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妖怪髪切り騒動
翌日、二人は古着屋と荒物屋で旅装を整え、由比宿に向けて出立した。
「昨日の話・・・」お紺がポツリと言う。
「え・・?」
「その刀、妖あやかしに貰ったって話」
「ああ・・・」
「普段なら馬鹿らしくて信じる気にはなんないけど、志麻ちゃんの強さを見てたら本当かもしれない、って思ってさ」
「だって本当だもん!」
「信じるよ・・・それでその刀を鍛きたえたのが鬼神丸国重って人なのは分かったけど、その鍔を作った娘さんの名前は何なんだい?」
「それが、鬼神丸が現れるのがいつも私が危険な時だから、つい聞きそびれちゃうのよね。普段はいくら話しかけてもウンともスンとも応えてくれないもの」
「ふ〜ん、じゃあ鬼神丸でいいじゃないか、きっとその娘さんは父ちゃんの造ったその刀を愛していたんだろうから」
「そうかなぁ・・・」
「そうだよ、だからもう無理に聞くのはおよし」
「別に無理に聞いてる訳じゃないけど、でも名前を聞いたところで何が変わるものでもないしなぁ・・・」
「それより志麻ちゃん、昨日あの唐人になんか言ってなかったかい?大和屋仁平とか何とか?」
『困ったな、お紺さんには河合拓馬に聞いたって言えないし・・・』志麻は正直に言うべきかどうか迷った。
「その名前どっかで聞いた気がするんだ・・・」志麻の心配をよそに、お紺は話を続ける。
「確か旗本のお武家様と材木商の大店の主人との宴席に呼ばれた時だったけど、最近江戸の口入屋に便利な奴が現れたって言ってた」
「口入屋?」
「何が便利なのかは分からないけど、使い方次第では役に立つって」
「私、蒲原宿から一刀斎に手紙を書いたの、大和屋仁平について調べてくれないかって、そのうち何か分かるかも知れない」
「志麻ちゃんを狙っている奴が分かれば打つ手はあるかも知れないね」
「うん」
*******
由比ゆい宿、興津おきつ宿と過ぎてもうすぐ江尻えじり宿だ。
「今日は出立が遅かったから江尻あたりで泊まりにしようか?」お紺が言った。
「そうだね、府中ふちゅうまで行っちゃうと暗くなるからね」
「よし決まり、じゃあ、早めに宿を決めなくちゃ。今夜はゆっくり風呂に浸かってお酒でも飲もう!」
「お紺さんいつも飲んでるじゃない」
「昨日は飲めなかったでしょ、あの唐人のお陰で」
「そうだったね・・・」
「旅のお方、魔除けのお札は要らんかね」
頭に頭襟ときんを付けて錫杖を持った山伏が二人に声をかけて来た。
「また錫杖、今度は山伏か・・・」お紺が猜疑の目で山伏を見た。
「おいおい、何をそんな目で見ておる、儂は怪しい者ではないぞ。ちゃんと佐土原の山伏寺から善光院と言う院号を受けた修験者だ」
「怪しいもんだわ、あんたも大和屋に頼まれたの?」
「大和屋・・・何じゃそれは?儂はただ、この先の江尻宿に妖怪が出ると言うので、霊験あらたかな魔除けのお守りを配っておるだけじゃ・・・勿論多少の喜捨は頂くがな」
「物は言いようね、で妖怪ってどんな奴?」
「それはな、髪の毛を切る妖怪じゃ。夜道を歩いておると、いつの間にか髪の毛が元結もとゆいから切られておる。じゃが切られた本人は全く気付かず、次の朝鏡を見て初めて気づくと言うんじゃな」
「妖怪なんているはずないじゃない」自信たっぷりにお紺が言った。
「お紺さん、居るわよ・・・」志麻がお紺の袖を引く。
「あ、そうか、鬼神丸をくれた・・・」
「ん?鬼神丸とは何じゃ?」山伏が訝しげに訊いた。
「あ、いえ、こっちの事。でもあっちらは大丈夫・・・ね、志麻ちゃん」
お紺に振られて志麻は仕方なく頷いた。
「と言う訳でお札は要らないわ、ごめんねおじさん」
「そうか、残念じゃが他を当たるとしよう・・・お二人とも綺麗な髪をしておられるでな、道中気をつけて行きなされ」
山伏は意味深にそう言うと、街道を逆に歩いて行った。
「志麻ちゃん、どう思う?」
「どう思うって?」
「今の山伏怪しくない?」
「そんな悪い人じゃなさそうだけど・・・」
「とにかく気をつける事ね」
「うん、昨日の今日だもんね」
*******
江尻宿に着くと何だか様子が変だ。留女とめおんなが客を強引に引くのだが、客はそれ以上に強引に留女を振り切って先を急ぐ。まるでこの宿場には泊まらないよ、と言うように。
「さっきの山伏のおじさんが言っていた妖怪のせいかしら?」お紺が言った。
「分からない、とにかく宿を探してから調べてみましょう」
道の両側に立ち並ぶ旅籠を物色して歩いていると、留女から声が掛かった。
「お姉さん方、お泊まりかね?」
「ええ、そのつもりなんだけど・・・」
「じゃあ、うちの宿にお泊まりなさいよ、うちは偉い修験道の坊さんに祈祷きとうをして貰ったから、妖怪なんか出やしないから」
聞くまでも無く、あちらから話を切り出して来た。
「妖怪って、髪切りの?」お紺が訊く。
「んだ」
「修験道ってさっきのおじさんかしら?」志麻が首を傾げて訊いた。
「偉いお坊さんには見えなかったけど・・・」
「とにかく、うちは絶対に安全だよ、おらが保証する」留女が胸を張る。
「妖怪って、そんなにしょっちゅう出るの?」
「ああ、ここのところ毎日さ。お陰で府中と興津に客を取られて、大損害だがね」留女が渋い顔で溜息を吐いた。
「今、濯すすぎ桶を持って来るから」
旅籠に入ると、留女は二人を上がり框かまちに座らせておいて水を汲みに出て行った。
「やっぱり山伏のおじさんの言ってたことは本当だったのね」お紺がしたり顔で頷く。
「旅装を解いたら外に出て、情報を集めましょう」
「面白くなってきたわ」
「毎日面白い事ばっかりでウンザリなんですけど」
「もし志麻ちゃんを狙った刺客なら先手を打たなきゃなんないじゃん」
「そうなんだけどね・・・」
*******
「聞いてきたわよ!」お紺が部屋に入って来るなり大声を上げた。
「私も今帰ったとこ」
「そこの焼き蛤はまぐり売ってる店のお婆ちゃんに聞いたんだけど、大体はあの山伏のおじちゃんが言っていた通りね。ただ、姿を見たって言う人も居るんだって」
「どんな?」
「目玉がギョロリと大きくて、鳥のような嘴くちばしが付いてて、それから両手が大きなハサミみたいになってたらしいわ」
「私が聞いた茶屋の女の子は実際に襲われたらしいんだけど、おっきなぼた餅みたいだったそうよ。怖くて心臓が破裂しそうだったって言ってた」
「う〜ん、情報が曖昧だわね」
「仕方ないわよ、夜、妖怪に襲われたりしたら誰だって気が動転して、まともな事なんて覚えてないでしょうに」
「そうよねぇ・・・そうだ良い考えがある!」
「何よ、お紺さんまた変な事言いださないでよ」
「またとは何よ。いい、よく聞きなさい、私達が囮になって妖怪をおびき出して退治するの」
「ほら、やっぱり」
「だって、妖怪を退治したら宿場の人たちに感謝されて、お礼が貰えるかも知れないじゃない」
「長次郎さんに貰ったお金で十分でしょう」
「お金は荷物にならないわ、それに江戸のみんなにお土産いっぱい買えるじゃない」
「いっぱい買ってどうすんのよ?」
「あっちは黙って江戸を出てきたのよ、置屋の女将さんや姐さんたちにそれなりのもんあげなくちゃ許して貰えないわ」
「私の知ったこっちゃありません」
「そんな冷たいこと言わないで、そこの所よろしく頼みます志麻ちゃん、これ、この通り・・・」
お紺は両手を合わせて志麻を伏し拝んだ。
「もう、しょうがないわね・・・じゃあ、お紺さんが囮役ね」
「えっ!志麻ちゃんの方が強いじゃない」
「私は確実に妖怪を倒さなくちゃいけないの。それとも私がやられたらお紺さん助けてくれる?」
「む、無理かも・・・」
「でしょ、だったら話は決まり。今夜決行するわよ」
「あ〜、言い出さなきゃ良かった・・・」
お紺が頭を抱えて畳に突っ伏した。
*******
時々、砂利を踏むような足音が聞こえる。
お紺はわざと足音が響くように下駄を履いて表通りへ出た。
旅籠はたごで借りた提灯ちょうちんの灯りが、闇の中で頼りなく揺れている。
志麻は十間ほど離れてその後を追って行った。
町外れに出ると、お紺が不安そうに後を振り返る。時々提灯の文字が見えるのでそれが分かる。
お紺には悪いが我慢してもらうしかない。妖怪に気付かれたら元も子もなくなる。
暫く行くと、疎まばらに松の木の植わった田圃だらけの田舎道になった。宿場の灯りは既に遠く、お紺の持った提灯以外に灯りは見えない。志麻は真っ暗な道を、お紺の提灯の灯りだけを頼りに後を追った。
*******
「来た・・・」浪人者が呟いた。
「夜更けにこんな寂しい道を通るなんて、女にしちゃ良い度胸だ」
職人風の男がそれに答える。
「おおかた仕事が長引いて帰りが遅くなったんだろうよ。こっちにとっては好都合だ」
「旦那、首尾よく頼みますぜ」
「任せておけ」
*******
小川に掛かる土橋の上に差し掛かった時、黒い影がヌッとお紺の後ろに立った。
お紺は気付かずに橋を渡りきった。
と、フッと冷たい風を頸うなじに感じて振り返る。
キャァー!!!
絹を裂くような悲鳴と共に、お紺の提灯が地に落ちて燃え上がる。
その明かりに一瞬浪人の姿が浮かび上がった。
*******
お紺の叫び声が聞こえたと同時に志麻は駆け出した。
提灯が炎を上げて燃えている。
お紺の側に大きな影が立っていた。キラリと光る刀が見えた。
*******
「チッ、しくじったか!」浪人が舌を鳴らす。
お紺の逃げる背中にもう一度刀を振り上げた。
「待ちなさい!」
志麻が駆け寄ると同時に鬼神丸を抜いた。
「あなたの用事があるのは私でしょう?」
不意に現れた志麻に驚いて、浪人は慌てて振り向き剣を構える。
「なに、何の事だ!」
「とぼけないで、大和屋に頼まれたくせに!」
「そんな奴は知らん!だが見られた以上このままでは済まぬ!」
「それはこっちの台詞せりふよ!」
*******
その時お紺に危機が迫っていた。
職人風の男がハサミを持って飛び掛かってきたのである。
お紺の髷まげを掴つかんで、強引に引っ張る。
お紺は必死に抵抗しながら叫んだ。
「志麻ちゃん、助けて!」
*******
「お紺さん!」
浪人に対峙しながらお紺に目を遣った。ここで手間取っていてはお紺が危ない。
何とか提灯が燃え尽きるまでにこいつを倒さなきゃ。
男はわざとゆっくり志麻に迫った。
「思わぬ駄賃だ、お前の髪の毛も貰う!」
「えっ?」髪の毛だって?何の事???
分からなかったが今はそんなことを考えている余裕は無い。
志麻は男に突進して行った。
*******
お紺はハサミを持った男の手を両手で掴んで離さない。
業を煮やした男がお紺の前に回ろうとした時、お紺は思い切り男の股間を膝で蹴り上げた。
ギャッと蛙の潰れたような声を発して、男が蹲る。
「志麻ちゃん、こっちは大丈夫!」
*******
浪人に初太刀を外された志麻は、間合いを切って飛び退すさる。
お紺の声を聞いて一息吐いた。しかしもうすぐ提灯が燃え尽きる。
一か八かの賭けに出た。
太刀を下ろし、正面を晒さらして前に出ると男が斬り込んで来た。
フッと提灯の火が消えた時、男の絶叫が上がった。
「お紺さん大丈夫?」
志麻が携帯用の小田原提灯に火を入れながら訊いた。
「大丈夫よ、こいつの逸物いちもつ二度と使い物にならないかも・・・」
「え?」
「いえ、こっちの事・・・それよりもそっちの浪人は?」
「脛すねを斬ったからしばらく歩けないわ・・・でも何かおかしな事を言ってた」
「なんて?」
「髪の毛を貰うって・・・」
「そう言えばこっちの男もしつこくわっちの髷を切ろうとしてた」
「命を狙われたわけじゃなさそうだね」
「ひょっとして、こいつらが妖怪髪切りの正体?」
「お役人を呼んだほうがよさそうだね」
「よし、すぐに戻ろう」
二人は当人の帯で男達を松の木に縛り付けると、宿場に向けて戻って行った。
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「結局あの修験道のおじさんもグルだったのかい?」お紺が呆れたように言った。
志麻とお紺が捕まえた男達は役人によって取り調べを受け、全てを白状した。
「妖怪の噂を流して魔除けの札を売って歩いてたらしいわ」
「わっちを襲った職人風の男は、鬘師かつらし(鬘を作る職人)だったそうだよ」
「鬘かつらを作る材料を集めていたみたい」
「浪人はその二人から上前をはねてたそうよ」
「おじさんは二人を置いてトンズラしちゃったけどね」
「手配書が各宿場に出回ったらそのうち捕まると思うんだけど・・・」
「でも、大和屋の放つ刺客に比べたら可愛いもんだ」
「結局、妖怪よりも人間の方が恐ろしいと言う事」
「ああ、これから先が思いやられる」
「気を引き締めていきましょ」
「やだ、あっちはもっとのんびり旅がしたい!」
「はいはい、承うけたまわっておきます」
「もう、志麻ちゃんのいけず・・・」
妖怪髪切り事件のお陰で余分な日数を喰ってしまった二人は、翌日江尻宿を後にした。