赤が熱を出した。
よくあること、らしい。
赤も、慣れ切ったことのように笑ってた。
何でもない風に笑う、そうやって。
弱みは何もないみたいに、取り繕う。
天使だって悲しんだりするだろう。
天使だって苦しんだりするだろう。
天使ばかりがずっと幸せなわけがない。
どこかでもう嫌だって投げ出したくなったりして、そのたび口を噤む。
誰かが目の前にいたのなら、泣いてはいけないのだろうか。
赤にはそう言うおかしさを感じる。
人間らしさが、全く以て存在しない。
現に今、明日の朝赤がいなくなってしまうことに不安を覚えている。
そんなこと、一度もなかったのに。
赤の熱はひとまず一日で落ち着いた。
それなのに何人もの人が病室を行き来して、赤に構いっきりだった。
何を隠してるのか、そんなこと、訊けるわけなかった。
「平熱に落ち着いたから、今日からまた外に出られるみたい」
熱を出して三日。
やっと外出許可が下りた。
それを素直に喜べない俺のことなんか、赤はちっとも知らない。
なんでそう、きみは、人の気持ちを汲み取れないんだろう。
彼の過去に触れると、それはきっと鋭利な棘で守られてる。
「だいじょうぶ? 浮かない顔」
「赤はもっと、自分の心配しなよ」
「俺は……心配してたらキリがないでしょ」
「ッ、それってどういう」
「んー?」
「……何でもない」
たぶん、彼は。
俺が正直に疑問をぶつければ、赤裸々に話してくれる。
それがさも当然かのように、当たり前かのように。
そんなのは嫌だ。
自分が不幸だと知らないまま生きるのは、あんまりだ。
自分の幸せを見つけられないまま生きるのはサイテーだ。
だから、俺は生まれて初めて天使を憎んだ。
何も知らない、白痴の天使を。
久しぶりに出た外は、もうすっかり日照時間が短くなっていた。
今日の赤のお供はビスケット。
前よりも多く食べている、心做しかそう思う。
「落ち葉が増えたねぇ」
「もう九月だしな」
「秋……食欲の秋だ。スポーツはできないから、読書もいいかもね」
赤が目を伏せる瞬間が、心配になる。
車いすを押す手を離して、その瞼に触れようとした。
そんな自分が恐ろしかった。
この手で、天使の形を壊してしまったら。
どうしようかと思ったんだ。
怖くてしょうがなかった。
とっくの疾うに、赤は俺の心に住み着いていた。
「紅葉が赤くなったら、絶対見に来ようね」
「……うん。そう、だな」
風が吹いた。
心の中で、やめてくれと叫んでいた。
俺から赤を奪わないでほしかった。
もし、本当に彼が天使だったのなら。
天が迎えに来たりするのだろうか。
きっと赤は俺に不死の薬を押し付けて、手紙を添える。
なんて。
天が、月ほど近いわけがないか。
長く生きても意味がないのに。
俺はその薬を飲んでしまうのかもしれない。
燃やすことなど、できないのかもしれない。
「……桃くん?」
名前を呼ばれた。
喧騒が耳に戻ってくる。
人々の話す声、歩く音。
それらが命を宿した。
「帰ろ」
「うん。もう暗くなるね」
「今日はきっと、月が大きく見えるよ」
「えぇ? そうなの?」
「だから、早く帰ろう」
「ふふ。せっかちだねぇ」
月でも天でもどこでもいい。
不死の薬だろうがどうでもいい。
お願いだから。
「……いかない、で」
絞りだした声は、掠れた声は。
人波に飲まれて消えてゆく。
今はただ。
消えてしまいたい。
コメント
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思わず涙が出ました🥲