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休憩スペースでぼぅっとしていると――広岡さんだ。
カップの自販機の前でボタンを押す。へぇ……ブラック派なんだ……。
そして片手で反対の肩を支え、肩を回す。頭を傾けて首をぽき、ぽき、と鳴らす。
自販機からカップに入ったコーヒーが出てくるまで約40秒。無駄にしないという意志が見て取れる。
それから最後に広岡さんは、
「ふわぁ……」
あくびをした。
ふふっと笑ってしまった。するとそこでどうやら広岡さんはわたしの存在に気づいたらしい。涙目で、ちょっと可愛い。
いつもしゃきっとした完璧で隙のないビジネスマン風なのに、こんな素顔があるだなんて。むしろ、微笑ましい。
カップを取り出した彼は再度振り返ると「見られたか……」とぼやいた。
彼はその場でコーヒーを一気にあおって飲むと、わたしのほうへと近づき、「最近どう?」と聞いてくる。
わたしが困ったメールを送って二時間後に彼は対応してくれた。いまは、きびきびと働くメンバーの近くで働けて気分がよい。
けれど。
「わたしの席にまでいびきが聞こえてくることはありますが……おおむね平和です」
「そっか」別に驚いた様子もなく広岡さんは、「まぁ、彼のことは様子見、というか、ま、次の面談のときにそれとなく聞いてみるよ。他に困ってることはない?」
ええと。……あります。けど……。
家庭内のことですから。
それに。
同世代なのにそんなにシュッとしたイケメンが何気なく、わたしのことを気遣ってくれるなんて。どぎまぎする……。
異性として意識するなんて馬鹿なのだろうか。ここは職場なのに。……けど。
広岡さんから匂い立つ色香。艶めくような美肌に麗しい瞳きちんとセットされた髪。白い喉仏がセクシャルで。うぅぅ……男のひとでもフェロモン出せるひと初めて見たよぅ……いつも、ぱりっとしたスーツ姿で、前髪をアップにしたタイトな髪型で決めていて爽やかな印象でとっても格好がいい……こんな上司がいるってだけで苦しいよぉう……。
「広岡さんって」思い切ってわたしは聞いてみた。「そのたぐいまれなるビジュアルを維持するためにどんな努力をされているんですか?」
「ええ?」彼はちょっと笑った。「鷹取さんだってすごく綺麗じゃない。そっちの方が気になるよ」……わたしは。
ただ、離婚するだけではない。
別にいまは婚活をする余裕はないけれど。あわよくば再婚……なんて考えてもいるの。
ま。バツイチ子持ちの母と結婚してくれる男なんてそうはいないだろうけれど。
「誉め言葉は素直に受け取っておきます」と微笑んだ。「なんでしょう。肌のお手入れ、食事は自炊、適度な運動……、でしょうかね」
「鷹取さんってワーママなのにすごいねえ」と彼は嬉しそうに目を細めた。う……その表情、目に毒です、広岡課長。「毎日お仕事と子育てと家事と育児を全部されているんだろう? 尊敬するよ。忙しい合間を縫って自分磨きもされているんだね」……彼は。
わたしが自己啓発本を読んでいるのに気づいている。ちら、と視線を感じた。
わたしはややうわずった声で、
「広岡さんだってお仕事、すごくお忙しいじゃないですか。……あんなにもお忙しい中、わたしからのメールもきちんと返信してくださいますし」
すると、ずい、とすこし彼は顔を寄せて、秘密のことを話すときのように、いたずらに笑い、
「鷹取さんは特別」……なに。
きっぱり言い切るからどきっとしちゃったじゃない。あなたは罪です。広岡課長。
すると彼は距離を緩め(いえ、お近くで見るとお顔が整いすぎて心臓に悪い)、背筋を正し、
「だって周りの環境を整えてくれるために頑張ってくれているし。他の部署の永遠に鳴り続ける電話も絶対に出るし。ごみとか落ちてたら拾うし、シュレッダーのごみとか、自分がシュレッダーかけたわけじゃないのにあのぱんぱんの袋を必ずゴミ捨て場に持って行ってくれるでしょう? 偉いよね。そんなに華奢なのに」
……う。
見ているひとは見ているんだな。広岡さんって、在宅勤務もされてはいるが、出社したときは、いろんなところでいろんなひとと打ち合わせをしている。広岡課長は実は五人いる、なんて噂されているくらいだ……そんなお忙しいひとであっても、見てくれている……不覚にもきゅんと来た。
「重たいもの運ぶのくらいだったらぼくでも出来るから遠慮なく言って。……じゃ、ごゆっくり」
「お疲れ様です」とわたしは頭を下げた。そしてまた打ち合わせがあるのだろう。素早い足取りで去っていく広岡さんの背中を見送るわたしのこころのなかには、ある感情が芽生え始めていた。そのことに無自覚であるほどにわたしは子どもではなかった。
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