「あ、あのっ。実篤さん。実篤さんは……ひょっとしてうちのこと……」
こちらを見ないままにくるみが何かを言い掛けて、「あ、やっぱりいいです、忘れてくださいっ」とか。
(めちゃくちゃ気になるんじゃけど、くるみちゃん!)
手がしっとりしてきてしまったのは、実篤が汗をかいたからか、はたまたくるみがそうなったのか。
ふたりして無言で手を繋いだまま、変な沈黙に包まれる。
***
「めっ!」
と、不意にこちらを振り返ったくるみにそう言われて、実篤は一瞬くるみに叱られてしまったのかと思った。
「えっ? あっ、ごめんっ」
やはり不躾にも恋人繋ぎなんてしてしまったのがいけなかったのかと謝りながら振り解こうとしたら、何故かギュッと強く握り直されて戸惑ってしまう。
訳がわからずくるみを見つめる実篤に、「目っ! 開けてらしたままだったら手を繋いだ意味がないじゃないですか」と眉根を寄せられる。
「あ、ごめんっ」
そう言えばそうだった。
手を握り返した時のくるみの反応が可愛くて、つい目を閉じもせず彼女に見入ってしまっていた。叱られて当然だ。
くるみから注意を受けた実篤は、今度こそギュッと目をつぶった。
てっきり、目さえ閉じたらすぐにでもくるみが自分の手を引いて歩き出すものと思っていたのだけれど。
一向に引っ張られる気配がなくて「おや?」と思う。
(何じゃろ。けど目、開けたらいけん言われたし)
ソワソワと落ち着かない実篤だ。
(何だか間近でじーっと顔を見詰められちょる気がするんは気のせいじゃろうか)
…………。
…………。
…………。
…………。
「あ、あの……くるみちゃん?」
(さすがに間が空きすぎじゃろ!)
そう思って声を掛けたら、ビクッと繋いだままの手が跳ねる気配があって、「ごっ、ごめんなさいっ」と慌てたように手を引かれた。
(――な、何じゃったん?)
実篤は、優に数十秒は目を閉じたまま待ちぼうけさせられた気がする。
視界を遮断していたから実際より長く感じたというのはあるかもしれないが、それにしたって、だ。
目を閉じていた時、くるみの吐息を本当にすぐ近くで感じたように思った実篤だ。
まるでキスでもするみたいな……そんな距離にさえ錯覚してしまったのは、実篤がくるみを意識しすぎているせいだろうか。
何故か小走りになったくるみに、容赦なくグイグイ手を引かれて、半ばつんのめるようになりながら、「ちょっ、くるみちゃん、俺、目ぇつぶっちょるけん、結構怖いんじゃけどぉ〜!」と弱音を吐いたときには、そんな疑問、綺麗さっぱり吹き飛んでしまっていた。
(そもそも出されたスリッパ小さくて歩きづらいし!)
などと思ってから、
(そういやぁ、今いるキッチンはともかく、さっきからちょいちょい畳の間をスリッパで歩いちょるけどええん!?)
とまたしても関係ないことが頭の中をぐるぐるした実篤だった。
***
襖を開け閉めする音がして、台所を通過し終えたのかな?と思ったと同時。
「もう目、開けてもろうて構わんですよ」
くるみにそう声を掛けられて、実篤は心底ホッとした。
やっぱり目を閉じたまま人に手を引かれて歩くというのは、いくら相手のことを信頼していても怖かった。
それに、くるみは何故か実篤が声を掛けてから慌てたように小走りになってしまって、本当ついていくのが大変だったのだ。
そんなことを思っていたら、
「――あ、あの……実篤さん……手……」
恐る恐るといった具合にくるみに繋いだままの手をそっと引かれて、「あ、ごめん!」と無意識にギュッと絡めてしまっていた手指を緩めてくるみの手を解いてやる。
そうしながら、彼女と手を繋ぐ理由がなくなってしまったことを、ちょっぴり残念に思った実篤だった。
***
仏間からのものだろうか。
台所を抜けた先にあった居間には、ほんのり線香の香りが漂っていた。
実篤の目の前の引き戸は庭に面して大きく開け放たれていて、その先の縁側は薄らぼんやりと明るかった。
どうやら月光が降り注いでいるようだ。
縁側には三宝の上に三角に折り畳まれた半紙が敷いてあって、綺麗にピラミッド状に並べられた団子とススキが飾られていた。
存外本格的に用意してあることに実篤は感心してしまう。
「準備するん、大変じゃったじゃろ」
ほぅっと感心のあまり吐息混じりにそう言えば、くるみが頬をほんのり赤く染めてはにかむ。
「そんなに大変じゃなかったです。実篤さんをおもてなししたかっただけですけぇ」
薄暗さに慣れてきた目が、月光の下、とても愛らしいくるみの照れ笑いを浮かび上がらせた。
「――くるみちゃん、俺……」
思わずくるみに歩み寄って、先ほどまで握っていた小さな手を取れば、くるみが実篤を間近でじっと見上げてきて「月が綺麗ですね」とウットリとつぶやいた。
二人とも屋内にいて、差し込む月光こそ感じられるものの、まだ月なんて見える場所には出ていない。
それなのに、だ――。
かつて文豪・夏目漱石が「I Love You」をそう訳したというエピソードは結構有名だ。
(くるみちゃん、まさかそれを知っちょって……?)
などと思うのは自惚れが過ぎるだろうか。
そう思う反面、もしそうならば……とも期待してしまう。
その場合OKの際の常套句は二葉亭四迷の「Yours《死んでもいいわ》」だが、そう返すのは、男として何か違うじゃろと思った実篤だ。
少し考えて、実篤は「くるみちゃんと見る月じゃけぇ」と応えてみた。
これからもずっとずっとくるみと月を見ていたい、一緒にいたいという気持ちを込めたつもりだ。
だが、変化球が過ぎたのだろうか。実篤の言葉に、くるみがピクッと肩を跳ねさせて、不安そうにじっと実篤を見詰めてきた。
その表情を間近で見て、実篤は覚悟を決めた。
「……あのね、くるみちゃん。もぉ気付いちょるかも知れんけど……俺、キミのことが好きなんよ。もし――もしも嫌じゃなかったら、その、……お、俺の彼女になってくれん?」
実篤がそう言ったと同時、くるみがポロリと一粒涙を落として、嬉しそうに微笑んで、ギュッと実篤に抱きついてきた。
「実篤さん、凄い嬉しい! うち、もう死んでもええわっ」
言われて、「いや死なんといて!」と思わず眉根を寄せたら、「物の例えですけぇ」とクスクス笑われた。
実篤はくるみのその顔が、とても可愛いな、と思った。
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