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「未来ー。
あんた、今日も遊びに出るんなら、これ、蓮様にお持ちして」
秋津家のキッチンでつまみ食いをしていると、珍しく自宅に居たらしい奥様と話していた叔母、友江がそう言いながら、戻ってきた。
「はいはい」
と言いながら、油のついた手を洗っていると、
「またつまみ食いしたわね」
と言ってくるので、
「大丈夫、今日も美味しいよ。
蓮好みの味だね」
と言うと、また、蓮様を呼び捨てにして、と怒られる。
だが、子供の頃からの付き合いだ。
子供にとっては、蓮が叔母が働いている屋敷のお嬢様かどうかなんて関係ないし。
秋津の会長が、孫の蓮か、その婿を後継ぎにと言っていることなんて、もっと関係のないことだ。
まあ、大きくなって、蓮は遠い存在なんだな、と思わないこともなかったが。
蓮は、まったくそんなこと気にするような性格ではなかったから、昔通りの関係が続いていた。
「蓮様は、まだ戻られるおつもりはないのかしら」
と叔母が言うので、
「ないと思うよ。
いい相手が出来たみたいだから」
とつるっと言って、眉をひそめられる。
「何処かの馬の骨と付き合ったって、結婚するわけにはいかないのよ。
蓮様には、きつく言って育てたはずなんだけどね」
実質、蓮の実の親より親的な友江はそう言う。
「心配ないよ。
やっぱり、似たような人間の方が落ち着くのか、ぼちぼちな地位の人だよ」
家自体は、ぼちぼちどころではないが、渚がそれを継げるかどうかはわからないから。
稗田会長は、孫の渚を可愛がってはいるようだが、仕事に関しては、非情なようだから、蓮の祖父とは違い、可愛い孫だということを理由に後継者に選んだりはしないだろう。
「自分は平凡な家庭を作るとか言って飛び出して、社長捕まえてりゃ世話ないよね」
これだね、と弁当の包みをテーブルから取った。
「でも、蓮様には、ご婚約者もいらっしゃるのに」
「それだよ」
と勝手口で靴を履きかけて、未来は振り返る。
「それがまずかったんじゃないの?
和博さんが嫌で飛び出したんじゃない?」
「確かに、和博様は、顔と家柄以外に取り柄はないかもしれないけど。
まあ、性根もそれほど悪くはないし、そこそこですよ。
小さなときから、喧嘩しながらも、一緒に居らしたし」
それがまずいんだと思うけど、と思いながら、立ち上がった。
「じゃあね。
ああ、蓮はお弁当、すごく楽しみにしてるみたいだよ。
今度は、稗田社長のも作ってあげてよ、じゃ」
と手を挙げる。
今日はいつもより早かったので、蓮のマンションに着くと、ちょうど蓮が部屋の鍵を開けているところだった。
そっと近寄り、後ろから目を塞いでみたが、間髪置かずに、
「未来、なにやってんの」
と言われてしまう。
「面白くないの」
と言うと、
「すぐにわかるわよ」
と蓮は笑った。
子供の頃から変わらない笑顔だ。
だが、
「蓮、なにか困ったことがある?」
と未来は訊いた。
「まあ、二つばかり」
と言うので、
「助けて、未来って言ったら、いつでも助けてあげるよ」
と言ってみたが、蓮は、
「私、未来にも友江さんにも泣き言は言わないと決めたの」
と言ってくる。
強い瞳だ。
この目が好きだな、と思っていた。
きっと、稗田社長も、和博さんも、……あの人も。
「稗田社長には泣きつかないの?」
と言うと、
「うう……。
まだ、渚さんには、なにも言ってないから」
と蓮は言う。
「言っても大丈夫だよ。
あの社長は、財産目当てとかないと思うよ」
「そんなことわかってるわよ」
と言う、その信頼がちょっと気に入らない。
「まあ、なにかあったら言ってよ。
僕はいつも、その辺、ふらふら遊んでるからさ」
「ありがとう、未来」
「おい」
いきなり、エレベーターホールの方から声がして、振り返ると、渚がやってくるところだった。
こちらにちょっと手を挙げ、
「蓮の下僕、元気か」
と言ってくる。
「友達だよ」
と訂正すると、わかってるよ、とぽす、と頭に手をやられた。
「稗田社長、簡単に蓮と結婚できるとか思わないでよね」
「なんだそりゃ」
と勝手に蓮の部屋のドアを開けながら、振り返り、渚は言う。
「どういう意味でだ。
蓮は俺を好きなんだ。
だから、俺と結婚する。
蓮じゃなく、お前が蓮の家の威光を笠に着てどうすんだ」
「……知ってたんですか」
と蓮が見上げる。
当たり前だ、莫迦、と渚は蓮の頭を小突いた。
「言っとくけど、持参金はいらないぞ。
俺がとびきり贅沢させてやる。
そう言わなかったか」
蓮が涙ぐむ。
あーあ、と思った。
今までで一番の、あーあ、だ。
過去、蓮に言い寄る男が居たときも、和博さんとの婚約が決まったときも、あの人が現れたときも、まだなんだか蓮の未来は確定していない感じがしていたが。
もう決定な予感がする。
この蓮の顔を見ていると。
「お金とかいらないんですってば」
と泣いたまま言う蓮に、
「じゃあ、例のアイス、自販機ごと買ってやる」
としょうもないことを言う。
ふと思い出していた。
昔、高校生だった蓮が、中学生になったお祝いにと、帰り道、自販機のアイスを買ってくれた。
阿呆な姉のような蓮。
幸せになって欲しいけど。
二人から、そっと離れ、マンションの外に出る。
誰かがさっと逃げて隠れるのが見えた。
……前途多難そうだな、とそちらを窺う。
助けてって言いなよ、蓮。
そしたら、いつでも助けてあげるから――。