第2章 未来はきっとよりもっと
何年経ったのだろうか。
朝日が照って顔にあたり、朝まで寝てしまったことに気がついた。
夜には大抵いつも起きていると言うのに、その日は寝過ごしてしまった。
「……」
私は、ぴったりとした衣服を直して、いつものようにドアにあいたご飯窓(自分でそう名付けた)に行くと、ちょうどクーが来てくれた。
「おはよっ!ゾラ!」
おはよう、と、クーがくれた本に載っていた手話で返した。
クーも同じ本を持っているので、手話が分かる。クーは私のために、手話を覚えてくれたのだ。
するとクーが小さな声で、
「ゾラ、14歳の誕生日おめでとう。本を三冊買ってきたよ!プレゼント!!!」
あ、今日、誕生日か。すっかり忘れていた。クーが声を潜めた理由は、プレゼントなんて父や母が知ったらすべてとられてしまうからだ。
ありがとう、とまた手話で伝える。
クーはニコッと笑い、
「じゃ、これご飯。またね!」
そういって廊下を歩いていった。缶詰は、いつもと同じものではなかった。しかも、二つある。クーからの手紙がはってある。
『誕生日おめでとう。お父さんたちには内緒にしてね。ゴミにはいつもの缶を出すんだよ。』
缶詰を見ると、いつもはツナ缶だが、それに加えて「ケーキ缶」があった。ふぅん、最近はこんなのもあるのか、と缶詰を見つめる。甘くて、とっても美味しかった。私は、幸せだった。
クーが買ってきた、本を読む。
とても貧しい家に生まれた子供の話だった。なんとなくしか読まなかったけど、ご飯もあるし、私は恵まれているのだな、と思った。
陽の光の暖かさに身を包んで、1時間くらい寝た。
サッカーをする声が聞こえる。ぼうっ、とその声を聞く。
…サッカー?
まさか、と思って窓の外をみる。それから窓に駆け寄って目を凝らす。
あれからずっと、一度もあの子達が遊んでいるのをみていなかった。
大きくなっていた。
どこか懐かしかった。
しばらく見つめていると、あの子がこっちを向いて走ってきた。
「え、…!!?」
!?
はっと口に手を触れる。
声が出た。聞きなれない自分の声だった。今日で確か12年たったのか、と思った。
あの時のように、目の前にあの子が来た。
身長がすごくのびていた。可愛い目は少し大人っぽく、でも同じ様にキラキラ輝いている。金髪も、同じ様に風になびく。
太陽が、降り注ぐ感覚に、私は少しどきりとした。
「キミ、名前は?」
ノートを取り出そうとして、ポケットに戻した。
「あっ…えっと、ゾラ。」
聞き慣れない自身の声が、淡く響く。
「可愛い名前、素敵だ。俺はリアム。あのさ、一緒に遊ばない?」
彼の声は、溶けそうに響く。
私はぶんぶんと首を横に振る。
「ううん、いいの。」
私はゆっくりと言う。
リアムは少し口角をあげる。
「そっか。…ねぇ、なんでこんなとこにいるの?」
その子は少し聞きにくそうに言う。
私は、なにも答えなかった。
リアムはドアのテープを見つめる。
「出たくないの?ここから。」
こくん。
一回だけ返事をする。
もう少しで自分が殺される、そうだ、父と母の声を聞いてから十年たつのだ。
きっと逃げられない。
逃げて、追われる人生なんて嫌だ。
darknessはいつも人を殺す。
NOAの言うとおりに人を殺す。命令は絶対だから、どこまでも追いかける。
何が目的なのかは息子が親からdarknessを受け継ぐときに教えてもらえる。
引き継ぐまではdarknessは死なない。ノアが守っているからだ。だからdarknessを殺す前にノアを殺す必要がある。
ノアの殺しかたはきっと、またあの部屋に落ちなければわからない。何回も落ちるか、何回もあの記憶をたどるか。
darknessの仕事は、今のところ人を殺す以外に仕事はないようだ。
いつも聞き耳を立てて母と父の会話を聞いている。
「そこからでたらいいのに。そとは楽しいよ?」
リアムがにっ、と笑ってピースする。
「…そうかもね。」
だけど、だけど。出たくない…の?
あのお姉さんを殺した、darkness家を、潰すためになら…出てもいいんじゃないか?
「やりたいこと、やっぱ、あるでしょ。」
はっと顔を上げる。リアムがニッと笑う。
「やっちゃわないと。知ってた?人生って、一度きりなんだよ?」
とっくに知っている。それを大切にすべきなのかは別としても。
「知ってる。」
私は表情を変えずに呟く。
彼は笑う。
「じゃ、やっぱり、やりたいことしたくない?や、しちゃおうよ!」
…………どうやって?こんな世界で、どうやって?こんな私が…
「どうやって!!?」
リアムはびっくりしていた。それはきっと、私が突然大声を出したからだ。
「…」
黙っていたリアムが、笑った。
「こうやって。」
リアムはぴょんと割れた窓から中に入ると、また外に飛び出た。それは簡単な行為だ。リアムも簡単にやりこなす。私でもできるはずだ。でも、できない。
そしてもう一度笑って、走っていった。
そうやっても、生きていけるのだろうか。私は、食べていけるのだろうか。
……まだまだ、準備不足だ。
私は、darknessの情報を集めた。
毎日毎日遥と蛍の話を盗み聞きして、(たまに遥の独り言も)分かったことがあればノートに記録した。あっという間に一冊はパンパンになった。
ただ、誰を殺した、誰を狙う、そんな会話だ。それだけではない。そとは、世間は、今どんなものかも情報を集める。野宿もできそうな町だと悟る。
壁に耳を押し当てる日々は、意外と楽しかった。
そして、筋肉をつけたかったから、たくさんトレーニングをした。1ヶ月も経つと、前よりはるかに強くなった。
いまなら……!!!
顔を上げると、優しい風が頬を撫でた。
キャンディの鞄を取りに行くと、割れていない方の窓に真っ赤な瞳が映る。
クーがとってきてくれたビニール袋に本を詰め込む。荷物をまとめる。
衣服と一緒にあの頃から置いてあったヘアゴムで、髪を結ぶ。
窓の縁にたってみると、割れたガラスが足を痛め付けた。
構わない。
一度大きく息を吸う。私は、窓から飛び降りた。草に、足が触れるまでの時間はとても長かった。色々なことを思い出した。閉じ込められたときのことは、一番鮮明に覚えている。あれからのことはしっかりは覚えていないが、閉じ込められたときのことは忘れることができない。
あのときのお姉さんの事。大好きな町並み。ぶつかった事さえ。
足の裏に電流が走るような、感覚。こそばくてクスッと笑いたくなる感覚。
頬が濡れる。細く雨がふりはじめて、同時に涙が出た。これまでためていた涙が。
乾いた土に水が溢れるように。
開花を我慢していた花が開くように。
心地よかった。自分の流す涙がなんのためなのか、誰のためなのか、それはよく分からなかった。
かかとまでしっかり足の裏がついた。私は同時に走り出した。
涙はじきに乾いていった。私が走っていったのは公園だ。それまでの庭はゴツゴツしていた。リアムの姿を見つけた。
「…リアム!!」
叫んだ。大きな声で、叫んだ。
「…!?」
リアムは私の方向に走ってきた。私の2倍は速かった。
「出てこれたんだ…すごいね!!!」
「リアム、手伝ってよ。」
流れる涙を、とめることはできなかった。
「分かった。何をするのが目的なのか分からないけど、頼まれたことはする。」
リアムは真剣な顔でこたえた。
「ありがとう。」
私は笑った。
「おめでとう。今日は外に出られた、記念日だ。」
リアムはにっこりと笑って言った。
「そうだね。ありがとう。…あのさ。」
私は恥ずかしさを隠しながら言う。
「どうしたの?」
「家に空き部屋とか、ある?」
リアムが、急に顔をそらした。
リアムが隠したその表情はくもっていた。
「…ごめん。俺の家…部屋とかないし。」
「え…。」
部屋がない。そんな家も、あるんだ。
私は呆気にとられた。
「あ、家にはさすがに上がらせてもらえ…」
ないよね、と言うより先に、
「俺の家、その、洞窟だから。」
……!?洞窟…。まあ、住めるところがないよりましだ。
「洞窟に、住まわせてくれる…?」
恐る恐る尋ねる。
「おいで。」
リアムは私の手をとった。そのまま、道を歩く。
「フルネーム、何て言うの?」
リアムが私に向けるのは、にこやかな笑顔。
「ゾラ・ホール・ヘミングウェイ。」
同じように笑ってみる。
「ふぅん!一応知っておかないとって思ったんだ!俺は、リアム・マーシャル・クレメンズ。よろしくね!」
リアムの“家”は立派な洞窟だった。山の下にあって、家からは遠かった。湿っていて、露が時々落ちてくる。それでもなぜか居心地がよい。空気が澄んでいるのを、初めて感じた。静かな空間だ。
「俺の特技は、自然のものでものを作ること。木とか石を使う。刃物には鉱物をとってくるんだ。今ためてるけど。なんでも作れるよ。」
「え!?ほんと!?じゃあ、剣作って!」
「え、なんで?」
言ってしまってからはっとする。
リアムの顔が凍る。急にそんなこと言うと…。
「その、やりたいこと、あるから。」
リアムは私を見つめた。
………
長い沈黙が続く。
「分かった。作るよ。切れ味も最高にしておいてあげる。」
リアムは、にこ、と歯を見せて笑った。
「ほんと!?ありがとう!」
「それくらいなら今からでも寝るまでには完成するよ。」
外をみると、空は赤く染まっていた。
「よろしく!」
リアムの剣は本当に夜までに完成した。切れ味もすごく、くぬぎの木を一振で切ることができた。
「えっ、すごい!」
リアムの方へ、パッと振り向く。
リアムはなぜかひきつった表情を浮かべる。
「や、ゾラの腕力…すごいな。」
「あ、ありがとう!申し訳ないんだけど、これは作れる?」
私はさっきかいた設計図を取り出す。
それは、柄が真ん中にある刀。
「…言ったろ?なんでも作れるって。」
笑いがこぼれた。
「あはは、ありがとう。」
「…寝ようか。」
リアムが言った。
「うん。」
たくさん、たくさん話をした。
話すことは、楽しかった。
これまでで一番楽しい夜だった。
朝起きると、枕元に頼んだ剣がおかれていた。
「うわぁ!すごい!!」
頼んだもの、そのままだった。
「ありがとう!」
勢いで言ってしまったが、リアムはまだ寝ていた。
徹夜で作ってくれたのかな。
そこに、もうひとつ何かがおかれていた。木の箱に入っていた。
開けると、かわいい時計が入っていた。木でできている。これほど嬉しかったことは、今までに一度もなかった。
「あ…、おはよう。」
リアムが起きたのは午前5時過ぎくらいだった。
「おはよう。ありがとう、この剣。それと、時計。」
「あ、うん。」
リアムがふわぁとあくびをした。
「…これからどうするの?」
リアムに聞いてみる。
いつもは何をしているのか、とても気になった。
「んー。今日は疲れてるでしょ。だから、のんびり散歩でもしよっか。」
「散歩!?やった~!」
と、そういいながら動きたくもないほど疲れていた。久しぶりに外に出てみると、呼吸をするだけでもなかなか疲れる。
「まあ、ご飯作るから待ってて。2時間あれば作れるよ。今は…5時か。いつも何時に朝御飯食べてた?」
「…え~と…あ、8時くらい。」
本当のところ、朝昼夜兼用で12時に食べていた。あまり心配されたくなかったので、昔の記憶を脳のおくから引っ張り出してきて、8時と伝える。
「なら、間に合うね。よかった。じゃ、行ってくる。」
「どこに!?」
「?狩りにだけど。」
狩り…かっこいい…。しばらくポカンとしていた。
「…どうしたの?」
「あ、いや……一緒に行きたい。」
「えっ。い、いや、危険だよ!?」
それは十分に分かっている。
「怪我、してほしくないんだ。」
リアムが言った。
「…そっかぁ。また行けるくらい強くなってからにしよう!」
「うん。それじゃ、行ってきます。」
リアムは笑って洞窟を出た。
1時間後、血にまみれたリアムが帰ってきた。死んだ鹿と共に。
「…え!?」
「ただいまぁ。」
リアムは呑気に答える。
「え…ち、血が!」
「ああ、今日は派手にやられちゃった。」
そういってタオルを手に取ると、鹿をどすっ、と置き、体を拭き始めた。私はビビって硬直していた。
「ん?どうしたの?」
「え、怪我大丈夫?」
リアムは二つのくるくる丸い大きな目を更に丸くして、それから笑い始めた。
「あはは、これ、返り血だよ。」
「え?返り血?」
「そ、これ、鹿の血。跳ね返ったってこと。」
なるほど…。それを見て私は騒いだのか。バカらしい。それを聞くと、ほっとするのと同時に恥ずかしさがこみ上げてきた。
「よし、すぐに準備するから待っててね。」
「ねぇ、リアム。リアムは今何歳なの?」
料理をしている沙羅瑠に声をかける。
「うん?18だよ。」
16くらいと思っていた。
「ふうん、私は14だから、4歳はなれてるんだね。」
「ゾラはまだ14なのか。」
リアムが山菜を切りながら言う。
「うん。」
何分か経った。お腹がすいてきた。
「よしっ、出来たよ!」
出てきたのは鹿肉の唐揚げと山菜サラダだった。
山菜は苦いものも多かったけど、わさびを唐揚げにつけると美味しかった。唐揚げの肉は、とても固かった。
だけど、これでも柔らかくしたんだよ?とリアムは笑った。
料理を食べたあと、リアムは町へ降りていった。そして、私はそとに出て遊んだ。
怪我をした鳥がいたから、洞窟まで連れて帰ってリアムに診てもらうことにした。
自然と次々に動物がよってきて、熊に遭遇したときも熊は襲ってこなかった。それどころか腹の上で寝かせてくれた。暖かくてふわふわだった。
鹿も猪もみんな私の周りに集まっていた。私は晴れ晴れとした気分に包まれた。爽やかな風が吹く。なんだか楽器を吹いてみたいと思った。今度沙羅瑠につくってもらおう。
何時間経っただろう。
「ゾラ!」
という声が聞こえて目を開けると、遠くでリアムが目を丸くしてこっちをみていた。
「ど、どうしてそいつらと…って、わあっ!!」
一斉にみんながリアムに襲いかかっていた。
「っ…ゾ、ゾラ、とめて!」
「あ、うん、みんなストップ!その人はいい人だから!」
みんなこっちをみて、それから戻ってきた。
「ゾラ、こいつらって、みんなそれぞれの動物の王様だよ?普通仲良くなんて無理だよ!」
リアムがよほど驚いた顔で此方を見る。
「え…皆からよってきてくれたよ?この子達いいこだ。そうだ、怪我してる子もいたから、手当てしてあげないと。」
リアムは口角をあげた。
「……そっか、ゾラの優しさがみんなを引き寄せたんだね。」
リアムはにこりと笑った。
「ねえ、ゾラ。手当てをしようか、その鳥でしょ?」
「うん。そうだよ!」
私は、沙羅瑠と一緒に鳥の手当てをする。すぐに直せた。その鳥が飛んで行く姿は、美しい。
なんと神秘的な光景だろうか。
本には出てくることもあるような光景を、私はみていた。まるでそれは夢のようだけれども、夢ではないことははっきりと分かる。夢かもしれない、そう考えるのは夢でないときだけなのだろう。
私は一度もこんなにきれいな世界には触れずに老いて死ぬ気がしていた。
小さい頃からそうだった。
思えば、ずっと夢を捨てていた。
帰ろうとすると、動物はみなすぐに去っていった。少し寂しかったけど、私はすごく気持ちがいい。
リアムは私の手をとり、走った。だから私も、家へ走った。涼しい風がふきぬけていった。
「ねぇ、リアム、お願いがあるの。」
私の声がまた淡く聞こえた。
「どうしたの?」
リアムの目は綺麗だ。
「帰ったら、私に笛を作ってくれない?」
少し照れ臭いな。手を弄りながら言う。
「…任せな!」
未来は想像よりももっといい世界だった。
何よりもキレイなその世界は、儚いものだった。