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日曜日の午後、私は川喜多さんと一緒に山内家の前に来ていた。
川喜多さんは以前会ったときと違ってきちんとスーツを着ている。つまり、これは彼の仕事なのだ。
「いいですか? 紗那さん。何が起こっても動じないでください。事前に話した通りに進めていきます」
「はい、大丈夫です。よろしくお願いします」
私は彼にぺこりとお辞儀をしてから改めて山内家を見つめた。実はもう何度か来ている場所だけど慣れない。
優斗母はあんな感じだけど、彼の父もなかなかの曲者でプライドが高く、超がつくほどの亭主関白だ。食事のときは必ず『男は座って待て。女は最後まで配膳しろ』の姿勢を崩さない。
私が家に来たときも決して座らせてくれず、ひたすらお茶の準備や食事の支度を手伝わされた。
私が同居に踏み切れなかった一番の理由はこれだ。優斗母はそれが当たり前だと思っているし、父も他人に気遣いなどしない。
私自身も実家がアレのせいか、この家の状況にそれほど違和感を抱くことなく今までやってきた。
けれど、これは無理だと今ならわかる。
和室に通された私と川喜多さんの目の前に、優斗父と優斗母、そのあいだに優斗本人が座っている。父は真顔、母は激怒した顔をして、優斗本人は不機嫌そうな顔だ。
真っ先に優斗母が口を開いた。
「紗那さん、これはどういうことなの? 結婚の話し合いをするはずじゃなかったの? 弁護士を連れてくるなんてどういうつもり?」
相変わらず話が通じない。そっちが弁護士に相談しているからうちに来いと言い出したのに。
などと反論しても無意味なので、私は川喜多さんにお任せすることにした。
川喜多さんは丁寧に説明を始める。
「石巻紗那さんは山内優斗くんとの婚約を解消し、山内家との関わりをきっちり終わらせることを希望しています。そちらがそれを拒否されるのでこの場で話し合いをして解決を図りたいと考えています」
「私たち家族の問題に他人が口を出さないでちょうだい」
「僕は石巻さんからきちんと依頼を受けていますので他人が勝手に口を出しているわけではありません」
すらすらと冷静に返す川喜多さんに、優斗母は一瞬反応に困り、なぜか私に目を向けてにやりと笑った。
「紗那さん、あなたあまりにもおふざけが過ぎるわよ。ただの喧嘩なのにこんなに大袈裟にするなんて、そこまでして優斗の気を引きたいの? わかったわ。あなた、優斗の愛情を確かめたいんでしょ? あたしにもそんな頃があったわ」
私はただ無の感情で彼女の発言を右から左に聞き流した。
すると川喜多さんも優斗母の発言をスルーして鞄から書類を取り出した。
そして彼は淡々と述べる。
「優斗くんが婚約期間中に不貞をおこなった証拠があります。そちらの有責により、おふたりの婚約を解消することになります。つきましては慰謝料についてですが……」
「いい加減にして! 慰謝料慰謝料とこの前からしつこいわね! 結婚を控えたカップルがただ喧嘩しただけでしょ!」
「ただの喧嘩ではありません。こちらをご確認ください。優斗くんはこちらの女性と不貞関係にあります」
川喜多さんは優斗と乃愛の写真と乃愛の匂わせ投稿写真、そしてふたりのメッセージのやりとりの証拠を出して告げる。
「そして、婚約者である紗那さんへの暴言の証拠がこちらです」
そこには優斗から届いたメッセージの記録がすべて羅列してある。さらには優斗母から来たメッセージも添えられていた。
「紗那さんを攻撃し、精神的に追い詰めたことによる慰謝料も発生します」
優斗母が何か言おうとしたが、それを遮るように優斗が声を荒らげた。
「俺は紗那を攻撃してない! 恋人として紗那に愛情表現しただけだ」
「では、これは何ですか? 彼女への脅し文句の証拠もありますよ」
「それは紗那が俺を無視したからだ。誠意を踏みにじられたんだ。怒って当然だろ?」
優斗は腕組みし、わざとらしく胸を張ってこちらを見下すように睨んだ。
以前から優斗は自己中だと思っていたけど、ここまで自分に都合のいい解釈しかできないなんて、本当に頭がおかしくなってしまったのだろうか。
それとも私が彼をそうしてしまったのだろうか。
優斗は腕組みしたまま語り出す。
「だいたい、俺は被害者だ。紗那は女としての役割を果たしていなかった。俺はただ紗那を叱っていただけなんだ。なあ、父さん? 父さんもそう思うだろ?」
優斗がとなりに顔を向けると、無言を貫いていた父が険しい表情で低い声を発した。
「優斗から話は聞いたが、私は紗那さんに落ち度があると思いますね。息子の言う通り、女には女の役割がある。我が家はそのように厳しく育ててきたんだ。うちの嫁は多少うるさいが男を立てるすべを身につけている。最近の若い娘は平等がどうだのと偉そうに語るが、子をもうけたら働けないだろう。身の程を知らない奴ばかりで困る」
優斗は満足げに笑いながら私と川喜多さんを交互に見つめた。
思った通り、父も話の通じない人だった。この人はこれでも会社の部長らしいから、きっと社内でとんでもないパワハラをおこなっているのだろうことは想像に難くない。
優斗父は薄ら笑いを浮かべながら私を見下すようにして告げる。
「だいたい、たかが恋人同士のいざこざに弁護士とは、冗談にしては馬鹿げている。紗那さんはあまりに非常識な方だな」
非常識はどっちなの?
私が反論しようとしたら、優斗が先に口を出した。
「俺は悪くない。紗那と別れるつもりもない。けど、紗那が謝らない限り俺は許してやるつもりはない」
一体どうしろと言うのだろうか。
話が通じなさ過ぎて頭が痛くなってきた。
どう返せばいいか考えていると、川喜多さんが冷静に彼らに訊ねた。
「そうですか。では裁判に進めてよろしいですね?」
「は? 裁判……?」
優斗がぽかんと口を開けて呆気にとられた。
川喜多さんは淡々と話を続ける。
「あなた方はどうもまともに会話ができないようだ。これ以上の話し合いは無駄なようですから、法廷で解決が望ましいでしょう」
裁判というパワーワードに過激に反応したのは優斗母だった。
「バカなことを言わないで! こんな些細なことで裁判ですって?」
「些細なことではありません。紗那さんは婚約中にパートナーの優斗くんに不貞されたあげく毎日のように暴言を受けた。充分価値のある事例です」
「こんなことで裁判起こすくらいなら、もっと大事なことがあるでしょ! 窃盗や殺人の犯罪者を裁きなさいよ。優斗は何の犯罪も起こしていないのよ!」
激しく罵倒する優斗母に向かって、川喜多さんはまったく微動だにせず、さらりと返す。
「無関係な事例を出して論点をすり替えるのはおやめください」
川喜多さんに反論できないのか、優斗母は今度は話を元に戻した。
「だいたい、その女とは別れさせたのよ。優斗は心を入れ替えて紗那さんとやり直すと言っているのにその好意を踏みにじるなんて、紗那さんあなたは人として最低だわ!」
一体どう突っ込めばいいのだろう。
さっき優斗は自分は悪くないと言い、優斗母は優斗が反省していると言い、この親子が今までどうやって周囲と関係を築いてきたのか疑問すぎる。
「どう思われても結構です。私は優斗くんと別れます」
「そんな身勝手なことは許されないわよ!」
優斗母が拳を握りしめてテーブルをダンダン叩く。
私が少し怯んでいると、川喜多さんが変わらず冷静に言った。
「お母さん、不貞関係にあった女性と別れても過去をなかったことにはできません。よって優斗くんの有責を帳消しにすることはできません」
「有責有責ってうるさいわよ! 優斗は何も悪くないの! 紗那さんが優斗の世話を怠ったから悪いのよ。これはすべて紗那さんに原因があるの」
私を指差しながら声を荒らげる彼女に向かって、私は何とか平静を保って告げる。
「私は便利な家政婦ではありません。勘違いしないでください」
「なんて生意気な子なの! 謝りなさい! あなたのせいで優斗は夜も眠れないのよ! 責任取りなさいよ!」
めちゃくちゃなことを言いながら激昂する優斗母に、川喜多さんが冷静に返す。
「感情論で押し通しても無駄ですよ。こちらは事実を証拠にして然るべき対応をおこなうだけですので」
優斗母は目を見開いて硬直した。