テラーノベル
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教室で魔王は陶酔していた。
ボールを蹴る感触が心地良かった。殴る際のフィーリングに似ていた。
直接手を下すことは少なかったが、それでも魔王は数多の者をその手で葬ってきた。
攻撃呪文で敵をさくっと吹き飛ばすのも爽快だが、拳を突き合わせる肉弾戦も魔王は気に入っている。(魔王のグーパン一発で相手は大地に沈む)
このヒューマンの世界では、傷害罪があることを学習済みだ。警察にしょっ引かれるなど、誇り高き魔王にあってはならない。
故に、この世界では、殴打に近い感覚を味えぬと失望していた魔王であったが――。
快感に酔いしれる魔王は恍惚の表情をつくる。
蹴った瞬間のボールのたわみ具合が、グーパン一発の顔のひしゃげ具合に似ていた。
たまらない。放課後、早く、ボールを蹴りたい。
「大空ぁ」
(ん?)
「復帰早々にこんなこと先生も言いたくないんだけどねぇ、でもさぁ、もうちょっと集中してよねぇ。さっきからノートもぉとらないしぃ、時計ばっか見てぇ、にやにやと気味悪りぃしぃ」
九回目のお見合いが破談になった数学教師・三隅美智子(32 通称みっちー)が癖のある言葉づかいを炸裂させた。
なお、現在、授業中である。
板書されたものを生徒たちが熱心にノートに書き写す様は、さすがは進学校の光景だ。
そんななか、愉悦に耽っていた魔王の態度は、みっちーにとって腹に据えかねるものだった。
「じゃさぁ、ちょっとぉ、解いてくんないぃ、【問1】」
みっちーがにたぁとなる。
(……出たっ! みっちーの『解いてくんないぃ』!)
みっちーは急に誰かを指名して問題を解かせる教師だ。指名された生徒がその場で立ち上がり「マジかよ」となる表情に興奮するタイプである。
「正弦定理により3√2」
椅子に座ったまま、即答する魔王。
「へ……!?」
「【問2】は……、【問3】は……。【問4】は……。【問5】は……。以上」
あてられてもいない問2~5までをも瞬時に答えた魔王は、憮然とした顔をした。
ヒューマンが学ぶ数学など取るに足らない。アインシュタインの相対性理論をもってしても、どうしてこの程度で、と魔王は飽き足らない。
それだけに、みっちーから指名された際に、見下されたのではないかと、イラっときていた。
ざわざわっと教室がざわつく。
無理もない。大空碧人は補欠合格でこの学校に滑り込んだ、いわば学年ビリ。しかも、何度もみっちーの指名に沈められた過去を持つ。
「大空マジか」「あいつ休んで勉強してたん?」「留学?」「数学で留学なんてあんの?」
一方のみっちーは、
「……、――、……あぶぶぶぶ」
期待していた反応を見られなかったことが原因か、それとも九回目の破談が尾を引いたのか、気が触れたように教卓に突っ伏した。→保健室送り。
なお、魔王の前の席は空席である。
本来ならば早坂の席だ。しかし、彼は今、保健室で眠りについている。(その隣にみっちーが寝かされる)
魔王のシュートを腹に受けた早坂は「ひぶっ」と、魔界でもなかなか聞かないモブキャラみたいな呻き声を吐き出した後、昏倒し、保健室へと送り込まれたのだ。
(早くボールを蹴りたい)
小学生のように時計とにらめっこをしだした魔王であった。
そうして迎えた放課後。
いそいそと教科書をしまい、ちゃっと教室を出て部活へ急ごうとする魔王に、一人の女子生徒が立ちはだかった。
ん?
すっきりした鼻梁にパッチリ目、口元は艶やか、セミロングの髪と相まって清楚な面立ちの超ド級美少女だ。
しかし、肘と膝には負ったばかりと思われる擦り傷がある。うっすらピンクに染まる頬には赤茶けた血の跡もあった。
秋月結菜。
別名・アクシデントの血糊マドンナ。
事件や事故、不運に巻き込まれる体質の少女だ。
「お、遅くなっちゃった。きょ、今日は碧人君が、ふふふ、復帰する日なのに。はあっ、はあっ……」
駆けてきたのか、息と声を細かく吐きながら喋る結菜。
「と、途中で、ひ、ひき逃げに遭っちゃって……、バ、バンってぶつかられて、ゴ、ゴロゴロと横断歩道を転倒させられちゃって……い、痛みがひくまで、う、うずくまってたら、こ、こんな時間になっちゃった……はあっ、はあっ……」
口から溢れた血が結菜の顎をつーっと伝っていく。血の雫がぽとっと床に落ちた。
(ひき逃げって……車だよね?)
クラスメイト達は不思議でならない。
(車にひかれてバンっ&ゴロゴロで、何故にうずくまる程度で痛みがおさまるの?)
「い、痛みがひくまで、だ、誰も通りかかってくれなくて……はあっ、はあっ……」
(ここ、そんな田舎じゃないよね……? 千葉県の船橋市だよね? 人口五十万人越えてるよね?)
これも毎回だが、彼女だけはどうしてか重傷にならずに助かる。
誰かと一緒に彼女が事故に遭うと、せいぜい彼女は掠り傷を負う程度。しかし、その誰かは病院送りになる。
彼女と一緒にいると事故に遭う確率が高まるためか、性格・容姿・家柄・頭脳すべてが温和・良好・優秀・明晰であるが、彼女には友達が少ない。恋人もいない。
結菜の顔面と心根に惚れて告白やアタックを試みる男子生徒はいるのだが、口説いている最中で事故に見舞われる。
結菜の顔面偏差値はこのヒューマン世界において高レベルだ。しかし、魔王にとっては普通である。
千年もの長きに渡って魔界を統べていた魔王だ。
抱いた女の数も多いが、中には歴史上最強クラスの顔面女子も含まれる。校内一やミス・ジャパン程度の美しさで心を動かされる魔王ではなかった。
魔王が結菜を無視して教室を去ろうとする。
「あ、碧人君! ま、ままま待って! はあっ、はあっ……!」
結菜が魔王を引き留めた。
「久しぶりだな」
ヒューマンの世界で使われるコミュニケーション円滑フレーズを魔王は口にする。これが魔界であるならば、「どけ」の一言だ。機嫌が悪い場合は、何も言わずに相手を消滅させたであろう。
結菜は輝く瞳で魔王を見つめている。眦にうっすらと涙の蕾があった。
挨拶し、さっさとこの場を去ろうと考えていた魔王。しかし、ふと足を止めてしまった。
アイドル級美少女(ヒューマン基準)の顔に血がこびりついている。それはシュールだ。
何となく、眼前の少女はツインテールが似合いそうだなと思った。実際に、魔王は結菜の髪に手を伸ばしそうになった。
ツインテールを見てみたい、そんな軽い気もちだ。
が、これを唐突にしたらこの世界ではアウトになる。学習済みの魔王は、ぐっと欲望を堪えた。(ただ、魔王はもともとツインテール・フェチではない。そのため、どうしてそう思ったのかは自分でも分からなかった)
目を見開いた結菜は、続けてニコッ、と幼児のような無邪気さで破顔した。
「あ、あああ碧人君、な、なんか雰囲気変わったね。はあっ、はあっ……」
何気ない感じで彼女が次の言葉を紡ぐ。
「げげげげ、ゲームに出てくる、ままま『魔王』みたい」
魔王は吸った息を吐き出せずに凍りついた。思考が一瞬ストップする。しかし、流石は魔界を治めた過去を持つだけあって、行動は速かった。すぐに透視を試みる。
相手の正体を暴く技術である。
ヒューマンになったとは言え、この手の簡易魔術ならば可能だ。ただ、魔界にいた頃よりも暴き出す正体の解像度が落ちる。
もしも刺客ならば、結菜の顔の後ろに、暗殺者の顔が炙りだされる。
(……)
どれだけ透視に集中しても、結菜はヒューマン基準で美少女な女子高生のままであった。
「ど、どどどうしたの? 碧人君。わ、わたし……、良いこと言っちゃった? はあっ、はあっ……」
(良いこと言っちゃった? じゃなくて、変なこと言っちゃった? だよね、そこは)
そう。
結菜も早坂同様に空気を読むのが苦手なのだ。
本人は読んだつもりでも、読みきれていない。
「もう今日は、あ、あああ碧人君に会えただけでう、嬉しくてヘトヘトだから、か、帰ることにするね。はあっ、はあっ……」
とてとてとてと結菜は廊下を歩き去っていく。
(嬉しくてへとへとなんじゃなくて、ひき逃げされたからヘトヘトなのでは? そもそも車にひかれたらヘトヘトどころで済む?)
教室の窓から湿気を孕んだ風が吹き込んだ。魔王の前髪を嬲る。
ふと、記憶にない懐かしさが込み上げた。
不思議な感情であった。
◆◇幕間 結菜◆◇
帰宅し自室のカーペットで女の子座りの結菜は物思いに耽っていた。
復帰した碧人に会えた。それがこの上なく嬉しい。
彼は自分のヒーロー。わたしは忘れない……彼がわたしを助けてくれたことを。
ダンプに轢かれそうになった時、彼は恐怖に立ち向かい、その身を盾にしてくれた。まるで勇者みたいに。
ふと、記憶にない言葉が結菜の脳裏を掠めた。
『勇者の卵くん』
どうしてそう思ったのか、結菜自身にも分からなかった。
思考に耽っている際に、あ、ちょっとお尻を触られた気もする、と感じるも、何故か碧人相手なら笑って許せる気がした。まるで弟のおふざけみたいだ、と。
そういえば――、
(碧人君と目が合った時、彼はわたしの髪に触れようとした)
一瞬の出来事だった。すぐに彼は手を引っ込めた。
(わたしの髪を束ねようとした? おさげ? ……ツインテール? ひょっとして、この髪をツインテールにしたら……)
結菜はスマホ画面を鏡にして自身の髪の片側を束ねた。……悪くないかも。これが両方になる、と。
顔に血がついていることに真っ先に気づけよ、とつっこみたいところだが、血まみれが彼女の日常である。血ごときで彼女は一ミリも感情を動かされない。
(やってみよう)
部屋の窓から湿気の多い風が吹きこんだ。束ねた髪の先がゆらりと揺れる。
結菜は、自身の髪をきつく握り込む。
ツインテールの髪が、神々しく光っていることに、彼女は気づかなかった。
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