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いつもより幾度か明るい空の元で歩みを進める。この猛暑のなか部活動を行うのも酷だろうと、屋外の部活だけでなく屋内の活動まで生徒指導部の配慮によって休みになったためだ。こんなに早く帰れる日なんて久しぶりで、思わず進める足が早くなる。家に帰ったらどうしよう、アニメでも一気見しようか。あぁ、図書館へ行っても……。そんな妄想にふけりながら頬を微かに緩めた。
何十分か炎天下を進みながらやっとのことで家が見えた、そんなとき
「あれ、菊ちゃん?今日早いんやね」
「あっ佐々木さん。今日はこんなに暑いので部活休みになりまして… 」
「あぁそれはよかったねえ」
「はい、ほんとに……」
隣(とは言っても何十メートルも離れているのだが)に住んでいる知人だった。一人暮らしをしている菊を、まるで息子のようによくしてくれた一人だった。そんな他愛もない話をして、なんの流れかスイカを一玉貰うことになったので両手を開けられるよう肩へバックをかけた。玄関先から大きなスイカを持ってきた彼女からそれを受けとり、「おお…」と思わず口からこぼす。
「お、重いですね……こんな立派なの…いいんですか」
「いいのよ、私たちだけじゃ食べきれないから。お友達と食べなさい」
「あぁ、はい。ではお言葉に甘えて」
数少ない友人を頭の中に浮かべて苦笑しながらそう答えた。では、とそこから去ろうとした時、手をふりかけた彼女が口を開く。
「あっそうや、菊ちゃん」
「あ、はい」
「さっき菊ちゃんちに誰か入っていったんや、外国人やろか……髪が白くて、背が大きくてねぇ、遠目からでも色男なのが分かったわあ。お友達?」
「え?いや…えっと……」
「あんなイケメンおるんなら今度紹介してや、私も仲良おなりたいわ」
きゃあきゃあと楽しそうに話しながら笑う彼女に、誰?と思いながらもそれを追求する気が(腕に抱えたスイカのせいで)起きず、困惑したまま菊はその場を去った。学校でも特に目立たないグループにいる菊の友人、そこに白い髪の人間なんているわけがない。昔の知人だろうか、それでも白髪の人間なんて思いつかない。そう考えながらも歩みを緩めることはしなかった。なぜなら、この炎天下から一刻でも早く抜け出したかったのだ。
5分ほど歩いて、やっと家に辿り着いたところで敷地の中にスイカを置く。痺れかけた腕をぶるぶると振りながら庭へ目を向けると、たしかに誰かがいた。というか、縁側からはみ出すような形で長い足があった。「ひっ」と声を漏らしかけ、言葉を飲み込む。絶対刺激しない方がいい。この体格差で勝てる自信もないし、まず誰かわからないし…。まあ、証拠だけでも撮っておこうかなと思い、足音に極力の注意を注ぎながらその人型へ近寄る。ポケットからスマホを取り出し、足の持ち主の顔へカメラを向ける。
「…え」
この顔を知っている。……気がした。たしかに佐々木さんが言っていた通りの白色…というよりは、日陰で見ると銀色に近い気がした。銀色ならば見覚えがある。少し前に森で会った狼と、それによく似た彼と…
「シロくん……」
シロくん、とは菊が一人で決めた名前だ。昨日今日菊の家によく訪れ、尾を振ってこちらを見あげてくる白い犬のことを勝手にそう呼んでいたのだ。実家にいる彼と同じような安直な名前だが、別に自分が飼っているわけでもなく、数日経ったら彼は去るだろうと思っていたのでこのくらいが丁度いい塩梅だと思う。シャッターを押せず、立ちすくんでいれば寝転がっている彼の瞳がパチリと開いた。…紅。
「……ぁ?」
「…おはようございます」
片手で顔を覆いながら、むくりと体を起こした彼にそう声をかける。まさかそんな声がかかると思わなかったのかビクッと肩を揺らして、赤い双月は菊を捉えた。まるで呆気にとられたような表情を浮かべて、彼はおぼつかなく顔から手を剥がした。
「………??………オハヨウ、ゴザイマス…?」
困惑しながらも彼はたどたどしく菊の言葉をなぞった。そしてぶるぶると顔を振って目を覚ます様は、実に”シロくん”に似ていた。
「あなた、あのワンちゃんだったんですね…はあ…………」
ため息を付きながら彼の隣へと腰掛ける。怪訝そうにこちらを見る視線は無視して、ローファーで土を何度か軽く蹴る。
「…ンな気ぃ落とすことねえだろ、なんでだよ」
「正体がバレたらもう人間には関わらないんでしょう?あの子に会えないなんて…覚悟はしてましたがこんなに早いと落ち込みますね……」
「はぁ?」
そんな回答は予想外だったのか、なにか奇妙なものを見るような目で彼はこちらを凝視した。沈黙の時が何分か流れたあと、カー、カーと鳴くカラスの姿と赤い夕日を視認して菊は腰を上げる。夕食をそろそろ作り始めようか、明日のお弁当のメニューも考えなきゃだし……。そう思うと重い腰を何度か軽く摩って、玄関の方へ足を進めた。鍵を差し込み、扉を開けたところでふと声がかかった。
「……別に、これからも来てやる…ケド」
「えっ」
振り返って声のした方を見やれば、そこには首元に手を添えて立っている彼がいた。夕日によって橙に染った顔を少し背けて、そう呟いていたのだ。そして微かに伏せられた睫毛に光が反射してキラキラと一段美しく輝く。思わず息をするのも忘れてそれを見ていれば、菊の視線に気づいたのか不満そうに眉をひそめてから、彼はこちらに歩みを進めた。
「…なァ、とりあえず飯食わせろ。腹減って仕方ねえ」
自分よりかなり高い位置にある顔を見あげると、気のせいか、はたまた光のせいか彼の顔…というより頬が赤く染っているように見えた。食い意地のはった彼に思わずくすりと笑いを零して口元に手を寄せる。
「おい!笑うな!!!」
「いえ、いえ……ふふ、いや、かわいらしいなと」
「っ、意味わかんねぇ!早く作れよ」
「あぁはいはい、少し待ってくださいね」
これ以上ここで止めていても意味が無いと悟ったのか、小さく肩を震わせて笑い続けていた菊の横を彼は通り過ぎる。そうして開いたままの戸をくぐり、彼は室内へ消えていく。その姿を見送って、ある程度笑いが収まったところで菊も同様に玄関へと足を踏み入れた。見慣れない靴が綺麗に並べられているのを見て、彼がいることの実感と新たな一面を見た気がしてまた頬を緩める。ふと居間から聞こえてくた大きなお叱りの声に適当に返事をして、菊は戸の鍵を閉めた。