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(くるみちゃん、いま俺のことカッコええとか言ーてくれんかった?)
社交辞令だとしても照れるではないか。
それに――。
(男として認識してくれちょるなら何で夜に俺のこと自宅に呼べたんじゃろ? それじゃったら普通、くるみちゃん的に全然安心できる要素ない思うんじゃけど)
くるみに、自分は彼女に対して性的興奮を覚えない無害な男とでも思われちょるんじゃろうか?と考えたら何気に複雑な心地がした実篤だ。
(どうやったら、自分は他の誰よりも隙あらば彼女のことをどうこうしてやりたいと思うちょる危険な男なんかを分からせてやることが出来るじゃろうか?)
気が付いたら、そんなアホなことを真剣に考えてしまっていた。
だって悔しいじゃないか。
こんなにくるみのことが好きなのに、そう言う風に思われていないと言うのは――。
だけどそれと同じぐらい、ふたりきりで彼女の自宅にいる現状で、それに気付かせてくるみを怖がらせるような愚かな真似はしたくないとも思ってしまって。
(何じゃこれ。物凄ぇジレンマなんじゃけど)
考えれば考えるほど頭を抱えたくなった実篤だ。
「――実篤さん、さっきから黙り込んで。どうなさいましたか?」
実篤の心の葛藤を知ってか知らずか、当のくるみは呆気らかんとしたもので。
そんなくるみの屈託のない表情を見て、実篤は後者を選ぼう、と思った。
くるみは家族を亡くしてそんなに間がない。
彼女は案外、実篤のなかに、〝自分によくしてくれる身内的立ち位置〟を求めているのかも知れない。
「いや、何でもないよ。行こっか」
どこへ?と思いながらもそんなことを言って、実篤は自分自身の気持ちを切り替えるように目の前のくるみを急かしてみた。
これ以上見つめられたら、不埒な思いに駆られてくるみのことをギュッと抱きしめてしまいたくなる。
さすがにそりゃぁマズイじゃろ、と思った実篤だ。
(よし! 今日の俺はくるみちゃんの父親……もとい兄ちゃんじゃ!)
一瞬父親代わりを演じようとして、さすがにそれは年の差を痛感させられまくりで悲しかったので兄に訂正して――そう、自分に言い聞かせた。
***
「どうぞ」
玄関からすぐの襖を開けて次の間に足を踏み入れた途端、焼きたてパンの香ばしい香りに包まれた。
今日はくるみ、団子を作ると言っていたからパンを焼いているとは思えない。
とすると、
(この良いにおいはくるみちゃんが仕事で毎日パンを焼くけん、家に染みついちょるんじゃろうか)
そんなことを考えていたら、振り返ったくるみに、「今から通るトコ、恥ずかしいけぇ、あんまりキョロキョロせんで通過してくださいね?」と言われてしまう。
(今から通るトコ?)
キョトンとする実篤を伴って、くるみが左手にある襖を開けると、そこは台所だった。
先の前置きは、生活感あふれるキッチンを見ないで欲しいと言うことじゃったんか、と納得した実篤だ。
「ホンマは座敷を抜けて仏間を通った方が見栄え的にはいいんですけど……」
そこでふと視線を落として一瞬だけくるみが表情を曇らせる。
仏間ということは、当然そこには仏壇があって、ご両親が祀られているんだろう。
ご両親のこと、くるみからちらりと聞いてはいるけれど、他人にそう言うのを見せるのにはまだ躊躇いがあるのかな、と実篤は思った。
もしかしたらご両親の写真を見たら、涙が出てしまう、とかあるのかも知れない。
くるみの言いつけを守って、なるべく周りを見ないようにして通った木下家の台所は、パッと見、実篤の生家と似たような造りになっていた。
けれど、さすが商売でパン屋を営んでいるだけのことはある。
パン生地を捏ねたり成形したりするのに使うんだろうか。
台所の真ん中に大理石の天板が乗った大きな台が置かれていて、それが実篤の家にはないものだったからとても新鮮だった。
キョロキョロしないように言われたから努めて見ないように気を付けはしたけれど、業務用のオーブンや、前がガラス張りになった 生地フリーザーなんかもちらりと見えて。
(何ていうか、見慣れんモンって勝手に目に入ってくるもんなんよなぁ)
なんて思っていたら、
「実篤さん、さっきからあちこち見よるでしょー?」
と顔を覗き込まれてしまう。
「ごめん! けど……俺、見とるつもりはないんよ? その……珍しいもんが多いけぇ勝手に目に入ってくるだけで」
慌てる実篤に、くるみがプゥ〜ッと頬を膨らませてから、
「それじゃあ、目ぇつぶっちょってください。うちが誘導しますけぇ」
言うなり、いきなりくるみに手を握られてしまったから堪らない。
当然のように実篤の心臓はドキン!と大きく跳ね上がった。
(ちょっ、くるみちゃん、マジでやめてーっ! 心臓が持たん!)
恥ずかしいくらい顔がブワリと熱くなったのを感じながらくるみを見つめたら、彼女も耳まで真っ赤にしていて。
どうやらここを第三者に見られてしまうことは、くるみにとって実篤の手を握る以上に恥ずかしいことらしい。
(台所事情に負ける俺って……)
もういっそ開き直って、自分の手を引くくるみの小さな手を思うさまギュッと握り返してやろうかと思ってしまった実篤だ。
(もぉ、どうなっても知らん!)
そっと指を絡めるようにくるみの手を握り返したら、彼女がピクッと反応して。
途端、実篤は自分がやったことがやたらと恥ずかしくなってしまった。
でも一度絡めてしまった指を、今更外すのは意識しているっぽくて余計に出来ないではないか。