テラーノベル
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困惑した表情でランディリックを見上げたら、「ああ。レディの顔に許しも得ず勝手に触れてしまったね。すまない」と謝罪されてしまった。
「あ、あのっ、いえ、それは全然気にしてなくて……」
慌てて取り繕えば、「ではその表情はどういった感情の表れか、教えてもらっても?」と優しく問い掛けられた。
リリアンナがしどろもどろに理由を話せば、ランディリックが一瞬だけ悲しそうな顔をする。
「ランディ?」
それを不安に思ってランディリックを見上げたら、「リリー。最初は難しいかも知れないけど、少しずつで構わない。誰かから大切にされることへ慣れていってくれると嬉しい」と優しく微笑まれた。
リリアンナはランディリックの言葉にハッとして、「頑張ります」と返すので精一杯だった。
***
「さぁ、いつまでもこんなところに立っていては、凍えてしまう。行こうか」
ランディリックに促されて少し歩いた先。ホームの端に、二台の馬車が並んで待機していた。
一台は雪をかぶった黒塗りの四頭立て馬車。扉には白銀の毛皮で縁取られた深緑の盾が描かれていた。上半分には金色の剣と絡み合う草カズラ、下半分には白銀の山脈と濃い青の波紋――ニンルシーラ辺境伯ランディリック・グラハム・ライオールを示す家紋である。だが、このときのリリアンナはまだ、それが彼の家の象徴であると知らなかった。
もう一台は、厚手の濃茶色の幌で覆われた実用的な四頭立ての幌馬車。
側面には、同じくライオール家の簡略紋――深緑の盾に金の「L」だけを配した意匠が染め抜かれている。
幌の内には十名ほどの侍従や従者を運ぶ座席が備えられ、長旅に備えて荷物も積み込まれていた。
四頭の馬は毛布のような防寒覆いを掛けられ、白い息を吐きながら静かに待っている。
(立派な馬車……)
リリアンナが白い吐息をほぅっと吐き出してそう思ったと同時、御車台に座っている若い男が、こちらに気付いて軽く手を上げた。
「えっ?」
その反応にリリアンナが思わず声を漏らしたら、背後のランディリックから「迎えの馬車だよ」と告げられて驚かされてしまう。
「お帰りなさいませ、旦那様。そして……リリアンナお嬢様」
御者台から降りてきた家臣が「カイルと申します」と名乗り、白い息を吐きながら深く礼をした。
その呼びかけに、リリアンナはわずかに目を見開き、戸惑いの色を浮かべる。
ランディリックに保護されて二日。役立たずだの穀潰しだの薄汚い小娘だのと散々罵られてきた日々から一変。急に令嬢扱いされてなんとも落ち着かない。
ランディリックからは〝少しずつでいいから慣れて?〟と言われたけれど、かつてのように、貴族としての誇りを取り戻すにはもう少し時間が必要に思えた。
背後では、王都まで付き従っていた家臣たちが汽車から降りてきていた。長旅と寒さに、外套の襟を深く合わせ、肩の鎧紐を緩める者もいた。
「皆さんはあちらの馬車で屋敷までお戻りください。道中は護衛が付きます」
カイルの指示に、家臣たちは大きめの幌付き実用馬車へ次々と乗り込み、安堵したように息を吐いた。護衛の数名が、騎馬のまま両馬車の前後を固める。
「どうぞ、こちらへ」
カイルが扉を開き、ランディリックとリリアンナを黒塗りの専用馬車へ案内する。分厚い毛布が座席に用意され、外套のままでもすぐに温もりが感じられた。
乗り込んだ途端、室内の暖気で窓ガラスが内側からふわりと曇る。
リリアンナは指先で小さく円を描くように曇りを拭い、その隙間から外の景色を覗いた。
車輪が雪を踏みしめる音と、馬の蹄の鈍い響きが、ヴァン・エルダールの静かな空気に溶けていく。
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