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タクシー乗り場に向かいながら、みなみは前を歩く彼の様子を窺っていた。この後の山中の行動が気になって仕方がない。これまでのことを思い返した時、普段の彼であればきっと、みなみを一人で帰そうとはしないだろう。しかし今夜は、みなみがタクシーに乗るのを見届けて終わるような気がしていた。店を出てからの彼はずっと、何事かを考え込んでいるように見えた。その何かは、店で会った女性に関わることだと、みなみの勘が告げている。
山中が不意に足を止め、みなみを振り返る。
「色々ごめん」
みなみは彼に近づき、そっと訊ねる。
「どうして謝るんですか?」
山中は左右に目を泳がせていたが、意を決したような真顔となってみなみを見る。
「もう少し、時間はある?話しておきたいことがあるんだ」
通り添いに並ぶ様々な店の灯りが、山中の顔を照らし出す。その表情は、食事を終えて店を出たばかりの時よりも和らいだものになっていた。
そのことにほっとしながら、みなみは頷いた。そして、自分も当初から考えていた通り、タイミングを見図らって彼に気持ちを伝えようと改めて心を決める。
「じゃあ、俺の知ってる店に行こう」
彼はみなみを促して歩き出した。数分ほど歩き、繁華街の一角で足を止める。そこは木目調の分厚い扉の前だった。
山中が開けたドアの上で、ベルがレトロな音を鳴らす。彼の後に続いて足を踏み入れた店内は全体的に暗めで、所々に間接照明が置かれていた。平日の夜だからなのか、客の姿はまばらだ。
一人の男性店員が山中に気づいてやって来た。
「いらっしゃいませ。お一人ですか。あれ?」
「二人なんだけど、大丈夫?」
山中の言葉に店員が目を見開いた。
どうしてそんなに驚いた顔をするのだろうと、みなみは不思議に思った。そう感じたことを表情には出さず、山中の背後で大人しくしていると、店員に声をかけられた。
「いらっしゃいませ」
にこにこして自分を見ている彼に戸惑いながら、みなみはもじもじと挨拶を返した。
「こ、こんばんわ」
「奥の方のお席にご案内しますね」
店員は山中とみなみを先導して、奥まった場所の丸テーブルに案内した。周りには座り心地が良さそうなソファが三つ置かれている。
二人が腰を下ろしたのを見てから、店員はおしぼりやナッツの入った小皿をテーブルの上に並べた。小脇に挟んでいたメニューを山中の前に置く。
「お決まりになったら、お声がけください」
店員はみなみにもう一度笑顔を向けると、軽く一礼して去って行った。
彼の後ろ姿を見送っていた山中は、ため息を一つついた。それから気を取り直した様子でメニューを開き、みなみの前に置く。
「まずは飲み物を頼もうか」
「はい」
みなみはメニューに目を落とした。今夜はもうアルコールはいらないのだが、と思いつつ、メニューを眺める。
「私はこれにします」
「ノンアルコールカクテル?これでいいの?」
「はい」
「俺は、一杯だけ飲んでいいかな」
「どうぞ、何倍でも。遠慮なさらず」
「あはは。ありがとう」
心ここにあらずといった乾いた声で彼は笑う。カウンターの方に体を向けて、そこにいた先ほどの店員に向かって片手を上げた。
滑らかな動きで店員がやって来る。
「お決まりですか」
「これと、これを」
「かしこまりました」
注文を取り終えて立ち去る間際、店員が山中に意味ありげな視線をちらりと向けた。
山中本人はその視線に気づいてはいないようだったが、それを見てしまったみなみはその理由が気になった。
カウンターに戻った店員は、今の注文分のドリンクを作るためか、忙しそうに手元を動かし始めた。
店に入った時から、店員と山中が顔見知りらしいことには気づいていた。しかし、先ほどの店員の視線はただそれだけの関係とは思えないようなものだった。まさか妖しい関係だとは思わないが、あの視線にはどんな意味が込められていたのだろうかと考え込みながら、みなみは店員の動きを眺めていた。
彼がみなみの視線に気がついた。
にっこりと笑いかけられて、みなみははっとした。慌てて彼から視線を外した時、山中のぼそりとした声が聞こえる。
「あの店員が気になる?」
「いえ、そういうわけではなく」
山中とどういう関係なのか、訊ねてみても構わないだろうかと迷う。
「あの店員さんとは……」
言いかけたところに、第三者の声が飛び込んできた。
「店員さんって、俺のこと?」
みなみは驚いて顔を上げた。
そこには、今話題にしようとしていた例の店員が笑顔で立っていた。
「なんだよ、匠。俺のこと、まだ彼女に話していないのか?」
みなみはどきりとした。「彼女」という単語を、店員は単なる三人称として使っただけだと分かってはいるが、その響きに特別な意味を感じてしまった。
山中は店員の言葉にむすっとした顔で返す。
「接客用の言葉遣いはどうした」
「お前相手なら別にいいだろ」
あははと笑って、店員は二人の前にそれぞれドリンクを置く。
「こちら、ご注文のお飲み物です。それと」
彼はいったん言葉を切り、みなみの前にスイーツが乗った皿を置いた。
「当店人気のデザート、ティラミスです。サービスだよ」
「あ、ありがとうございます」
みなみは礼を言ってから、おずおずと訊ねる。
「私にだけですか……?」
店員は頷く。
「こいつは甘いものが苦手なんだよ」
「そうなんですね」
山中が顔をしかめて店員に言う。
「もういいから仕事に戻れよ」
「そんなこと言うなよ。彼女とは初対面なんだから、自己紹介くらいさせてくれたっていいだろ」
仕方がないとでも言うように山中は肩をすくめた。
「手短にどうぞ」
「はいはい。ということで改めまして。俺は匠の親友で、ここのオーナーやってる築山慎也って言います。よろしくね」
山中は顎の先で築山を追い払うような仕草をする。
「慎也、もう終わり」
「早っ。もう少し彼女と喋りたいのに」
築山は不満そうな顔をした。
しかし山中は彼を軽くあしらう。
「向こうのお客さん、お前に用があるみたいだぞ」
築山は呆れたように苦笑する。
「分かった分かった。邪魔者はさっさと消えろというわけね」
築山は立ち去りかけたが、足を止めてみなみに微笑みかけた。
「匠って、色々と分かりにくい所があるけど、真面目でいいやつなのは間違いないから。こいつのこと、よろしく頼むね」
築山の言葉に胸の奥がつきんと疼く。自分は山中のことを頼まれるような存在ではないのだ。
山中は築山に苦笑を向ける。
「お客さん、待たせていいのか」
「分かってるって。あとはもう邪魔しないから、用があったら呼んで。――それではどうぞごゆっくり」
築山は仕事用らしいきりっとした笑顔で一礼し、彼を待つ客の席へと足を向けた。
山中がはあっとため息をついた。申し訳なさそうな声で言う。
「賑やかなやつでごめんね」
「いえ、ごめんだなんて、全然。とても気さくな方ですね。補佐の親友の方、なんですか」
山中は苦笑する。
「親友と言えば親友かな。俺の事を一番よく知っているのは、たぶんあいつだろうから」
それを聞いて、みなみはふと思った。築山が山中の過去を知っているとしたら、先の店で遭遇した女性のことも知っているのだろうか。そうであれば、山中とどういう関係なのか、訊いたら教えてくれるだろうか。しかし、本人の知らない所でこそこそと嗅ぎまわるような真似はするべきではないと、みなみは慌ててそれらの考えを振り払った。
「ひとまず乾杯でもする?」
「そ、そうですね」
みなみは山中とグラスを掲げ合い、美しい色合いのノンアルコールカクテルに口をつける。冷たい液体が喉の奥を伝っていくのを感じながら、山中の様子を窺う。山中の話を聞く前に、決心が揺らぐ前に、気持ちを告げようとみなみは姿勢を正し、唇を開く。
しかし、山中が話し出したのは、みなみよりも数秒ほど早かった。
「食事をした店でのことなんだけど……」
みなみはごくりと生唾を飲み込む。あの女性のことを話そうとしているのだと悟り、息を殺して山中の次の言葉を待った。