テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
放課後。夕陽が窓ガラスを透けて、教室の隅に長い影をつくっていた。
誰もいないはずの教室。
なのに、扉の隙間から漏れる微かな笑い声が、廊下にまで響いていた。
日下部は、立ち止まった。
手はドアに触れていた。けれど、力を入れられなかった。
背中が、汗ばんでいた。
──わかっている。
入ったところで、自分には何もできない。
昨日も、一昨日も、その前も。
遥は、止まらなかった。
それでも、開けた。
ゆっくりと、音を立てずに。
そこには、終わったあとの“残骸”だけがあった。
椅子が倒れている。
机のいくつかは端に寄せられ、床には紙と破れたノートの切れ端。
水か何かをかけられたのか、濡れて変色したシャツが一枚、窓際に干されたようにかけられていた。
そして、遥。
窓際の、自分の席。
背を向けたまま、黙って座っていた。
──声を、かけようとした。
けれど、その背中がわずかに震えているのを見たとき、言葉は喉の奥で止まった。
遥が、ふっと笑った。
振り向く前に。
「……まだ、いたんだ?」
その声は、酷く乾いていた。
投げやりで、けれど、明るい調子をわざと混ぜ込んでいた。
「もしかして、掃除当番?」
振り返った顔には、笑みがあった。
それは、今日の昼に“演じた顔”と、まったく同じものだった。
「ちょっと手間取っちゃってさ。……後片付け、時間かかるんだよ。意外と」
彼の制服は乱れていた。
胸元はボタンが引きちぎられたままで、袖のあたりは赤黒い擦過傷のような跡。
それでも、遥は気にした様子もなく、ただ机に頬杖をついた。
「──ねぇ、日下部。さっき、誰かが言ってた」
「“こいつ、ほんとに楽しんでやってんのかもな”って」
声が低くなった。
笑ったまま、目だけが死んでいた。
「正解だよ。……そっちの方が楽でしょ。止めようとか思わなくていいし。
『ああ、あいつが“好きで”やってんだ』って、思えばさ」
日下部は一歩、踏み出した。
遥の目が、ぴくりと揺れた。
その一瞬だけ、演技が崩れた気がした。
「……おまえさ、まだ“そういう目”すんの?」
声がかすれた。
「やめろよ。そういうの、いちばん困るんだよ。……見てるくせに、“見てないフリ”すんなよ」
日下部は、言葉を失っていた。
遥は立ち上がった。
カーテンの影から一歩、日下部の方へにじるように歩いた。
「どうするの、ほんとに。……まだ何か“できる”って、思ってる?」
声は静かだった。
脅しでも、怒りでもなかった。
ただ、決定的な距離を宣言する声音だった。
「もう“こっち側”に、落ちてるんだよ、オレは。
見せてるんじゃない。“見せ物”なんだ。
演じてるんじゃない。“演じてること”まで全部、飲み込んでんの」
遥が笑った。
その目に浮かんだ涙は、
演技か、演技じゃないか──
もう、誰にもわからなかった。