光が、まるで祈りの残滓のように
天井から降り注いでいた。
幾重にも連なるクリスタルのシャンデリアは
夜空から切り取られた星々を
そのまま閉じ込めたかのように眩く
ひとつひとつの灯りが揺らめくたびに
金糸の粒子が宙を漂うように輝きを放つ。
磨き抜かれた大理石の床は
乳白色の波紋を薄く抱き込み
足音が触れれば淡い光を返す。
天井高くまで伸びる柱は
白磁のように滑らかでありながら
繊細な蔦模様の彫刻が絡みつき
まるで華やぎと静寂が
同時に息づいているようであった。
その荘厳で豪奢な会場のざわめきが
ある一瞬を境に、すっと張り詰めた。
重厚な扉が、沈黙を纏うように
ゆっくりと押し開かれる。
その先から現れた、一組の男女。
たった二人が姿を見せただけで
空気がまるで流れを止めたように静止した。
ちいさく吸い込むような息だけが
あちこちから洩れる。
──あまりにも、美しすぎた。
先に歩み出た男は
深い夜を思わせる黒髪を腰まで伸ばし
それを一つに緩く編み込んでいた。
ただの黒ではない。
星の影を落としたかのような濡れた艶が
彼の一歩ごとに光を孕み
墨のようでありながら
銀の煌めきすら 孕んでいる。
その髪の結目には
細い銀の飾り紐がそっと絡められ
歩くたびに、控えめで上品な音を立てて
揺れた。
男が纏っているのは漆黒のタキシード。
だがそれはよくある礼装ではなかった。
ジャケットはやや長めに仕立てられ
裾は燕尾のように流麗に広がり、歩むたび
夜風が吹き抜けるかのような
優雅な曲線を描く。
襟元には細く織られた黒紫の絹
シャツは淡雪のごとき白。
ボタンは鈍い金で
小さな星を象った細工が施されている。
そして何よりも印象的なのは、その瞳だった
アースブルー。
冷たく凪いだ湖面を思わせる蒼でありながら
近寄るものの呼吸を奪うほどの
静謐な威圧を宿している。
その眼差しが会場をゆっくりと見渡すだけで
空気がすっと引き締まり
周囲のざわめきが
たちまち吸い込まれるように消えた。
男は、右腕を差し出していた。
その腕に
そっと左手を添えるようにして現れた女──
その姿こそ
場の空気を完全に支配した理由であった。
彼女は、まるで夜の静謐が
人の貌を取ったかのように美しかった。
黒褐色の髪は
光の加減で深紅を溶かした墨のようにも
見える。
丁寧に纏め上げられた髪は
首筋に沿って優雅な曲線を描き
後ろで小さく結い上げられている。
くすんだ闇色の中に
ふっと紅糸のような光が揺れるその髪は
控えめでありながら
絶妙な存在感を放っていた。
彼女のドレスは
ため息を誘うほど大胆であり
しかし一片の下品さも許さない
極めて洗練された仕立てだった。
背は腰まで大きく開いている。
けれどその切り込みは
ただ露出を目的としたものではない。
肌の白さを滑らかに浮かび上がらせながら
肩や鎖骨の骨格を無理なく整え
曲線美だけを巧みに強調していた。
職人技の極みとも言えるデザイン。
深く落ちる背中の曲線は、光を柔らかく掬い
遠目にも艶やかで
色気を静かに漂わせていた。
彼女が歩むたび
ドレスの生地が微かな波をつくり
黒と紅の狭間のような深い色合いが
音もなく揺れた。
ボディラインは決して過度に締め付けず
それでいて柔らかさを引き出す仕立て。
胸元は控えめに
だが優雅な曲線で包み込まれ
ウエストは繊細に絞られ
裾へ向かって滑らかに広がっていく。
素材は極上のシルクサテン。
たっぷりとした光沢を持ちながら
決して主張しすぎず
纏う者の静けさを際立たせる。
ヒールの音は一つも響かない。
会場が
あまりにも静まり返っていたからではない。
彼女の歩みが、驚くほど流麗で
まるで足が床に触れることなく滑るように
進んでいるように思えるためだ。
鳶色の目は伏せがちで
睫毛の影が頬へと落ちる。
その表情は慎ましく
気品と儚さが同居していた。
だが歩むほどに
彼女から放たれる圧倒的な存在感は
場にいる誰もが
否応なく感じ取らずにはいられなかった。
──美しい。
誰もが心のどこかで
ひそやかにそう呟いていた。
男は優雅な足取りで彼女をエスコートし
二人の歩みは見事なまでに調和していた。
歩幅も、速度も、体の角度までもが
ぴたりと揃う。
あまりの統一感に、二人が一枚の絵画から
そのまま抜け出してきたのではないかと
思えるほどだ。
緩やかに揺れる黒髪の男と
静謐な艶をまとった女。
夜の深淵と、月の光の筋が出会ったような
濃淡の美しさが並んでいる。
その対比は鮮烈で
しかし目を奪うほど見事に調和していた。
豪奢な宴の装飾も
煌びやかなシャンデリアも
名だたる貴族や大富豪の衣装も
その瞬間
この二人の前では脇役にすぎなかった。
彼らが歩む先の空気は
まるで紅海のように静かに割れ
視線が磁石のように吸い寄せられていく。
ただの入場。それだけ。
それだけなのに、誰もが息を呑み
視線を奪われ、言葉を失った。
荘厳なパーティー会場は
その二人の存在を中心に
静かな軋みを立てながら
ゆっくりと回り始めた。
二人はただ歩む。
優雅に、冷ややかに、夜の気配を連れて。
そして会場は、その歩みのすべてを
飲み込まれたように──見つめ続けていた。
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