テラーノベル
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??「ねえ。」
誰かが呼んだ。
振り返る。
誰もいない。
??「ねえ。」
また聞こえる。
今度は私の後ろじゃない。
頭の中だった。
電車の窓に映る私は、瞬きをしなかった。
??「あなた、まだそこにいる?」
誰に聞かれたのか分からない。
私は曖昧に頷く。
窓の中の私は、ゆっくり首を傾げた。
⸻
街には「虚無さん」がいるらしい。
会った人は、自分を少しずつ忘れていく。
好きだったもの。
嫌いだったもの。
大事だった約束。
全部、「まあ、いいか」に変わる。
だから誰も探さない。
失くしたことさえ忘れるから。
⸻
帰り道。
赤信号の交差点で、白いパーカーの子が立っていた。
??「こんばんは。」
目が合う。
その子は私じゃないのに、私の声で話した。
??「疲れた?」
私「……少し。」
??「じゃあ、もうやめちゃえば?」
私「何を?」
??「考えること。」
優しい声だった。
優しすぎて怖かった。
⸻
それから毎日、その子は現れた。
??「今日はどう?」
私「分かんない。」
??「それでいいよ。」
??「何食べたい?」
私「分かんない。」
??「それでいいよ。」
??「明日は?」
私「分かんない。」
??「それでいいよ。」
分からない。
分からない。
分からない。
その言葉は、だんだん毛布みたいになった。
何も決めなくていい。
何も感じなくていい。
何者でもなくていい。
楽だった。
⸻
ある夜。
虚無さんは私に手を伸ばした。
虚無さん「もう空っぽだね。」
私「……そうなのかな。」
虚無さん「うん。」
私「じゃあ、私は誰?」
虚無さんは少しだけ考えて、小さく首を振る。
虚無さん「誰でもない。」
その答えに、なぜか安心しそうになった。
その瞬間だった。
胸の奥で、小さな音がした。
カチ。
まるで止まっていた時計が、一秒だけ動いたみたいに。
思い出した。
転んで泣いた日のこと。
友達と笑いすぎて息ができなかったこと。
誰かに「また明日」と言われて、うれしかったこと。
全部、痛かった。
でも、全部、生きていた証だった。
私は虚無さんの手を取らなかった。
私「ごめん。」
虚無さん「どうして?」
「空っぽは楽だけど。」
息を吸う。
胸が苦しい。
苦しいのに、ちゃんと息ができる。
私「私は、苦しいほうを選びたい。」
虚無さんは何も言わなかった。
ただ、少しだけ寂しそうに笑った。
虚無さん「ああ。」
「そういう人だったね。」
信号が青になる。
私は前へ歩く。
振り返らない。
でも、風が吹くたび、どこかで声がする。
虚無さん「ねえ。」
「疲れたら、またおいで。」
その声は、今でも少しだけ優しい。
鈴蘭 〜亀より遅い投稿頻度〜
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コメント
1件
読了しました……これは、静かに寄り添うようでいて怖い話ですね。「考えることをやめちゃえば?」という台詞が、あまりにも優しくて背筋が冷えました。カチ、と時計が動いた瞬間からの「痛いけど生きていた証」という選択が、読み手にもグッと響きます。虚無さんが寂しそうに笑って去っていくラスト、ああ、あれは「自分自身」が別れを告げたようにも見えました。連続ものなら、また彼女が風に乗って現れるのでしょうか……続きが気になります。