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一ヶ月後、輝夜はラスベガスに向かう飛行機に乗っていた。
政府から用意されたチケットはファーストクラスの待遇で、席には個室のように仕切りが付いており、ゆっくりと過ごすことが出来る、まさに至れり尽くせりの豪華さ。
「現地には先に要員を派遣しとるさかい、着いたら指示にしたがってくれりゃええ」
氷室が席を仕切っている扉から顔を覗かせて、この後の予定を簡単に説明する。
「到着までの時間は?」
「十九時間くらいや」
「結構かかるんだね」
輝夜はそう言うと、飛行機の窓から外の景色を眺める。日は落ち、雲の上にいるため、窓の外にはあらんばかりの星が輝いている。
「時間的には夕食かな」
夕食が来る前にトイレにでも行っておこうと思った輝夜は席を立つ。
トイレを済ませて洗った手をハンカチで拭きながら席に戻っていると、一人の男とすれ違う。
『気を付けろ契約者。今の男、邪な匂いがするぞ。きっと血も不味いに違いない』
「……もしや、朱月輝夜さんではありませんか?」
アリアに聞き返す暇もなく、男が輝夜に声をかける。
「ええ、そうです」
「やはりそうですか、いや以前あなたの配信を見てすっかりファンに……っと失礼、自己紹介もせずに」
男はそう言うとスーツの内ポケットから名刺入れを取り出して、黒い光沢のある紙に金の装飾の施された名刺を一枚渡す。
「ルーカス・トウェーンと申します……これも何かの縁ですし、よろしければ一緒に食事でもいかがですか?」
「……いいですよ」
自分がこの便に搭乗することを知っていて、始めから近づくつもりで声をかけたな……と輝夜は思いながらも、ルーカスと名乗った男の目的を探ろうと思い食事のお誘いを受ける。
ルーカスは客室乗務員に声をかけて、二人分の食事を持ってくるように伝えると、シートに向き合うようにして座る。
しばらくすると、カートに乗せられた食事が運ばれてくる。
皿の上に丁寧に盛り付けられたステーキや、温かなスープからは湯気が立ち上る。それらから立ち上る芳ばしい香りに、胃袋は刺激され思わず頬が緩みそうになる。
「まさか飛行機でこんな食事が出るとは」
ナイフとフォークを手に取って肉を切る。すっと吸い込まれるようにナイフが入っていき、その切り口は、わずかに赤みが混じった肉の色。そこからじわりと肉汁が滲む。
それをフォークでさして口へと運び、ゆっくりと噛むとあっさりと噛み千切れ、口の中一杯に肉と脂の味が広がる。
あふれ出した肉汁が肉に加えられた塩と胡椒、ソースと絡みなんとも言い難い美味さとなる。
「んーっ、美味い!」
傍らに置かれたパンを手に取り、一口大にちぎって口の中へと放り込む。
ほんのりと甘い、パンの淡い風味と、肉の強烈な旨味が交じり合う。それがまた別格だった。
「くぅっ」
半日振りに食べる料理に舌鼓を打つ輝夜を、微笑ましい様子で眺める男。
「……そんなに見られてると食べにくいんですけど」
その視線に耐えかねた輝夜が、気まずそうにそ言う。
「あ、すいません。あまりにも美味しそうに食べるもので……」
「だって、実際に美味しいですし」
美味しそうに食べる輝夜を見ていると、深層を一人で攻略できるほどの凄腕ハンターというよりは、ちゃんと年相応の少女という印象を抱く。
「……これだけ美味しいなら、毎日でも食べたいくらいですね」
出された料理を堪能した輝夜は、ナプキンで口元を拭う。
「食後に酒でもいかがでしょうか?」
ルーカスはグラスを二つ置くと氷を入れ、ワインセラーからウィスキーを取り出して、グラスに注ぐ。
「未成年なので」
アリアの忠告もあったことから、ルーカスに懐疑心を抱いている輝夜は、何か盛られている可能性を考えて断る。
「そうですか、折角の二十年物ですのに」
ルーカスは残念そうな表情でグラスを下げようとする。
「いただきましょう」
二十年物のウィスキーと聞いた輝夜は、グラスを下げるルーカスの手を掴み、彼の手からゆっくりとグラスを抜き取る。
「ナディ」
ルーカスに聞こえない程の小声で、ナディの名前を呼ぶ。
『あんたの思ってる通り毒入り……正確にはグラスの縁に毒が塗られてるわね』
輝夜の首筋から顔を覗かせたナディは、彼女の持っているグラスに手をかざして魔法を使って毒を取り除く。
輝夜に毒を盛るような相手には一つしか心当たりがない。
(百足旅団のメンバーで確定かな。こっちの情報筒抜けじゃん)
輝夜は政府の情報管理はどうなっているんだと思いながら、グラスを口にあて、ほんのりと香るランシオ香を堪能しながら、ウィスキーを少しだけ口に含んで舌先で転がすようにして味わう。
アルコール特有の刺々しさはなく、まろやかな口当たりでほんのりと甘さすら感じる。
「……これ、なんて種類ですか?」
「アイリッシュウィスキーですよ」
『カフカの滴』
輝夜の問いにルーカスとナディが同時に答える。
「あまり詳しくないんですけど、どういうものなんです?」
「アイリッシュウィスキーですか? 大麦麦芽を使ったアイルランドのお酒です」
『口にしても何ともないけど、三十分後に眠るように死ぬわ』
暗殺するにはうってつけの毒だなと思いながら、輝夜はウィスキーを味わう。
「落ち着いた味わいですね」
どうにかして百足旅団について聞き出せないかと思いながら、輝夜はそう言う。
「その年で味の良さがわかるとは流石です。一流は一流を知る……と言ったところですね」
輝夜がウィスキーを口にしたことで気をよくしたのか、ルーカスは饒舌に喋り始める。
「それで、僕に何か用があったのでは?」
輝夜は空になったルーカスのグラスに酒を注ぐ。
「どうも……別に用というほどのことではなく、ただ一度お話がしてみたかっただけなんです」
ルーカスは酒を注いでもらったことに礼を言ってから一口飲む。
「そうですか。ところで、僕がこの飛行機に乗る事、どこで知ったんです?」
世間話はもう良いだろうと思った輝夜は、単刀直入に聞いた。
「……えっと、すいません質問の意味がわからなくて」
何の脈絡もなく出てきた質問に、ルーカスは戸惑いを見せる。
しかし輝夜はそんな事を気にする様子もなく、質問を続ける。
「質問を変えます。あっちこっちで遺物を集めてるそうですが、目的は一体何ですか?」
「……すいません、さっきから何を言っているのか」
「百足旅団のメンバーならわかるでしょ」
「……気付いてましたか」
輝夜の言葉を聞いたルーカスは、先程までの好青年な印象とは打って変わって、剣呑な雰囲気を醸し出す。
「すれ違った時から気付いてたよ」
輝夜は鼻で笑って、堂々と嘘をつく。
「気付いていながら、私の薦めた酒を」
「毒なら飲んでないよ」
ルーカスの言葉を遮った輝夜は、グラスに残ったウィスキーを一気に飲み干し、溶けて小さくなった氷を噛み砕きながら、空のグラスをテーブルに置く。
「……何?」
「君からグラスを取るとき、手で視線を遮っている間に親指でグラスの縁に付いてある毒はすべて拭った」
輝夜はボリボリと音を立てて氷を噛み砕きながら、テーブルに置いたグラスの縁を指先でそっとなぞる。
「あなたの方こそ、僕が注いだ酒を飲んでましたけど大丈夫ですか? 親指でボトルの口に触れてから注いだんですけど」
輝夜はルーカスのグラスを指差してそう言う。当然ながら、そんな事はしていない。すべてハッタリである。
だが、そんな事を知るはずもなく、ルーカスは目を見開いて驚き、焦りと恐怖から体が小刻みに震え始める。
「はっ、そんな見え透いたハッタリになど」
「カフカの滴がどんなものかは知ってるんでしょ? 早く解毒しないと死んじゃうよ?」
強がろうとするルーカスの言葉を、輝夜はバッサリと切り捨てる。
「バカな……」
毒の種類まで言い当てた輝夜を見て、ルーカスは輝夜の話がハッタリではないと信じ込む。
「ほら、後三十分の命だよ」
「くっ……」
ルーカスは小刻みに震える手で、ポケットから透明の液体が入った一本のアンプルを取り出す。
その瞬間、輝夜はテーブルの上に置いてあるグラスを掴み、ルーカスの手に投げる。
グラスがぶつかった衝撃で、ルーカスの手からアンプルが落ちる。慌てて拾おうとするルーカスよりも先に、輝夜の伸ばした足がアンプルを踏み砕く。
「あ、ごめん。手がすべっちゃった、あと足も」
うすら笑いを浮かべて、わざとらしくそう言う輝夜。
「貴様ァ!」
ルーカスは歯を食い縛り、顔を真っ赤にして輝夜に掴みかかり、拳を振り上げる。
しかし、その拳が振り下ろされる前に、輝夜は小さな小瓶をルーカスに見せつける。
「安心しなよ。解毒薬なら僕も持ってるから」
「それを寄越せっ」
輝夜の手から小瓶を奪おうとするルーカスを蹴り飛ばして座席に座らせ、アイテムボックスの中からナイフを取り出してルーカスに向ける。
「落ち着きなって、質問に答えてくれたらちゃんとあげるからさ」
「もう一度聞くけど、何で遺物を集めてるの?」
「……それは……知らない」
輝夜は黙ってナイフの刃先を首筋にあてがう。
「本当だ、遺物を集める理由なんて本当に知らないんだ。頼む信じてくれ」
首に触れる鉄の冷たい感触に、ルーカスは怯えた様子で首を横に振って必死に訴える。
「百足旅団の目的は?」
「知らない。俺達はただ好き勝手暴れたいから参加しただけだ。メンバーの人数も他の連中の素性も知らないんだよ。本当なんだ」
「……何も知らないじゃん」
輝夜は露骨に残念そうな顔をする。
ルーカスは使い捨ての駒に過ぎない。駒に重要な情報を与えるわけがなく、ルーカスのような捨て駒にできるような人間が、他にも大勢いるのだろう。
「せめてオークションに参加する人数くらいはわからない?」
「ふ、二人と聞いている……だが、素性は知らない……」
「……わかった。もう良いよ」
ルーカスからは何の情報も得られそうにないと思った輝夜は、指先にぐっと力を入れる。
ルーカスは顔を反らして目を強く閉じる。
「……はぁぁぁ」
ここまでして喋らないという事は、本当に何も知らないのだろうと思った輝夜は、大きく溜め息をついて、小瓶を放り投げる。
安心したかのように小瓶の蓋を開け、中身を一気に飲み干すルーカス。
次の瞬間、ルーカスは強烈な睡魔に襲われ、ものの数秒で深い眠りに落ちる。
「しばらく寝てて」
ルーカスが飲んだのは、ダンジョンのモンスターから作られた睡眠薬。小瓶一本分の量を飲めば三日は眠り続けたままである。
「ナディ、悪いんだけど氷室を呼んできてくれないかな」
ナディに氷室を呼んできてもらう間、輝夜は椅子に座って寝ているルーカスに跨がり、百足の刺青を探すために、シャツのボタンを外して服を脱がせる。
ちょうど右胸の下辺りに百足の刺青が入っており、
「百足旅団捕まえ……なにしてん?」
ちょうどそこに氷室がやってくる。
半裸のルーカスに跨がっている輝夜を見た彼は、状況が理解できずに少し引き気味にそう聞いた。
「百足の刺青を探そうと思って」
「なんや、そういう事かビックリしたで……で、何か聞けたか?」
「いや、何にも知らないただの捨て駒だったよ。けどオークションには旅団のメンバーが二人来るみたい……それで、これどうする?」
脱がせたルーカスの服を元に戻しながら、輝夜は淡々と答える。
「二人か、まぁそれだけわかりゃ十分やな……日本に向かう飛行機やったらそのまま逮捕でええんやけど。それいつ起きるんや?」
氷室はルーカスの服を探ってスマホや外部と連絡が取れそうな物をすべて奪う。
「多分、三日間は寝たまま」
「……なら、そのまま転がしとけばええわ。んで、ベガスに着いたら現地に派遣されとる要員に渡せば、後は何とかするやろ」
面倒くさそうにあくびをしながら、そう答える氷室。
「放っておいていいの?」
「他に乗客も居らんし、平気やろ。ワイはもう寝るで、お前も寝とけよ」
それもそうかと思った輝夜は、席を立つと、自分の座席に戻り、椅子を倒して寝転ぶと、やがて寝息を立て始める。