テラーノベル
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今日は朝から雨が降っていた。陽が落ちた現在もしとしとと降り続いている。
TV局が手配したダンススタジオの二重窓に小さな雨粒が打ちつけては流れ落ちていき、ガラス越しに映る仁 人の姿をゆがみ滲ませた。
雨の日は憂鬱になる。体調も崩しやすくなるし。
仁 人はため息をつきながら鏡の前に立った。
「……遅いね、主演の人」
暇潰しに曲を流し身体を上に伸ばす。そのまま横に流れてターンをすると、ワイドフレアパンツの裾が足の動きに合わせて綺麗に翻った。
今日は代行レッスンを急遽頼まれてスタジオに来ている。
主演俳優に、ドラマの役作りのためにジャズを教えて欲しいらしい。
前もって打診されていたら断る案件だが、前にヒートで体調を崩した時に代行してくれた人の頼みだったのもあり、一回だけならと引き受けたのだ。後はまた元のインストラクターに引き継げばいい。
スタジオの隅で待機していた柔 太朗は、やや厳しい顔つきをしていた。
「よっしー、スケジュール管理の甘いタレントなら、レッスンを中止してもいいんじゃない?」
厳しいな。と仁 人が苦笑すると、柔 太朗は苦い顔をして黙った。
「一応遅くなる連絡はあったし。忙しいんでしょ。もうちょっと待っ……」
言いかけたその時、防音扉が不意に開いた。
「すみません! 前の撮影が押してしまって――」
男性マネージャーと共に滑り込んできた男が、息を整えながら顔を上げる。
その瞬間、仁 人の視界が白く弾けた。次に追いかけてくるαのフェロモンに包まれて力が抜けていく。
「ふっ……あッ、かはッ」
「仁 人っっ!!」
急激な心拍の上昇と眩暈に襲われ仁 人は膝をついて嗚咽した。初めての反応に柔 太朗も驚き声を上げて仁 人を抱え込む。
「あの、どうされましたか」
「すみません、ちょっと外に出ていてください」
「ちょ、なんですか」
「後で呼ぶので!」
心配そうに声をかけるマネージャーに目を向けると、柔 太朗は即座に立ち上がり二人をドアの外へと押し出した。
驚くほどの力強さで成人男性二人を追い出し、重厚な扉が閉まる。
マネージャーは呆然としてドアを見つめた。
「何が起こったんだ……」
◇
「仁 人っっ!」
二人を外に出した柔 太朗は、身を翻して仁 人の元へと駆け戻った。
膝をつき、肩を上下させて短く息を吐く仁 人を抱き寄せ背中を撫でる。
心拍と体温の上昇。ショックで目線が定まらず指先が震えているのを見て、落ち着かせるように手を握りしめた。この状態はヒート期に良く似ている。
先程スタジオに入ってきたαに影響を受けてしまったか。
今まで出会った中で、一番と言っていいほどの圧倒的なαのフェロモンだった。
無防備なΩなら飲まれてしまっても仕方ない。
しかも、あのα……。
柔 太朗の中でデータが組み合わさっていく。しかし、仁 人の苦しそうな呼吸音にモードが瞬時に切り替わった。
「はッ、はッ、はッ」
「仁 人、大丈夫、落ち着いて、ゆっくりでいいから、息を吐いて……」
静かな声かけに仁 人は頷きながら、ふぅぅっと長い息を吐く。
柔 太朗の膝に顔を埋めながら何度か繰り返すと、揺れていた視界が正常に戻っていった。
「はぁ……っ、はぁ、ありがと柔 太朗。もう大丈夫」
「うん、脈も落ち着いてきたね。凭れかかっていいからちょっと座ろうか。追加で抑制剤も飲もう」
「くそっ……」
「仁 人、大丈夫だから。今もよく耐えてるよ。頑張ってる」
脱力している仁 人を抱き起こし、自らの肩に寄り掛からせる。身体をぺたりと柔 太朗に預けながら、仁 人はもう一度ゆっくり息を吐いた。
「教えて。何が起こったの?」
「……分からない。視界がハレーション起こしたように弾けて白くなって……、何て言ったらいいのか、……強いて言うなら多幸感、かな。そんな感じのに包まれた」
「そうなんだ」
「で、身体が追いつかなくなった」
ぼんやりとした様子だった仁 人の口調がしっかりとしてくる。
そして、仁 人は何かに気づいたかのようにピンと首を伸ばした。
「ん、あれ、ちょっと待って」
「どうしたの?」
「俺ちゃんと顔見れてないんだけど、凄いイケメンいなかった? 柔 太朗、見た?」
「見たよ、あの人、佐野 勇 斗だった」
「はぁっ?」
口を開いたまま極限まで目を見開き、仁 人は柔 太朗を見つめた。
佐野 勇 斗?
あの、国宝級イケメン俳優とか言われてる、あの佐野 勇 斗?若手の中で注目度ナンバーワンと呼び声が高いあの?
「え、聞いてない。俺は聞いてない。佐野 勇 斗来るとか聞いてないんだけど!」
「俺も聞いてない。だって今回の案件、引き受けたのよっしーじゃん」
「いやいやいや。そんなの急に電話きて『ちょっとここのスタジオ行ってほしい』って頼まれちゃったんだもん。詳細聞く段取りとかほぼ無かったもん」
どうしよ。
仁 人は柔 太朗に縋りついた。
ふと視線をやると、鏡に二人が固まって床に座り込んだ姿が映し出されている。それを見て、仁 人は「やば」と呟いた。
「俺、佐野 勇 斗を部屋から追い出しちゃってるじゃん」
◇
一方、マネージャーは不審そうに扉を見つめていた。撮影場所から急いで向かってダンススタジオに滑り込んだらそのまま閉め出されたのだ。何が起こったのか理解不能だった。
「遅刻したの怒ってるのかな。いや、それとは違う反応のような…、て、勇 斗っ?」
壁に背を預けてずりずりと身体が落ちていく勇 斗を見て、マネージャーの声が上擦った。
「どうした勇 斗っ! 体調悪いの?」
「……はっ、や、ば……っ、」
しゃがみ込んだまま両手で口元を覆い、見開いた瞳が獲物を見つけた獣のように鋭利な光を放っていた。
「何が? 何がやばいの?」
「めっちゃ綺麗な子がいた。すっげぇ良い匂いの、目が顔の半分くらいあるキラキラした子」
「そんな、少女漫画じゃないんだから」
「ほんとだって! 俺見たんだもん!」
嘘じゃないもん!
立ち上がって叫ぶ勇 斗はすこぶる元気そうなので体調は大丈夫のようだ。ただちょっと様子がおかしい気がする。働き過ぎのせいか。スケジュール調整を考えておいた方が良いかもしれない。
「ところでマネージャーってさ、βだっけ」
「そうだよ」
「ああ、そっかあ。は〜良かった〜。殴り合いになんなくて」
「え、どういう……」
「俺、平和主義だからさ。できるだけ争いごとはしたくないし。これからも仲良くやっていこうね」
「いま勇 斗が喧嘩売りかけたよね?」
「うん? 全然。ぜーんぜん、そんなことないよ?」
ほら握手。と勇 斗の大きい手が包み込むようにマネージャーの両手を握りしめた。
痛い。
そして、テンション高くバンバンと肩を叩いてくるが、加減を知らないようで痛みに身を捩る。
「いたっ、痛いって!」
マネージャーが悲鳴をあげたと同時に、ずっと沈黙していた扉が鈍い音を立てて動いた。
「あの、お待たせしました」
細く開いた扉の隙間から呼びかける小さな声と、半分影のかかった整った顔立ち。暗がりから目元だけが浮き彫りになる様はまるでホラー映画のワンシーンのようで、マネージャーは思わず息を呑んだ。
「ひっっ」
「申し訳ありません。先程は突然ドアが開いてインストラクターがビックリしてしまったんです。うさぎメンタルなので、ゆっくり脅かさないように入ってきてもらえると助かります」
うさぎメンタル?
大丈夫なの、そのインストラクター。
疑問を頭に浮かべたマネージャーの背後から「うさぎっ、はわっ、かわっ」と語彙力を無くした声が聞こえてきたが、話がややこしくなりそうなので一旦無視しておくことにする。
困惑し答えあぐねていると、ドアの影からじっと静かな双眸が二人を射抜いた。「これ以上は聞くな」言いたげな圧にマネージャーは思わずピシリと背筋が伸びる。
「あ、ああ! そ、そういうことだったのですね。もう大丈夫ですか、入っても」
「どうぞ」
柔 太朗が扉を押し開く。
マネージャーがおそるおそる足を踏み入れようとするが、背後から勇 斗がびたっと張り付いて押し出してきた。
「ちょ、勇 斗。今ゆっくりって言われたところでしょ。落ち着いて」
「早く、早くいこ」
「わかったから胸筋で押さないで」
スタジオ内に入り、勇 斗と仁 人、ふたりの視線が交差した。
しっかりとした上背に引き締まった体躯、整った鼻筋と前髪の間から覗く強い意志を持つ瞳。
仁 人の目の前に立っているのは、まごうこと無く佐野 勇 斗だった。
先程と同じく、ドクン、と仁 人の心臓が跳ね上がった。
今まで出会ったどのαとも違う。肌が、細胞が、魂が「この人だ」と歓声を上げ、前に立つαを強く求めている。
そしてそれは、勇 斗にとっても同じだった。
まっすぐ鏡の前に立つ仁 人を捉える。色白で黒目がちな潤んだ瞳。大きく肩が開いたトップスから覗く鎖骨、脇から続くまろやかな腰のライン。
勇 斗の瞳に熱が宿り、視線がカチリと噛み合った――その瞬間。
ドスッ!!!
スタジオ内に、サンドバッグを殴ったような鈍い音が響き渡った。
「ぐはッ……!」
「勇 斗っ!?」
見ると、勇 斗が己の腹部に容赦ない右ストレートを叩き込み、激しい痛みに体を丸めて悶絶していた。涙目になりながら、驚くマネージャーの肩を掴んで耐えている。
「つっ……、ふぅっ、……よし、落ち着いた」
「自分で自分を殴ったの!? バカなの!?」
「だって暴走しそうだったんだもん! これが俺の平和主義!うさぎは守らなくちゃ!」
いきなりの暴挙に仁 人は呆然と開いた口が塞がらない。柔 太朗も僅かに目を瞠った。
勇 斗はマネージャーから離れ、姿勢を正して仁 人を真っ直ぐに見つめた。
「遅れてすみませんでした。佐野 勇 斗です。さっき、驚かせてしまったんですよね。それもすみませんでした。うさぎメンタルとは知らなくて、失礼しました」
うさぎメンタルってなに?
仁 人は横目で柔 太朗を睨んだ。
さっき扉の向こうでボソボソ喋ってたのはこの事か。
「いえ、こちらこそ、いきなり閉め出してしまって申し訳なかったです。今日のレッスンを担当する吉田 仁 人です。宜しくお願いします」
「あの、体調が悪ければ今日は中止にしてもらって構いません。出直します」
「大丈夫です」
仁 人はキュッと唇を引き結んだ。
相手がαだろうとイケメン俳優だろうと、今日は仕事で来ているのだ。波立ちそうなフェロモンを抑え込むように目を伏せて深く息を吐く。顔を上げ、気持ちを入れ直した。抑制剤も追加で飲んだし、いける。
「では佐野さん、お時間も限られていますし早速始めましょう」
「ッ……! はい! よろしくお願いします!」
二人の完璧な仕事モードの間に、すっと自然な動作で割り込む影があった。
「本日のレッスンのサポートを担当する柔 太朗です。安全対策と事故防止のため、常に僕が二人の間に入らせていただきます」
「いや邪魔!! 近い近い! サポートなんかした事ないでしょ!」
柔 太朗の鉄壁のガードに突っ込みつつも、レッスンは開始された。
マネージャーは三つ巴になっている様相をポカンと眺める。
勇 斗の言う通り、綺麗な顔立ちのインストラクターだ。顔半分が目というのは盛りすぎというかフィルターかかっちゃってる感はあるが、目元が印象的なのは間違いない。動作のひとつひとつが丁寧でつい目で追ってしまう程の色気がある。
そして、隣にいるサポート役といった青年もまた系統の違う美しさがあった。勇 斗をはじめ、華のある芸能人を数多く見ている側からしても、この二人は異質だ。
もうどこか事務所入ってるのかな。聞いたらダメかな。スカウトは専門外だが、ついそんな考えが過ぎってしまう。じっと見つめ過ぎたのか、仁 人に追いやられた柔 太朗と目が合った。感情の乗っていない冷えた瞳にびくりと震える。
そこでマネージャーはハッと我に返り、「すみません、ちょっと連絡入れてきます。時間になったら迎えに来ますので」と、押している次のスケジュール調整のためその場から離れたのだった。
レッスン中の仁 人は、完璧だった。
ジャズダンスの基礎から、ドラマで使うことを考慮して見栄えの良い体の使い方まで的確に指示を出していく。勇 斗もダンス経験はあるらしく、元々備えている身体能力の高さで次々と吸収していった。
「うん、一旦ここまでにしましょう。お疲れ様でした!」
「ありがとうございました!」
スタジオに終了の合図が響く。
「はぁ……終わった……」
無事終えた安心感で仁 人の緊張が解れ、ピリッとした顔つきから、ふにゃりと頬が緩んでいくのが分かる。汗で濡れた首元をタオルで拭おうとしたが、勇 斗の髪が汗で顔や首に張り付いたままなのに気づいた。前を向き、呼吸を整えようとするくっきりとした横顔が男らしい。
「佐野さん、汗びっしょりですよ」
「はは、ですよね」
そう言いながら着ていたシャツの裾を捲り上げて汗を拭こうとするので、鍛えられた腹筋が見えてしまう。仁 人は焦った様子でタオルを差し出した。
「これ、まだ使ってないんで良かったら使ってください」
「いや、大丈夫です」
差し出されたタオルを戻そうとした勇斗と仁 人の視線が絡まった、その一瞬。
抑え込んでいた自制心が解け、仁 人の体から甘美なフェロモンがふわりと漏れ出してしまう。
「あっ」
何が起こったのか分からなかった。
先に唇が離れた感覚がして、その後に腕が解ける。
巻き戻しのように理解が追いついてきて、今、佐野 勇 斗にキスされたのだと自覚した。
実際には、目が合ったと同時に勇 斗が吸い寄せられるように仁 人へと踏み出し、逃げる暇すら与えず力強い腕が仁 人の細い腰を引き寄せた。両腕で囲い込んで逃げ場を失わせ、頬がぶつかり合い、そのまま横から這うように唇が重なり合う。仁 人のふっくらとした下唇に吸い付き、ちゅ、と小さな音をたてて離れた。
「……ッ」
「目、おっきい。可愛い」
仁 人の眼前には現実離れした美形がにっこり笑っている。
いや、やっぱ分かんない。
いったい何が起こった?
と思考を整理する前に、柔 太朗の白い手が勇 斗に伸びてきたかと思うとバチンッと火花が散り、突然勇 斗が視界から消えた。
「ぐ、ぅ……っ」
「αによる強行な不同意接触を確認。仁 人に危害を加えたと認め排除する」
柔 太朗の手によって高圧電流を当てられ、勇 斗が床に崩れ落ちていったのだ。
「柔 太朗やめて!」
仁 人がパニックになりながらも、遮るように柔 太朗を正面から抱きしめる。
「今の危害じゃないから!」
「不同意だったよね」
「不意打ちだったけど! そういう流れもあるでしょ! 察してよ!」
自分がキスしたの冷静に振り返るの恥ずいんだよ!
意識を失いかけている勇 斗、そして揉み合う二人。迎えにきたマネージャーが事務所の宝が倒れている姿を見て、 「勇 斗ーーーっ!?」と叫びながら頭を抱え、スタジオ内はカオスと化したのだった。
◇
帰りの車内。
何があったか問いかけても、勇 斗は首をさすりながら頑なに詳細を話さなかった。
自分の大切なタレントが痛めつけられたのだ。マネージャーは憤慨したが、勇 斗は「俺が悪いから」「訴えられるの俺の方だから」と非が自分にあることを譲らない。ここまで言われてしまっては、今回の件は勇 斗がいつか話してくれるまで待つしかない。仕方なくマネージャーは別の話に切り替えることにして、後部座席に座る勇 斗に声をかけた。
「勇 斗、最近仕事詰めすぎだったよね。少し休み入れるように調整するから」
「え、俺ぜんぜん大丈夫。今もうめっちゃヤル気あるから、仕事させて下さい。もっと頂戴。頑張るよ! 守る人がいるって元気百倍になるよね!」
「それが空回りっぽく聞こえるんだよ。休もう。休むのも大事だよ」
ほぼ強制的な休み勧告に、勇 斗は「ほんとにいいのに」と拗ねた。しかし、ふと思いついたように瞳を輝かせ前のめりになる。
「あ、それなら今は休まなくても良いけど、今入ってる仕事落ち着くのどれくらい? 半年か一年後くらいに一週間程まとまった休み欲しいな」
「なんで?」
「婚前旅行に行きたいから」
マネージャーのハンドルを握った手に汗がどっと噴き出した。今なんて言った?
「こわいこわいこわい、今の話なに? さらっと爆弾落さなかった? 僕、何にも聞いてないよ? 話飛躍しすぎてこわい、勇 斗、置いてかないで」
「誰も置いてかないよ。俺もいま知ったとこだしね」
運命の番ってやつに。
マネージャーはやはり話についていけず、とうとう半泣きになった。もう勇 斗は絶対休みとって欲しい。
「あ、ほら見てみて。いつの間にか雨止んで星が出てきた。綺麗~」
車の窓から外を覗きこんだ勇 斗がはしゃいでいる。鼻歌混じりの声が聞こえてくるが、マネージャーはそれに答える余裕がなく、スンスンと鼻を啜り運転に集中することしか出来なかった。
コメント
23件
運命の番にあった🩷さんの暴走具合がめちゃくちゃ面白いです!✨ 💛さんと明確な交際状態でもないのに、脳内で婚前旅行まで進んでいるのが、最高でした🤭 素敵な物語を読むことができて幸せです! ありがとうございます✨
初めまして、コメント失礼します。 めちゃくちゃ好みのお話に出会えて感極まっております…! アンドロイドのjyuちゃんの鉄壁ボディガードをsnさんがどう潜り抜けるのか楽しみです ( ᵕ̩̩ㅅᵕ̩̩ ) ♡
初めてのコメント失礼します。 もうニヤニヤしながら読んじゃいます✨🩷💛さんの絡みも🤍さんのセコムもいい味がして笑笑 続き楽しみにしています♪