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美麗な青年、江藤と別れて数年が経ったある日、牧野に頼まれた仕事を手に、かつて働いていた支店に顔を出した。
高橋のいた部署は既になくなっており、見知った社員の数も明らかに減っている様子に、こっそりため息をつく。再会を喜んでくれる同僚なんていない確率が高いのに、期待してしまった自分に、ほとほと嫌気が差した。
「高橋さんがわざわざこちらにお越しくださるとは、恐縮の極みですな。本来なら我々が、本社に出向かなければならないというのに」
目の前にいる、とある部署の部長が喋りだしたのを横目で見るなり、腰ぎんちゃくと思しき中年が何度も首を縦に振りつつ、蠅のように両手を擦り合わせて口を開く。
「誠に申し訳ないですよねぇ。人件費削減のせいで人手が足りないせいで、本社にお伺いすることができないんですから」
会議室にいる面々がそれぞれ思うことを、嫌味混じりに吐き出していった。
高橋の栄転をよく思わない社員は支店だけじゃなく、本社にもかなりいて、こうしてあからさまな嫌がらせや陰口を叩かれた。
こうなることは、牧野から本社に来いと言われた時点で予測できていたし、ある程度の覚悟もしていた。
ときには牧野の命令で、まったく好みじゃない相手を抱くことがあった。すべては、相手の弱みを握りしめるために――以前自分がおこなっていたことを、命令ひとつで容易く実行に移していくうちに、高橋のモノが機能不全に陥った。
『こういうことをしたくないからって、僕に嘘をついてるわけじゃないよね。大事なモノが機能しなくたって、頭のいい高橋くんなら、別の方法を知っているだろ』
下卑た視線を浴びせながら、恐喝の道具となっている例の写真を見せびらかせる牧野をぶち殺してやりたいと、脳内で何度も抹殺した。
(これが、因果応報というんだろう。はるくんが俺に思っていた気持ちは、今まさに自分が考えていることだ――)
嫌な命令も、他人にどんなことを言われても、仕事で妨害行為を受けても、高橋は平然としていられた。
青年と別れたあの日のつらさに比べたら、苦痛に感じるどころか、こんなの楽勝だと笑うことができるくらいの余裕があった。
不平不満をぶちまけた、社員の顔をひとりずつ食い入るように眺めながら、優しく微笑みかける。対照的な高橋のその態度に焦ったのか、波が引くように苦情がなくなった。
「さてと……。静かになったところで、本題に入りましょうか」
穏やかな高橋の声に、その場にいた者たちが、そろって息を飲んだのがわかった。
「あなた方、プロジェクトチームがおこなってきたタスクマネジメントについて、採算がとれないと本社は判断しました。大変お忙しいでしょうが、現在手がけている業務を半年以内に終息させてください」
微笑みを絶やさず、微かな労りを匂わせる丁寧な口調で告げた言葉を聞き、お通夜のような重苦しい空気が会議室を包む。
高橋の本来の仕事は、自分の目の前にいる面々と同じく使われる側だというのに、盗聴した行為のやり取りを聞いた牧野の計らいで、命令する側に指定された。
『飴と鞭の使い方が、絶妙だと思ってね。これを、ぜひとも仕事で発揮してくれよ。僕の口から奴らに指示をするよりも、きっと後腐れなく切ることができるだろう?』
高橋が断ることができないのを承知で、今回の仕事を押しつけられてしまったのである。
「待ってくれ、2ヵ月……いいや3ヶ月で業務の改善をして業績を上向きにするから、それまで待ってはくれないだろうか」
禿げた頭頂部を蛍光灯の光で照らした部長が、上擦った物言いで交渉する。周りの社員たちも必死な形相で、手元にある資料に目を落としながら、どうにかしようと、それぞれ画策をはじめた。
「あなたは牧野に『1ヶ月待ってくれ』と仰ったそうですね。昔一緒に仕事をした恩があるからと目をつぶり、そのときを待ったと聞いてます」
最終宣告を聞いて、やっと重い腰を上げた社員の慌てふためく様子を、嘲るような冷たい目で眺めてやった。
「そ、それは……」
高橋は改めて姿勢を正し、部長の顔を射竦めるように見つめた。今度は笑みを見せずに、真顔を貫く。
「こちら側としては、きちんと1ヶ月待ちましたが、フラットになるどころか赤に転じました。あと2ヵ月も指をくわえて、本社にそれを見ていろと言うんですか?」
優しい物言いから一転させた、鋭い語気で言い放った途端に、躰を大きく震わせる者が数人、手にしていた書類を床に落とした者が一人、驚きのあまり彫刻のように固まる者数人という、それぞれのリアクションを確認してから、開いていたファイルを手早く閉じた。
「高橋さん、お願いだ。もう少し待っ」
「冗談じゃない!」
不機嫌を凝縮させた高橋の怒号で、社員たちを委縮させ、強引な形で会議を終わらせた。
たったこれだけのために、支店に足を運ばせた牧野に突きつけてやりたいセリフを最後に言い放って、会社を出た高橋の足は、迷うことなくそこに向かったのだった。