で出会えたのは、本当に奇跡だと思う。
突然この世界にやって来た君が、生きようと、誰かの役に立とうと、必死になる姿は見ていて苦しくて、でもとても尊くて。
いつだって優しくて一生懸命な君に、俺も、坊ちゃんも、他の鬼殺隊員も心を明るく照らされていたよ。
出会ってくれてありがとう。
名前をつけてくれてありがとう。
“陽向”
この名前は愛しい君が最初にくれた最高の贈り物だ。この命ある限り、この名前と君との思い出をずっと大切にするよ。
大好きな椿彩。幸せになれ。
終わり