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四鹿(よつしか)跡永賀(あとえか)の朝は早い。
というのも、隣室からの打撃音で否応なく目が覚めてしまうからだ。
「またか」
イライラで頭を掻き、短い髪が揺れる。跡永賀は早々に廊下を渡り、件(くだん)の部屋のドアを開く。そこから漂う悪臭には、悲しいことに、もう慣れてしまった。
「壁殴るのやめろって何度言えばわかんだよ、この豚野郎!」
「ぶひぃいいいいい!」
そこにいたのは、肥満体型の男だった。四鹿初無敵(そんてき)、跡永賀の兄である。十代後半だが、その肥えに肥えた体と、油ギッシュな肌と髪で、見た目はすでに中年の様相である。
「だ、だってね、アット。こいつがボクティンの嫁をね……」
太い指が差した先には巨大なテレビがあり、高画質の映像が流れていた。
「またアニメの主人公に嫉妬かよ」
何のことはない、ごくありふれたラブコメがそこでは展開されていた。典型的なイケメン主人公と美少女のやりとりである。
「深夜アニメの昼夜逆転生活も、アホみたいに高いアニメの有料放送にも文句はつけないけどよ、一々そんなことで叩き起こされる身にもなれよ。こっちには学校があるんだからさ」
すっかり汚れ曇った窓からは、まだ日は見えない。深夜と黎明の狭間だ。老人でさえ布団の中であろうこの時刻に、なぜニートのごくつぶしに叩き起こされねばならんのか。
「くそっ……また壁を殴っちまった」
言っているそばから、また壁を叩く兄。彼にとっては、弟の会話よりこちらの方が優先される。録画しているため、見逃しても問題はないはずなのだが、『放送そのものを楽しむことが大事』ということだ。
サブカルチャーに疎い――初無敵と比べれば、誰でもそうである――跡永賀にとって、その深みにある兄の言葉は、日本語であるはずなのに理解できないことが多々あった。
「それより、用が済んだなら速く出て行ってくれないか。ボクティンも暇じゃないんでね」
「毎日が日曜日の奴が何いってんだ」
「あーくそ。やっぱこの声優だめだな。声に処女らしさがない……っと」
跡永賀をそっちのけに、初無敵はテレビの横にあるディスプレイ、その前に置かれたキーボードをカタカタ叩く。なんでも、アニメをネット上で実況しているらしい。同じようなことをする人が何人もいるらしく、それゆえ盛り上がり、連帯感が生まれるんだそうな。社会で盛り上がれず、連帯できない人間のすることではない。