基本的に、会社とは、無法地帯だと広岡才我は考えている。
それなりに秩序とルールの保たれた場所ではあれど。転職回数が五回の広岡は、様々な人間を見てきた。
一時間毎に二十分間喫煙をする上司の下で働いたときは、火急の電話がばんばんかかってくるので、喫煙室へと直行し。
美人だな、と思う先輩のデスクには鏡が置かれているのを知ったときにはすこし複雑な気持ちになった。ナルシスト、とまでは言わないが。
毎日十五時にメイクを落とし、スキンケアをし、一時間かけてメイクをするひともいたし。敏感肌なのだろうか?
或いは、斬新な髪型にして上司に怒られてカットをやり直して貰った先輩もいた。会社とは、動物園みたいな場所だ。
広岡の知る限りでは、なんと、入社して半日で退職した強者もいる。社風が合わないと感じたらしい。
だからなおのこと、ひとは財産だと思った。
誰でも簡単に辞める。ならば、ひとが安心して働ける、定着する職場環境を作るのも自分の役目のひとつなのだと。
今回、鷹取からメールを受けて、広岡は迅速に動いた。一日に二百〜五百通を超えるメールをチェックする彼が鷹取のメールに対応したのがお昼前。先を見越して、ラブメイクチームの一角に席を作った。
前野は副作用の強い薬を飲んでおり、しばらくは様子見をすることにした。注意するのは簡単だが、前野とて一年この会社で働いてきたのだ。彼とてプライドがあり、自負心もあるだろうから、下手に刺激せず、次の面談のときにそれとなく、体調はどうなのか聞いてみようと判断した。いずれにせよ火急の案件ではない。
ここちよくカンパニーの就業規則は、さほど厳しくはなく、服装も自由だし、金髪の社員もいるくらいである。念のため、今回対応する前に、就業規則に目を通したが、ノーワーク・ノーペイの原則についての記述は見当たらなかった。
厳しい会社だったり、また、その社員が派遣社員だったりすると、注意を受けたり、契約であれば更新を見送るケースもある。ここちよくカンパニーは、酒気を帯びた勤務は禁止しているが、特に、これといった禁止事項はない。なので前野はルールに救われたかたちだ。
おそらく、鷹取は、面白くないと感じてはいるだろうが……、ともあれ、会社はひとつのコミュニティなので、時には、見て見ぬふりをすることも大事だったりする。
やらかしたひとに注意をするのはひどく簡単だ、しかし、そのひとのプライドを傷つけたり、調和を乱してはならないときもある。
よく言えば、鷹取は周りが見えているが、一方で、同じ職場で働く仲間に厳しい目を向けている節がある。そこはいずれ、本人も、気付くことであろう。
堅苦しい話はさておき。……そんな鷹取のことを好意的に見る自分がいるのも事実だった。
鷹取は、前職を退職して二年が経過しており、スキルや経験は申し分ないが、やはり、ブランクのある点は気になった。本人曰く、コロナ禍でストレスが溜まったとのこと。
鷹取は入社当初は体調を崩す様子も見られたが、三ヶ月もすれば安定した。短時間勤務ではあるが、急ぎの仕事を定時までして貰うことも多い。立派な戦力だ。
あまり知られていないが、厚生労働省は、43.5人以上の従業員を雇用している民間企業に対し、障害者を一人以上雇うようルールづけている。障害者の法定雇用率は2023年7月時点で2.3%。社員が120人いれば2人以上雇うのがルールである。
ここちよくカンパニーの広岡が課長職を務める一課には二十名あまりのメンバーがおり、うち障害者は二名。少なくはない数字である。
一口に障害といっても様々であり、身体障害や精神障害などがある。ここちよくカンパニーはバリアフリーではあり、他の部署に車椅子の社員もいるが、実情は、精神障害者を雇うことが多い。
お客様の会社の環境をよりよくするミッションがある以上は、お客様と折衝するフロント役が必要であり、他方、バックオフィス部門も必要である。地道で単調なペーパーワークは高いスキルを要するというほどではないし、であれば障害者を雇って任せる……広岡の会社はそのように考えているようだ。なので、身体障害者よりかは、精神障害を持つ者が多い。
鷹取があそこまで言うとは、相当ストレスを溜め込んだ証左ではあるし、そこは急ぎ対応する必要はあったが、ともあれ、その後の様子を見ているとどちらとも、平和に仕事をしているようである。
管理職を務める人間としては、極端に誰かの味方にはなってはならないとは思っているし、誰かに肩入れするのも禁物と、広岡は自らに命じている。
然れども、そんな原則も、たったひとつの、純粋に、ひたむきに誰かを想う気持ちの前では塵芥と化す。社会人経験の豊富な広岡であっても、そのことは無自覚であったのである。
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「広岡さん。今度みんなでキャンプ行くって話出てるんですが、いかがですか?」
普段であれば、そんなお誘いは必ず断っている。
が、提案した社員の横には鷹取がいた。ふと、……自分と同年代であるが、しかし花のような可憐さを保つ彼女に興味が湧いた。彼女は広岡の視線に気づいたらしく、
「うちは、子どもと夫を連れて参加するんです。……広岡さんも是非」
その、花のような笑みにやられたのかもしれない。気づけば、広岡は、車を出す役割まで担っていた。
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