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夕方しか来ない世界になってから、時間の感覚はさらに曖昧になった。
眠って起きても空はオレンジ色。
時計だけが進んでいる。
まるで世界が、“帰る途中”で止まってしまったみたいだった。
「制服着る?」
ある日、悠真が突然言った。
蒼はソファで本を読んでいた顔を上げる。
「なんで」
「なんとなく」
悠真は少し笑う。
「今日、学校行くし」
蒼は呆れた顔をした。
「三年ぶりくらいだろ、それ」
「着れるかな」
クローゼットを開ける。
そこには、昔の制服がちゃんと残っていた。
少し小さい。
袖も短い。
でも、不思議と捨てられなかった。
着替え終わる。
鏡を見る。
高校生の制服。
なのに鏡の中の自分たちは、もう高校生の顔じゃなかった。
悠真はネクタイを緩く結びながら笑う。
「コスプレ感ある」
蒼もシャツの袖を見る。
「まあ、歳的にはもう卒業してるしな」
でも。
制服を着た瞬間。
少しだけ昔に戻った気がした。
朝の教室。
眠い授業。
放課後。
もう存在しない日常。
二人は学校へ向かった。
夕焼けの街を歩く。
制服姿の影が長く伸びていた。
風が吹く。
誰もいない横断歩道。
静かな駅前。
でも今日だけは、本当に“学校帰り”みたいだった。
校門を抜ける。
夕日の差し込む廊下。
ローファーの音が静かに響く。
「懐かし」
悠真が笑う。
蒼は教室をちらっと見る。
机も黒板も、三年前のままだった。
まるで時間が止まっている。
いや。
実際、止まっていたのかもしれない。
「屋上行こ」
悠真が言う。
二人は階段を上る。
夕日が窓から差し込む。
オレンジ色の光。
長く伸びる影。
息が少し切れる。
でもその感じすら懐かしかった。
屋上の扉を開ける。
風。
少し冷たい。
空は、どこまでも夕焼けだった。
赤とオレンジが混ざった光が、街全体を染めている。
二人はしばらく何も言わなかった。
フェンス越しに見える無人の街。
静かな道路。
止まった電車。
遠くの海まで、全部夕色だった。
「……やば」
悠真が小さく呟く。
「綺麗すぎる」
蒼もフェンスにもたれる。
「映画みたいだな」
「しかも終盤の」
二人は少し笑った。
悠真はスマホを取り出す。
動画を回す。
レンズの中には、夕焼けの屋上。
制服姿の二人。
風に揺れるシャツ。
「こんばんは」
悠真がカメラに向かって言う。
「今日は制服で学校来ました」
蒼が後ろで苦笑する。
「誰もいないけど」
カメラが空を映す。
終わらない夕方。
ずっと沈まない太陽。
「なんかさ」
悠真が空を見上げる。
「世界がずっと放課後みたいで」
少し黙る。
風の音だけが入る。
「帰る時間なのに、帰れない感じする」
蒼はその言葉を聞いて、少しだけ目を細めた。
撮影を止めたあと。
二人はフェンスにもたれて座り込んだ。
夕日の光が制服を照らしている。
悠真がぽつりと言う。
「俺ら、本当に高校卒業したのかな」
蒼は少し考える。
卒業式はなかった。
進路もなかった。
未来へ進むはずの日に、世界が止まった。
「……してないかもな」
蒼が静かに答える。
悠真は笑う。
「留年三年目じゃん」
「最悪」
でも。
その冗談のあとに落ちた静けさは、少しだけ寂しかった。
風が吹く。
校庭の雑草が揺れる。
空はまだ夕焼けのまま。
悠真はフェンス越しに街を見る。
「なあ蒼」
「ん?」
「もし戻れたらさ」
「うん」
「普通に学校とか行けんのかな」
蒼は遠くの空を見る。
答えはわからない。
でも。
「……たぶん無理」
そう言うと、悠真は吹き出した。
「だよな」
「でも」
蒼は少し笑う。
「お前となら、まあなんとかなる気はする」
夕風が吹き抜ける。
制服の裾が揺れる。
世界は静かだった。
終わらない放課後みたいな空の下で、二人だけが取り残されていた。