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春の昼下がり
入学してから数日が経ち、
教室にも少しずつ馴染んできた。
最初はぎこちなかった会話も、
今では自然と笑い声に変わっている。
c)「ツッキー、数学の課題やった?」
朔)「おう。」
c)「見せろ〜!」
朔)「自分でやれ」
a)「私にも見せて〜」
朔)「お前ら人任せすぎだろ」
朝から騒がしい。 けれど、それが心地よかった。
窓際、後ろから二番目。
そして、その隣。
高橋)「……月城くん」
朔)「ん?」
高橋)「シャーペン、貸して」
朔)「持ってないのか」
高橋)「あるけど、芯切れた」
朔)「準備不足だろ」
高橋)「てへ」
朔)「反省しろ」
呆れながら一本差し出すと、 高橋さんは嬉しそうに受け取った。
高橋)「ありがと」
……やっぱり。
高橋陽彩というやつは、
不思議な子だった。
明るい。 よく笑う。 誰とでも話せる。
なのに時々、 一人で遠くを見るような顔をする。
⸻
昼休み。
教室は弁当の匂いと話し声で騒がしかった。
c)「ツッキー、購買行こうぜ!」
a)「焼きそばパン残ってるかな!」
朔)「争奪戦じゃん」
高橋)「あ、私も行こっかな」
c)「高橋ちゃん、走れる?」
高橋)「失礼な!」
笑いながら立ち上がる。
けれど。
高橋)「……っ」
一瞬だけ、 彼女の手が机を掴んだ。
朔)「高橋さん?」
高橋)「……え?」
朔)「今、ふらついたろ」
高橋)「あー……立ちくらみ」
へらっと笑う。
高橋)「寝不足かも」
c)「大丈夫か?」
高橋)「大丈夫大丈夫!」
そう言って歩き出す。
少しだけ、
足取りが不安定だった。
でも本人が平気そうにしている以上、
それ以上は言えなかった。
⸻
放課後。
その日は日直だったせいで、
俺だけ少し帰りが遅くなった。
1,094
黒板を消して、
提出物を職員室に届けて、
教室へ戻る。
もう夕方だった。
窓の外が橙色に染まっている。
誰もいない教室。
椅子が整然と並び、
静かな空気だけが漂っていた。
鞄を取ろうとした、その時。
隣の席。
高橋さんの机の上に、
一冊のノートが置かれていた。
白い字で書かれたタイトル。
『共病日記』
朔)「……共病?」
聞いたことのない言葉だった。
共に、病む。
変な名前だ。
交換日記みたいなものか?
いや、
それなら“共病”なんて書かない。
何のノートだ。
気になって、
思わず手に取る。
表紙は少し温かかった。
ついさっきまで、
誰かが触っていたみたいに。
朔)「……見るのはまずいか」
そう思いながらも、
指がページの端にかかる。
その時。
ガラッ―――
教室の扉が勢いよく開いた。
高橋)「……あっ」
振り返る。
高橋さんだった。
肩で息をしている。
走って戻ってきたのか、
少し息が乱れていた。
朔)「忘れ物?」
そう言うと、
彼女の視線が俺の手元へ落ちた。
――『共病日記』
一瞬だけ。
ほんの一瞬だけ。
彼女の顔から、
いつもの笑顔が消えた。
高橋)「……それ」
朔)「机に置きっぱなしだったぞ」
高橋)「……うん」
彼女は近づいてきて、
そっとノートを受け取った。
抱きしめるみたいに、
胸元へ寄せる。
朔)「何、それ」
高橋)「……秘密」
いつも通り、
軽い口調。
でも。
声だけが少し硬かった。
朔)「秘密って」
高橋)「月城くん、意外と気になるタイプ?」
朔)「普通だろ」
高橋)「ふふっ」
やっと、
いつもの笑顔に戻る。
でもどこか、
作った笑顔に見えた。
朔)「日記?」
高橋)「まぁ、そんな感じ」
春の風が吹いて、
カーテンが揺れる。
夕日が彼女の横顔を照らした。
その表情は、
笑っているのに少し寂しそうだった。
朔)「……変なタイトル」
高橋)「でしょ」
朔)「意味わかんないし」
高橋)「月城くんには、まだわかんなくていいよ」
朔)「は?」
高橋)「なんでもない」
彼女はくすっと笑う。
けれど、
ノートを抱く手だけは強かった。
まるで、
取られたくないものを守るみたいに。
⸻
帰り道。
校門を出たあと、
陽彩が隣を歩いていた。
夕焼けが長く影を伸ばす。
高橋)「ねぇ」
朔)「ん?」
高橋)「もしさ」
彼女は前を見たまま言う。
高橋)「私が、絶対に見ちゃだめって言ったら」
朔)「?」
高橋)「月城くん、守る?」
朔)「内容による」
高橋)「なにそれ」
朔)「無茶だったら守らない」
高橋)「ふふっ」
少しだけ笑って、
彼女はまた前を向いた。
そして。
高橋)「じゃあ約束」
朔)「……何が」
高橋)「私が死ぬまで」
心臓が、一瞬だけ止まる。
朔)「は?」
高橋)「『共病日記』は、絶対読まないこと」
風が吹く。
桜の花びらが、
二人の間を横切った。
朔)「……縁起でもないこと言うな」
高橋)「約束して」
笑っていた。
けれど、
その瞳だけが真っ直ぐだった。
冗談じゃない。
そう言っているのに。
なぜか、
俺は軽く返せなかった。
朔)「……わかった」
高橋)「ほんと?」
朔)「約束な」
彼女は、
ほっとしたように笑った。
高橋)「ありがと」
その笑顔が、
なぜか少しだけ苦しく見えた。
この時の俺はまだ知らなかった。
あのノートの中に、
彼女の全部が綴られていたことを。